2011年1月10日 戦艦「三笠」と東京タワー&東京タワー水族館へ


氷川副所長と神奈川県横須賀市へお出かけ。JR横須賀駅を降りると、海上自衛隊の護衛艦「いかづち」「むらさめ」が見えてきました。横須賀は軍港都市であり、間近で軍用艦が見られる場所です。

軍用艦は詳しくないので、こちらは不明。

その隣には、潜水艦が3隻いました。

さて、本日の目的はスペシャルドラマ「坂の上の雲」に触発されまして、横須賀で保存されている戦艦「三笠」の内部を久しぶりに見学してみようというもの(約6年ぶりです)。

三笠は1902(明治35)年にイギリスで建造された戦艦であり、東郷平八郎司令長官が乗艦し、連合艦隊の旗艦として日露戦争で活躍。 1923(大正12)年に現役を退いた後、1926(大正15)年に現在地に保存。太平洋戦争で日本が敗北すると占領軍の命令で大砲、マスト、艦橋が撤去されて荒廃してしまいましたが、その後は復元に向けて努力が続けられ、1961(昭和36)年より往時の姿となって公開されています。

内装を見る前に、外観もじっくりと見学しておきます。うむむ、なかなかの迫力。

船首から撮影。ご覧のように、現在は海の上にはおらず陸上に固定。それでも直ぐ脇が海になっており、全く場違いなところにいるわけではありません。

さて、内部に入ると無線室が見えてきます。当時の通信の様子が再現。

なんとモールス信号の一覧表が掲載されていました。 さあ、これで友だちと暗号通信を行いましょう。学校や職場で流行ったら・・・知らない人は不気味だろうなあ。

こちらの砲台は実際に動かすことが出来ます(もちろん、撃つことは出来ませんが)。左側のハンドルで上下に砲門を動かすことが可能です。そして左右に動かすことも出来ますが、なかなかの重量でした。

迫力満点のブリッジと主砲。日露戦争時、東郷提督らは、ブリッジの上にあるスペースに立って指揮を執ったそうです。

私もその場所に立っていました。主砲が米軍横須賀基地を狙っています。

内装が木造になっているブリッジの様子。ちょうど現代兵器への過渡期であることがよく解る構造です。



内部はペリー来航時からの国際情勢と、海軍の歴史について解りやすくパネルで解説してありました。こうやって色分けされているものを見ると、世界のほとんどがイギリスやフランスなど西洋列強に支配されていたことがわかります。 当時の日本の状況が、かなり危機的なものであったことが良く解ると同時に、良くこの状態で独立を保てたものだと思います。

バルチック艦隊一覧。

非常に興味深いのが、バルチック艦隊の航海中に起こった出来事。そもそも、こんなヨーロッパの西から出発しているわけですが、早速イギリス近海で、トロール漁船団の一部を日本の工作船と勘違いして撃沈。しかも負傷者も救助せず、という振る舞いにイギリス世論を激高させ、イギリス艦隊がスペインのビーゴ港までバルチック艦隊を追尾する事態に陥りました。

これが影響し、各地のイギリス植民地でも燃料補給を拒絶され、日本海海戦でバルチック艦隊が敗北する要因の1つとなりました。これを、ドッガーバンク事件といいます。と、さも知っているように書いていますが、恥ずかしながら初耳でした。

小型艦はスエズ運河を通過できましたが、大型艦は通過できず、しかも先ほどの事件を起こしたため、イギリスの植民地が多い場所は通過しづらい、ということで第二艦隊は南アフリカの喜望峰を経由。しかし、故障が次々と発生したり、ポルトガル領アンゴラから早く出て行けといわれるなど、散々な状況のようです。

もちろん日本海海戦の日本側の戦術も大いに評価されるものではありますが、このような苦難の航海の末に日本海まで航海してきた、バルチック艦隊の乗組員の苦労も大変なものであったと思います。

さて、戦艦「三笠」内部の写真に戻しまして、こちらは士官室の様子。

長官公室。連合艦隊の司令官や艦長の作戦会議、内外の来賓の応接、さらには公式の舞踏会などにも使用した場所です。日本海海戦後、ネボガトフ少将の降伏申し入れもこの場所で行われました。

