2008年12月14日 リン所員と行く伊豆急行の旅


 弊サイトのスタッフであるリンさんと共に、本日は伊豆急行へ。まずは藤沢よりJR東海道線で熱海駅にいると、JR伊東線のホームには、伊豆急行2100系黒船電車が停車していました。普通列車として伊豆急下田へ向かうようです。なんとも豪華な普通列車・・・。


 深い意味はありませんが、あまりこのコーナーで登場することがないので、熱海駅にて撮影のJR東海の313系を・・・。


 それから寝台特急「富士・はやぶさ」を撮影。


 そして伊東線のホームに行くと、伊豆急行2100系「リゾート21」が停車中。やはり普通列車として伊豆急下田へ行く御様子。・・・これは乗るしかありませぬ。


 一部座席は海側を向いており、本日は天候が悪くて残念な限りでしたが、それ以外の時には素晴らしい眺望。それにしても、この2100系は特急車両とばかり思っていましたが、別に特急に限定するわけでもなく、普通列車でバンバン使われていました。


 伊東駅では後からやってきた、183系・189系特急「あまぎ」を撮影。


 さらに本日は、伊豆急行の200系電車(もとJR115系)の「さよなら運転」も実施されており、伊豆急下田駅まで乗車。3両編成だったこともあり、見事なまでの満員電車。都内でも立川以西、さらに新潟や広島に行けば同型車はバンバン走っていますので、注目度は低いと思っていたのですが・・・予想外でした。


 さて、伊豆急下田駅を降りて周辺を散策します。下田は幕末の激動の舞台となった場所の1つで、1854年3月に日米和親条約が結ばれると、箱館(現、函館市)と共に開港されました。上写真の了仙寺は上陸したペリー提督一行の応接所となりました。


 そしてアメリカとの間で下田条約がここで結ばれるのですが、当時を描いた絵と現在を比較してわかるとおり、本堂はペリーがやってきた当時のままで現存しています。う〜ん、これは感動。


 近くの山というか丘には、下田城跡(鵜島城跡)があります。室町時代初期に造られたのが最初と考えられ、戦国時代には小田原を本拠とした北条氏が北条水軍の拠点として整備しました。しかし、豊臣秀吉の小田原攻めの際に脇坂安治、長曽我部元親の攻撃に遭い、清水康英は約50日も抵抗しますが、ついに落城。
 その後、徳川家康配下の戸田忠次が入城しますが、江戸幕府が成立すると下田には奉行が置かれ、廃城となりました。


 ここからは下田の町並みが一望できます。この小さな町に、かつて意気揚々と黒船がここに集まってきたことでしょう。


 というわけで、ペリー艦隊来航記念碑。


 ペリー提督をアップ。


 お供え物がありました。・・・が、意味の解らないものも少々。私が不勉強なだけで、何か重要な意味があるのでしょうか。


 なお、ジョージ・ブッシュ大統領もメッセージを寄せています。でも、下田の場所なんて知らないだろうなあ・・・と思ったり。


 ところで、下田は幕末から大正にかけての民家が非常に数多く残っており、NPO法人によって紹介が進められています。その多くは「なまこ壁」が特徴的。写真の松本旅館は明治40年ごろの建築です。


 ミニ倉敷とも言える町並みもあります。手前の建物(草画房)は大正3年の建築。


 こちらの雑忠家は、1818(文政元)年の建築。


 こんな工場跡もあります。大正12年に建築された、旧南豆製氷だそうです。このほかにも数多くの古い民家があり、思わぬ収穫でした。うふふふふ。


 さて、伊豆急下田駅に戻り周りを歩いてますと、さよなら運転に使われた200系とは別に編成に、「200系デビュー」のヘッドマークがつけられていました。なかなか面白いことやってくれますね。


 そして再びリゾート21に乗車。


 今度は最後尾に乗車し、リンさんと展望席を二人占め(笑)。素晴らしい光景です。


 途中駅では特急「リゾート踊り子」と交換。


 伊豆高原駅で下車し、特に意味もなく散歩を開始したところ、吊り橋の文字が見えたので行ったところ、素晴らしい景色が!


 もちろん吊り橋も渡りました。多少ですが、やはり揺れる揺れる・・・。下見ると、さすがに怖かったです。


 伊豆高原駅から熱海駅までは、指定席が取れたので特急「あまぎ」で移動。リバイバル運転の列車ですから、きっと満席に違いない・・・と思っていたのですが、EF55のイベントがあったり、関西では0系が引退したりと、鉄道ファンも分散したようで、車内は結構空いていました。
 以上、リンさんお付き合い頂きありがとうございました。

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