2009年11月7日 新潟の近代建築を訪ねて


 おや裏辺所長、今日はどちらへお出かけで・・・?
 と、まず向かった先は大宮駅。偶然にも485系による快速「フェアーウェイ」がいたので、ちょいと撮影。485系1500番台先頭車を組み込んだ、人気の新潟車両センターT−18編成ですね。

 そして新幹線ホームに移動し、下りホーム東京方からズームで東北新幹線を狙うと、このとおり。定番の撮影ポイントのようですが、迫力ある雰囲気で新幹線を撮影できます。で・・・。

 気がつけば新潟駅。3日の入間航空祭に行った後、費用面と体力面から「行く」「行かない・・・」の自己問答を繰り返した末、結局は行ってしまうんですよねえ。まずは、意外にも初の撮影となった「SLばんえつ物語」。

 ヘッドマークは10周年を記念したものになっており、可愛い・・・!!

 そして引き続きキハ52形2両編成(キハ52−137+キハ52−127)による、快速「只見紅葉号」を撮影。隣のホームではE127系がずっと停車中だったので、敢えて並びで撮影してみました。こうやって見ると・・・それほどデザインは変わらない!?

 もう1枚。快速「只見紅葉号」は純粋な観光客、鉄道ファン双方共に大変な人気で満員状態。キハ52形も、まだまだイベント用に十分活用できると思うのですが、新潟デスティネーションキャンペーン終了後はどうなるのでしょうか。

 続いて同じホームに入線してきたのが団体列車として運転された、キハ58系急行「べにばな」。キハ28−2371+キハ58−1022の2両編成で、大変美麗な状態でした。キハ58系も先行きは不透明、おそらく引退だとは思うのですが・・・勿体無い。

 こちらは485系3000番台による特急「北越」。

 そして485系改造車による快速「きらきらうえつ」。全車指定席で、本日は満員とのこと。盛況なことは大変素晴らしいことです。

 さて、新潟駅南口を見たことがなかったので、ちょっと行ってみました。今年になって大改修工事が終了したようで、面目を一新。写真には写っていませんが、右手には大きな駐車場を備えたビックカメラが開店するなど、大変貌を遂げたようです。

 さて、ここからは新潟市の歴史探訪。駅前(万代口)より新潟市観光循環バスに乗車します。新潟市はマンガ「ドカベン」の作者である水島新司氏と、「犬夜叉」の作者である高橋留美子氏の出身地であることから、それぞれのキャラクターをラッピングしたバスで運行。万代口から見て左回り(白山公園先回り)と、右回り(朱鷺メッセ先回り)が、それぞれ1時間おきに運行されています。
 このルートで行けば、新潟市中心部を代表する観光スポットは全て見られるというスグレモノ。

 最初に訪問したのが新潟市歴史博物館(みなとぴあ)。そして、ここに現存しているのが、1869(明治2)年に建築された旧新潟税関庁舎(国指定重要文化財)。新潟が開港されたときから現存するもので、開港時代に建てられた税関庁舎としては唯一の現存例。なまこ壁が特徴の基本的には和風ですが、洋風に搭屋やアーチ状の通路を設けた擬洋風建築。明治維新の時代を語る上では欠かせない建築です。
 *なお、建築当時の名称は新潟運上所。1873(明治6)年に運上所は税関と改称されました。

 同じ敷地内に移築復元されている旧第四銀行住吉町支店。1927(昭和2)年の建築で、設計は長谷川龍雄。鉄筋コンクリート造り2階建て(一部3階建て)の銀行建築で、2002(平成14)年まで使用されました。そして可能な限り部材を再利用し、2003(平成15)年に現在地へ移築復元されています。

 内部は銀行時代の雰囲気を残したまま、カフェとして再利用。見学は自由ですので、気軽に見られます。

 新潟市歴史博物館本館。これは三橋四郎の設計により1911(明治44)年に建てられ、1933(昭和8)年に焼失するまで使用された新潟市役所の2代目庁舎を外観復元したもの。こういう復元方法も良いですね〜。ちなみに三橋四郎は、現在も残る京都市の中京郵便局(吉井茂則と共同設計)や下関市の南部町郵便局、旧奉天総領事館の設計も手がけています。
 さて、ここでウロウロしているとレンタサイクルの文字が・・・。このままバスで回るのも時間が気になって自分のペースで行きにくいですし、しかし自転車をここまで返却しに来るのは・・・と思ったのですが、お話を伺うと利用登録をすれば、市内各地の指定の場所にて、自由に乗り降り出来るのだとか。というわけで、有り難く利用させていただくことに。3時間で100円です。

