2009年5月10日 五箇山と白川郷を散策する


 友人の味野源次氏と共に新宿で劇場版「交響詩篇エウレカセブン ポケットが虹でいっぱい」を鑑賞した後、上野駅へ。お金の都合で寝台特急「北陸」は見送り・・・。

 夜行急行「能登」で、いざ富山県へ出発します。それにしても489系ボンネットは相変わらず素敵ですね。

 そして高岡駅で城端線に乗り換え、終点の城端駅へ。

 昨年6月以来の訪問・・・と思い、所長撮影雑記を見返してみたら、よほど疲れていたのか「後で書きます」と旅行全体の記述をバッサリ切り捨てていることを発見。

 前回は城端の善徳寺という立派な建造物が残る寺と、古い町並みを見学しましたが(上写真はそのときに撮影した善徳寺山門)、今回は城端は通過します。しかし、列車はここが終点。ということで、タクシーで世界遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」に指定されている3つの集落(富山県南砺市菅沼地区、相倉地区、岐阜県白川村白川郷)のうち、まずは菅沼地区へ向かいます。
 バスもあるのですが、来るのがまだ当分先なので、どうしてもタクシーを使わざるを得ません。

 最近は便利なもので、高速道路であっという間に行けちゃうんですね。タクシーの運転手さんが「高速使いましょうか?」と言って下さったので、気軽な気持ちでYESと答えたところ、本当に直ぐでした。
 ・・・タクシーのメーターが上がっていくのも。
 自分、あれだけ早くタクシー料金が加算されていく様子を見たのは初めてであります。結局、8000円かかりました。道連れの味野氏がいたおかげで、1人あたりの料金は4000円とは言え、これならレンタカーを借りても良かったかも・・・・。ま、まあタクシーのおかげで、誰も観光客のいない、早朝の菅沼地区を、心行くまで堪能させていただきました。

 現在、9棟の合掌造りの家屋が残る菅沼地区。高速道路のおかげで、他の地域へ行きやすくなったとは言え、まさに秘境といった感じの空間です。

 水面に映った合掌造りの家が最高ですね〜。

 それから40分ほど岐阜県方面に歩きまして、国指定重要文化財の岩瀬家へ。江戸時代後期、加賀藩の塩硝上煮役の藤井長右エ門により8年間の歳月をかけ建てられた、現存最大級の大きさを誇る合掌造りの家です。準5階建ての家で、加賀藩の役人が毎年巡視に訪れることから、書院、奥書院などがあるのが特徴。
 なんで加賀藩の役人が来るかと言うと、この辺りの村々では塩硝(えんしょう)、すなわち硝石(しょうせき)=火薬の原料を作っていたわけ。つまり合掌造りの家々は、加賀藩にとって重要な軍事施設でもあったわけです。岩瀬家、というか藤井家はその上役であり、この家は役人の接待にふさわしい立派な構造だったのです。
 もちろん、多くの家ではこのほか自宅の上部を利用して、養蚕などを行っていました。岩瀬家も例外ではなく、3階から上は養蚕を行う作業場でした。

 内部の見学も可能なので見せていただきましたが、結構怖い・・・。1階の囲炉裏で暖を取るのですが、その煙の風通しをよくするため、床はどの階も隙間があるんですね。

 そして今度はバスで白川郷へ。こちらは2005年11月に訪問済ですが、前回は職場で所属している部活のメンバーの皆さんと、金沢から高山に行く途中で少々見た程度、しかも雨模様だったので・・・今回は最高の天気に、たっぷりと設定した見学時間。心行くまで堪能させていただきます。

 そもそもこの旅行、今年の1月に大学の先輩である千葉人さんの白川郷の写真を見た味野氏が「行きたい」と言ったのが発端でした。私の前でそういう言葉を出すのが大間違いと言うもので、本当に連れてきてしまったわけで・・・。

 何と言っても荻町城跡にある展望台から見た、白川郷の全景の撮影も目的の1つ。歩いて登ったので、少々疲れました。

 もう1枚〜。また秋の風景も最高なのではないでしょうか。3回目の訪問もしてみたいですね〜。

 さて、登るのはいいですが下りのルートを険しいコースを選んでしまったため、意外と降りるのが大変でした。荻町城跡は南北朝時代〜戦国時代の山城ですが、これもその名残だったりするのでしょうか?

 また今回は白川郷の中でも、南端の部分まで歩いてみました。この辺になると観光客も少なく、美しい風景をより堪能することが出来ます。

 そして路線バスでJR高岡駅まで直通。ダム湖が作り出す風景も、なかなかの美しさ。

 再び菅沼地区を通り過ぎ、先へ進むと見えてくるのが村上家。16世紀後半築で、こちらも見学したかったのですが、バスが1日に4本しかないため断念。さらに、この先の相倉地区も世界遺産に登録された場所で必見なのですが、やはりバスの都合で断念することに。・・・不便すぎます。しかし、乗客は我々2人と中国人観光客4人のまま、終点近くで数人が乗った程度。
 廃止にならないだけ、有難いと思うべきなのか。

 城端駅を過ぎると、JR城端線の東西を行ったり来たり・・・段々乗っているほうもイラっとしてくる状態(何しろ、あれだけ様々な公共施設を経由しながら、誰も乗らないと言う恐ろしさ)で、ようやくJR高岡駅へ到着します。白川郷を13時に出て、こっちに着いたのが16時。味野氏いわく
「バスの運賃箱に、お札を入れたのは初めて」
 と言わしめた運賃は2350円でした。それでもタクシーで城端から菅沼へ行った料金を考えれば破格の値段。
 もう少し、JR城端駅でJR城端線とバスの接続ダイヤがしっかりしていれば良かったのですが・・・。
 と愚痴っても仕方がありません。高岡駅前では、今や完全に主力車両となった万葉線のアイトラムを撮影。旧型車両のほうが姿を見なくなってきました。

 そして高岡駅では413系を撮影。この色を見ると、個人的には北陸に来た感じが凄くします。

 特急「はくたか」に乗り、越後湯沢駅へ。途中の直江津駅では京浜東北線から引退した209系が数本留置されていました。本当に千葉県方面への転属が始まりそうで、その改造待ちといったところでしょう。
 さて、自分から行ったり誘われて行ったりしているうちに、4月からアホみたいに本州各地を旅行していましたが、とりあえず予定されている旅行は全て終了。引き続き首都圏各地には出没するでしょうが、さすがに貯蓄も考えねば・・・。

↑ PAGE TOP