2010年4月9日〜4月11日 犬山城・明治村&かかみがはら航空宇宙科学博物館へ

○4月9日(金)・10日(土)


 仕事終了後、愛知県犬山市の犬山城と明治村に向かうべく、職場の先輩の車で出発したる所長。途中、お勧めの桜の名所があるとのことで、箱根宮城野の早川堤の夜桜を鑑賞。


 盛り上がるのはおそらく土日だと思われ、今日は人もまばら。心行くまで堪能できます。


 ソメイヨシノだけでなく、国道138号線沿いのシダレザクラも見事な風景でした。


 さらに静岡県御殿場市の秩父宮記念公園近くの桜並木(御東原線の桜)も見学。こちらは、一部では道路上を桜の花が覆っている、まさにさ桜のトンネルという凄い状況で、大変美しい景観でした。


 さあ、そして翌朝は木曽川沿いに布陣。向かうは犬山城ですが、まずはここから桜並木との組み合わせを撮影。


 続いて城内に攻め込む前にこんなところに。犬山城の城下町は今も古い町並みが残っており、歴史ロマンを強く感じさせる空間です。最近は整備も進んでおり、より一層綺麗な景観を見せてくれます。昨年4月に犬山に来たときは見逃してしまった場所だったので、今回は見られて大満足。


 そして犬山城天守閣。間近で見るのは2001年5月に来て以来。昨年は入城時間を過ぎてしまい悔しい思いをしましたが、今年は散らずに残ってくれた桜との組み合わせを撮影できるという、オマケつきでした。


 もちろん天守閣内部も堪能。畳敷きのこの部分は上段の間で、殿様が(おそらく戦時に)使用する場所です。


 天守閣最上階からの眺め。期待を裏切らない絶景ですね。


 続いて明治村へ。これも2001年5月以来の訪問で、久しぶりに入りました。当時は建築のことはよく解らず、カメラはフィルムカメラで現像代がかかるので撮影は最低限という状況でしたが・・・今回は違うぜ。とことん堪能しつくします。・・・と意気込みましたら、午前10時30分に入って、ここを出たのが午後4時30分。

 写真も尋常じゃない量を撮影したので、とても所長撮影雑記では紹介できないので、ちょこっとだけ。
 上写真は聖ヨハネ教会堂です。


 2階部分が礼拝堂。直線と曲線で構成された木の組み合わせ方が見事としか言いようがありません。


 こちらは西郷從道邸。


 西郷從道邸内部。天井が非常に高いのが印象的。だいたい、この時代の偉人の皆さんの身長が160cm程度であることを考えると、この高さはいったい・・・。


 黒壁に赤みがかった茶色い瓦のこの建物は、旧安田銀行会津支店。


 重厚な雰囲気のカウンター。


 動態保存されている京都市電。


 芝川又右衛門邸。2001年に来た時には無かった建物。兵庫県西宮市にあったもので、阪神大震災で被災した後、明治村が部材等を引き継いで2007年に復元したものです。


 西園寺公望別邸「坐漁荘」。 首相も務めた西園寺公望が政治の第一線から退いた後、別邸として静岡県静岡市清水区興津町に建てた隠居所みたいなもの。明治村には庭も含めてそっくり移築。その後、当時あった場所に2004(平成16)年に復元されたのは昨年6月の撮影雑記で紹介したとおり。


 蒸気機関車12号。なんと新橋〜横浜間の鉄道開業の2年後、1874(明治7)年にイギリスから輸入されたもの。明治村の中を走っているだけとは言え、いまだに現役で客を乗せて営業しているというのは驚きです。


 円錐ドームの屋根と、正面の左右に小ドームの載る角塔を配しているのが特徴の宇治山田郵便局。なんと切手・ハガキの販売、郵便、貯金などの窓口業務が現役で行われています。


 金沢監獄正門。1907(明治40)年築で、今の視点では重厚すぎて恐ろしいイメージもありますが、それ以前の時代の隙間風の吹くような罪人小屋も多数あったころから比べると、近代的な監獄制度を整えようと意気込んだ明治人たちの意気込みを感じることが出来ます。


 金沢監獄中央看守所・監房。元々は、この中央看守所を中心に、左右及び正面奥と左右斜め奥に五つの舎房が放射状に配されていましたが、残念ながら全てが移築されたわけではなく、第五舎房の一部が残るのみ。


 これまでの罪を深く悔いて、収監されてみました。


 明治村を代表する(と個人的に思う)帝国ホテル中央玄関。アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトが手がけた近代建築の傑作。中央玄関部分のみしか移築できなかったのは残念ですが・・・。


 内部の様子。3階まで吹き抜け構造になっており、開放感抜群。軒や手摺の白い大谷石の帯もす素晴らしいアクセント。


 内閣文庫。明治政府の中央図書館として建てられたものです。


 続いて岐阜に移動してホテルにチェックイン。居酒屋で手羽先などを堪能した後、名鉄の各務原線に乗車し、手力駅で下車します。

 そして手力雄 ( てぢからお ) 神社の火祭りを見学。毎年4月の第2土曜日に行われるもので、激しい火の粉が降り注ぐ中、花火が仕掛けられた神輿を裸男たちが担ぎ乱舞するという、勇壮なお祭り。


 とにかく派手なお祭りで、あまりの迫力にただ驚くばかり。ちなみに観光用に、毎年8月の第2日曜日に長良川公園でも開催されるそうなので、ご興味のある方はぜひ。

 さて、引き続き翌日も岐阜市周辺を攻略します。続編、しばしお待ちを。

○4月11日(日)