 そんなわけで観光バスと全く同じルートで、新潟市を気持ちよく自転車で走っていますと、次に目に入ってきたのが石山味噌醤油。3棟の建物が1906(明治39)年頃の建築で、国の登録有形文化財に指定されています。写真は三号味噌蔵。

 続いて少し道に迷っていると、派手なカラーリングの洋風建築が。現地では説明が見当たりませんでしたが、別の場所で紹介されていたものによりますと、これは金井写真館本店(現、金井文化財館)で、1897(明治30)年の建築。文部省勅人技師の中島泉次郎の設計で、裁判所の改築のため新潟に来ていたとのこと。そこから先の説明がなかったのですが、地元の人に頼まれてアルバイト(?)したのでしょうか。
 ちなみに中島泉次郎は、私が昨年7月に訪問した旧米沢高等工業学校本館の設計も担当しています。
 http://www.uraken.net/rail/travel-urabe176.html

 こちらは北方文化博物館新潟分館。1895(明治28)年に清水常作氏(出雲崎町尼瀬の西山油田の掘削によって財を成した実業家)の別邸として建築されたもので、後に伊藤文吉氏の別邸に。ちなみに新潟市出身の歌人、美術史家、書家である曾津八一氏が1946(昭和21)年から1956(昭和31)年まで借用し、この家で亡くなっています。
 というのも、坂口献吉氏(作家の坂口安吾氏の長兄で、新潟放送初代社長)が「夕刊ニイガタ」の社長を曾津八一氏に要請したところ、如何せん戦後の住宅不足の中、「住居を探して欲しい」と相談を受け、白羽の矢が立ったのがここだったとか。しかも、持ち主の伊藤文吉氏の弟さんである伊藤九郎太氏は中学、早稲田大学で曾津八一氏の2年先輩の間柄だったそうで、さらにその弟さんとは中学の同期という、深いつながり。それもあって貸してもらえたのでしょうね。
 ・・・とえらそうに色々書きましたが、中までは見ないで、私は隣にある旧齋藤家夏の別邸へ。

 まず外観からして素晴らしいデザイン。これは貴族院議員を務めた新潟の豪商・齋藤喜十郎氏が、1918(大正7)年に避暑のために造った別邸とのこと。

 庭がまた非常に素晴らしく、特に2階から眺める風景は絶景。その2階は、庭の池に映る月を楽しんだことから「観月亭」と名付られていたそうです。ちなみに旧齋藤家夏の別邸は、今年に入って保存のために新潟市が取得したばかりで、保存と活用についてはこれから検討が進められていくことでしょうが、よくぞ残してくれたと思います。

 紅葉のシーズンで、私も写真を1枚パチリ。開発の危機もあったそうですが、多くの人が価値を見出し、保存に向けた運動を展開。新潟市もしっかりと観光資源として認識し、迅速に取得に乗り出した、理想的な保存の動きでした。

 さらに近くにある新潟市旧市長公舎(現、安吾 風の館)。1922(大正11)年に建てられたもので、戦後は主に新潟市の迎賓館として使用。こちらも今年に入り、作家の坂口安吾氏の遺品・所蔵資料の寄贈を遺族から受けたことから、この資料を公開する施設として、活用がスタートしたところのようです。ちなみに坂口安吾氏は、この当たりの生まれだそうで、場所としても理想的ですね。

 さらに、また近くにある旧日本銀行新潟支店長役宅を活用した砂丘館を見学。1933(昭和8)年の建築で、戦前の日本銀行の役宅として現存するのは、他に福島(昭和2年築)の合計2つだけだそうです。

 そして自転車を走らせ、新潟大学医学部(旧新潟医学専門学校)表門及び煉瓦塀を見ます。煉瓦塀は1911(明治44)年、表門は1914(大正3)年の建築で、国の登録有形文化財に指定されています。

 まだまだ行きます(笑)。新潟大学医学部付属病院の向かい側にあるのが、新津記念館という洋館。新潟県三島郡出雲崎町出身で、石油王と称される実業家の新津恒吉氏が外国人迎賓館として、1938(昭和13)年に建築したもの。内部は撮影不可だったので、お見せすることは出来ませんが、1階は「イギリスの間」、2階は「フランスの間」と「日本間」、3階は「ドイツの間」(非公開)という、個性豊かな部屋の造りとなっており、過去に見た様々な西洋建築の中でも、特に豪華でした。