別アングルから。華やかな部屋ですが、戦時にはここからも射撃できるようになっていますね。

こちらは食器室。

明治後の歴史を学ぶ場所としても非常に面白い戦艦「三笠」、ぜひ皆さんも訪問してみてください。


横須賀で戦艦「三笠」を氷川副所長と見学した後、場所が全く違いますが東京タワーへ行ってみることにしました。実は、今まで東京タワーに登ったことが無く、間近で見るにも何年ぶり?な状態です。 JR浜松町駅で下車し、まずは増上寺に向かって歩きます。

正面の三門(三解脱門)は1622(元和8)年に建てられたもので、国の重要文化財。江戸幕府大工頭・中井正清とその配下による建立であり、幕府の威信をかけた立派な楼門です。江戸時代初期の建築としても、全国的に貴重なもの。

増上寺の中心である大殿と東京タワー。大殿は1974(昭和49)年に再建されたもので、こちらは新しいものですね。

さあ、そして東京タワー。麓では警視庁がPRイベントをやっていましたが、多数の観光客が押し寄せる中で閑散としていたり・・・。余計なイベントやら無いで、職員を休ませた方がいいと私は思います。何はともあれ、タワーの真ん中辺りの大展望台まで登ってみます。

大展望台は地上約120m(海抜で150m=2階部分)で、六本木ヒルズなどが出来てからは高さに関しては新鮮味がなくなりましたが、これはこれで意外と面白いことが判明。あまり上から見下ろすより、近隣の風景が見やすいです。 東京スカイツリーが遠くに見えますね。もっと大きく感じられるかと思いましたが、意外とそうでもなかったのが気になりました。目の前に高層ビルが無ければ、高さに驚いたと思うのですが。

こちらは汐留の高層ビル群。

東京ミッドタウンと、奥は新宿の高層ビル群。手前の不思議なピラミッドみたいな黒い建物は、宗教団体のものだそうです。景気いいなあ。

六本木ヒルズ。これは非常に全体像を撮影しやすい。

増上寺境内。江戸時代は周辺一体が敷地でしたが、現代はこじんまとしたものです。 さて、引き続き特別展望台(地上233m、海抜で250m)に登ろうとしますが、なんと60分待ちという盛況ぶり。幾ら周辺に高層ビルと展望台が出来ても、やはり東京タワーは特別な存在のようです。スカイツリーが誕生しても、人気は衰えないかもしれませんね。と・・・感心したものの、我々は特別展望台は断念しました。

そして低層部に戻ってくると、商業施設の上が遊園地になっていました。 そこで我々が見たものは・・・機動戦士ガンダムのMS「ジム」? いや、なんかショボイ・・・。

もう一体、別カラーリングでいました。これでは中国の偽ガンダムも笑えないです。

気を取り直して上を見上げてみますと、見事な鉄骨の美が見られます。 ちょっと斜めアングルにしてみました。

今度は縦で真っ直ぐ撮影。これは非常に面白いです。

続いて氷川副所長の希望で、東京タワー水族館へ。海と接しているわけではなく、電波搭の下に水族館があることのミスマッチが面白いそうです。たしかに。

しかし、展示されている魚の量は他の水族館と比べても遜色なく、見たことの無い魚が多数いました。こちらはナポレオンフィッシュ(和名:メガネモチノウオ)。

こちらはグリーンモレイ。カリブ海や大西洋に生息する、最大で2.5mにもなる大きな魚です。

オイランヨウジ。

シロボシアカモエビ。魚の体についた寄生虫などを食べる海の掃除屋です。

レッドテールキャット。アマゾンに生息する大型のナマズです。

レッドラインピラニア。ここの水族館は、ピラニアの展示が凄く充実していました。

スッポンモドキ。 まだまだご紹介したい動物は多数おりますが、今回はこの辺で。別ブログ「生物日記」も馬藤所員が放置中なので、私がそろそろ何とかせねば・・・。

続いて神保町で氷川副所長と古地図を買い物。思わぬ掘り出し物があり、氷川副所長は大変御満悦でした。そういや、古地図コーナーを全然更新していませんね。 続いて徒歩で靖国通りを歩き、戦前に建てられた九段会館(旧・軍人会館/上写真)を横目に見ながら靖国神社へ到着します。

これが私にとっては初詣。メジャーな神社で初詣というのも私には珍しいです。

この酒樽が並んだ風景はいいですね。日本の素晴らしい風景だと思います。まして、最近は日本酒はそこそこ好きになってきたので、少々ヨダレが・・・。

今年の日本経済の復興と、世界平和を願ってまいりました。 ・・・ウソです、彼女出来ますようにと願ってまいりました。ここで願うとは、逆にバチがあたりそうです。ごめんなさい。

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