 本日は岐阜市中心部からスタート。まずは久しぶりに旧岐阜県庁舎(岐阜総合庁舎)を撮影したところから始まり。この建物は1922(大正13)年の建築で、非常に重厚な建築。相変わらず黒ずんでいて、建築に興味の無い人にはボロと思われても仕方ない様子ですが・・・。


 そして車は長良川を越えて、戦国大名の斎藤道三が息子の斎藤義龍に家督を譲った後、隠居した場所として知られる鷺山城を見学。山ろくには北野神社があり、ここから登ってみます。


 登ると言っても大した標高でもなく、あっさりと到達。およそ実戦向きの城ではありませんが、親子喧嘩した(もしくは復権を試みた)斎藤道三は、1552(弘治2)年、息子の斎藤義龍に戦うこととなり僅かな手勢で出陣し、戦死しています。


 斎藤道三の遺骸は崇福寺の西南(現メモリアルセンター内)に埋葬されますが、洪水で塚は度々流され、1837(天保8)年に鷺山城からも近い写真の場所に塚が造られて現在に至ります。


 さて、その道三塚からも近い崇福寺は、織田家の菩提寺。時間が無かったので見ませんでしたが、織田信長・信忠廟所も存在しています。また写真の中門は、室町時代の関白の一条兼良が寄贈したものです。

 ところで、甲斐の恵林寺の僧で、織田家の侵攻により燃え盛る寺の中、「安禅必ずしも山水を用いず、心頭滅却すれば火も亦た涼し」と辞世して焼死した快川紹喜は、崇福寺の三世住職を務めた人物。不思議な縁があるものですね。


 続いて、対岸に渡って(やはり久しぶりに)川原町の古い町並みを見学。公園設置や電線の地中化など年々整備が進んでいるようで、このような景観が撮影できました。黒く塗られた蔵が何ともいえない重厚で素敵な雰囲気ですね。


 ここから遠く岐阜城天守閣を撮影。


 そして町並みに戻って撮影しました。


 さて、犬山市のリトルワールドに行く計画もありましたが、さすがに明治村で歩きまくった疲労と、天候が微妙だったこともあり、各務原市の「かかみがはら航空宇宙科学博物館」へ。バスも通ってはいますが運転本数が少ないため、自動車での訪問が無難。この場所は航空自衛隊の岐阜基地の南側にあり、戦前から現在に至るまで航空産業と共に歩んできた、各務原市らしい特徴的な施設です。


 とにかく展示されている機体の数が多く、屋外展示機ではV107A輸送ヘリコプターや、上写真のYS-11A-500R中型旅客機や・・・。


 US-1A救難飛行艇に・・・。


 P-2J対潜哨戒機などが展示されています。


 また、屋内の展示機ではT-2ジェット練習機(ブルーインパルス仕様)をはじめ・・・。


 なんと、こんな数の機体が展示されています。特に写真右で目立っている低騒音STOL実験機「飛鳥」は必見。 


 それから、政府専用機で使われていたシートも座ることが出来、上質な座り心地に嫉妬することが出来ます(笑)。


 また宇宙関係の展示も充実しており、レプリカながらも「愛・地球博」のアメリカ館で展示された火星探査車を見ることができます。なるほど、こんな大きさだったんですね。


 そして車は東へ。偶然にも「炉畑遺跡」という文字を見つけたので行ってみましたところ、このように公園化されていました。桜の散る中での竪穴式住居という、非常に素敵な風景を見ることができました。


 また、ここには1871(明治4)年に建てられた旧桜井家(各務原市の重要有形民俗文化財)という養蚕農家の家屋が移築されています。屋根が随分光り輝いておりますが・・・。


 さらに東へ、各務原市立陵南小学校にある大牧1号古墳という円墳を見学。内部が気になりましたが、これ以上に侵入は禁止されていましたので、これにてさっさと退散。


 続いて、やはり各務原市にある中山道の鵜沼宿を見に行きます。まあ、大したものはないと思いますが・・・と思っていましたら、古い町並みが見事に残っていたので、駐車場で下車。しっかり見学することにします。まず我々を出迎えたのが、なんと旧大垣城の鉄門(くろがねもん)。明治9年、各務原市蘇原野口町の安積家に払い下げられて自宅の門として使われていましたが、各務原市に寄付されて、平成21年に移築されたばかりです。
 ちなみに高麗門形式の門で、鉄板を貼っているのが特徴です。


 その向かい側にあるのが、江戸時代は「絹屋」という旅籠を営み、明治の初めから明治30年まで郵便局を運営していた旧武藤家住宅。平成18年に各務原市が寄付を受けて公開しています。現在の主屋は、明治24年の濃尾地震で倒壊した後に再建されたものですが、旧来の材木を再利用し、元の姿に近い形で再建。そのため、江戸時代からの面影をよく残しています。


 その近くでは、かつての脇本陣が間もなくの完成に向けて絶賛工事中。情報の裏づけが取れないのでハッキリとは書けませんが、地元の人の話では○億円の建設費用とのこと。こうした歴史的な町並みを観光に生かそうという、積極的な姿勢は羨ましい限りです。未だに古い建物を予算がありません、とぶっ潰している例も後を絶ちませんからね・・・。


 その向かい側の坂井家住宅は1894(明治27)年の建築。このほかにも多数の古い建築が残り、先ほどは江戸の面影・・・と書きましたが、町全体としては濃尾震災後の明治中期の面影を今に伝えています。それにしても、中山道はここに限らず、古い町並みが今も良く残っていますね。


 さて、自動車で神奈川県まで帰るのはかなり時間がかかるため、これにて岐阜県を脱出。そして夜の箱根湯本駅で車を降りて、藤沢に向けて戻ることに。リニューアル後の駅舎は、こんな内部になっていました。


 小田原までは数少なくなった5000形に乗車。最後まで楽しませていただきました。

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