 和館のほうに行くと、こんな光景も。まだ御子孫の方が使用されているようで、和館は庭園からの見学のみです。ちなみに現当主の新津 義雄氏も小さな会社からスタートして、現在は丸新グループという、新潟県内有数の企業を誕生させ、親子2代で実業家として成功を収められています。そのお陰で、この記念館も実質的に自ら修復され、一般公開に踏み切られたようです。
 ちなみに新津恒吉氏が起こした新津石油は、現在の昭和シェル石油の前身の1つ。また新津恒吉氏は、新潟空港の拡張や新潟市公会堂の建設へ莫大な寄付を行うなど、地元へ積極的に利益を還元されました。これからの実業家で、そういう人物がどれほど出るでしょうか。

 続きまして白山公園に行き、新潟県政記念館へ。逆光で写真がとにかく撮影しにくかったのが難点・・・。1883(明治16)年に建てられ、1932(昭和7)年まで使用された県議会の議事堂であり、明治に地方でも議会が出来た頃の議事堂建築として、日本で唯一の現存例です。木造2階建、漆喰壁、屋上に尖塔を設置した左右対称の洋風建築。

 古写真を元に再現された議事堂内部の様子。今のように前面に県知事や、役所のスタッフが並び、議員と対峙するスタイルとは大きく異なっているのが特徴です。

 そして白山公園と・・・。

 立派な楼門が特徴的な白山神社を見学。

 そして白山公園内にある燕喜館の外観のみを見学。
 先ほど紹介した齋藤家の本邸について、その一部を移築復元したものだそうです。

 自転車でいよいよ新潟駅へと戻ります。途中、国指定重要文化財の萬代橋を撮影。1929(昭和4)年に建設された6連アーチが素晴らしい道路橋梁で、当初の計画が良かったのでしょう、構造が堅牢であり、そして車道の広さも十分あることから、今も新潟市を代表する交通の要衝です。

 そして駅近くの公園で自転車を返却し、新潟駅へ戻ります。

 在来線ホームへ行くと485系による快速「くびき野」が。日中にもかかわらず相変わらず盛況な利用率です。そして、先頭車は初めての撮影である特急シンボルマーク無しの車両。元々は特急「ひたち」で使われていた車両でしたね。

 上越新幹線「とき」に乗り込みます。さて、このまま所長は東京へ戻るのでしょうか・・・??

 そんなわけありませんね(苦笑)。越後湯沢駅で途中下車し、北越急行の車両を撮影。

 681系特急「はくたか」。北陸新幹線開業後の動向が注目されますが、そんなことはさておき、この車両を見ると北陸へ行きたくなります。乗ったら必ず気持ちよくて眠ってしまう座り心地の良さ、681系は個人的にイチオシの車両です。

 さて、さすがに北陸へは行かず、上越線で越後中里駅で下車。

 お目当てはコチラ! 車窓から見るたびに気になっていた、旧型客車の数々を見学します。スキー場の休憩用に設置されたもので、スハフ42、スハ43、スハ47の17両が残存。最近までは、もう1両があったようですが撤去されています。

 朽ち果てているかと思いきや、意外とメンテナンスされているようで、幸か不幸か近年の補修によって車番が消されてしまったものも。1両ずつ撮影しましたので、近いうちにタップリ紹介します。

 これにて本日の目的は全て達成。近くの踏み切りで115系を撮影し、越後湯沢駅へ戻ります。

 ホームに485系ジョイフルトレイン「せせらぎ」が停車していたので撮影。

 そして今度の北越急行の車両は、なんと大河ドラマ「天地人」ラッピング車両。前面貫通扉には、直江兼続の兜より「愛」の字を掲出。北越急行には愛がありまっせ!!

 で、これで帰路につくのかと思いきや、「そういや、越後湯沢駅を降りたことがなかった」と思い、駅前を散策。

 これといった発見はありませんでしたが、観光地らしく土産物屋や飲食店が非常に多いのが印象的でした。

 さすがに今度こそ帰路に就きます。何となくE1系を撮影。

 そして大宮駅へ戻ると、ちょうど485系特急「日光」がやってきました。

 で、本日は新宿駅の工事の関係で、特急「日光」は池袋までの運転。こういう事態を想定していたのでしょう、方向幕もしっかりと用意されており、珍しいものを撮影させていただきました。

 そして最後に115系快速「むさしの号」で帰還。新潟に行っても、首都圏に戻っても115系(笑)。

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