2011年11月25日〜27日 三仏寺投入堂・有田川鉄道公園ほか鳥取・京都・和歌山の旅


前回の記事で鳥取・関西旅行の全体をご紹介しましたので、今回から詳細版を掲載していきます。まずは25日朝、羽田空港から出発しまして鳥取空港へ向かいます。羽田空港には、最新鋭のボーイング787がいました。ううむ、きちんとした形で撮影したい・・・。 そして鳥取空港からは(お客さんガラガラの)バスでJR山陰本線の松崎駅へ。リン所員、ゼニガタ所員と合流します。

そして松崎〜倉吉間でキハ40系の5両編成を撮影。先頭は姫新線色で、久しぶりの撮影。首都圏色で揃っていたほうが見栄えは良いですが、この場合は貴重な姫新線色を撮影できたことの方が良かったというもの。

後追い撮影。

さて、松崎駅があるのは鳥取県湯梨浜町。そして、リン所員の車に乗っておりますと、何やら中国的な建物が見えてきました。これは、東郷池に面した場所にある燕趙園という場所。何でここで中国式庭園なのかは「?」ですが、多少気になりつつ、先へ進みます。

そして三朝(みささ)町内に入り、三徳山と額が掲げられた鳥居をくぐります。

そして三仏寺(さんぶつじ)に到着。前回の記事で紹介した国宝の投入堂(なげいれどう)へ向かいますが、まずここで服装チェックが行われ、三人とも靴にダメだしをいただいたほか、実はどんなところかも調べずドッキリを期待してきたゼニガタ所員は山を登る格好ではなかったため、服装のすべてにNGが出ました。

・・・とは言え、幸いにも草履を購入するだけで入山の許可が出ました。草履なんて生まれて初めて履きました。う〜む、足がスースーして寒いです。

ちなみに登山しない方は、この本堂を見たら終了です。ちなみに江戸時代後期の建築で、鳥取県の指定保護文化財です。

さて、入口でございます。とりあえず最初は何の変哲も無い山道。

・・・と思ったら、いきなりこれ。え、何?これ登るの!?

十一面観音堂が見えてきました。江戸時代中期の建築で、鳥取県指定保護文化財です。で、写真右手を登っていきます。このあたり、カズラ坂と呼ばれるエリアだそうです。

これもどこを登れば良いのか。写真だとあまり急角度には感じませんが、現地で見上げると声を失います。

続いて文殊堂が見えてきました。1580(天正8)年の建築で、国の重要文化財に指定されています。これを見るだけでもかなりの迫力。

そして文殊堂の脇、ほぼ垂直の崖をクサリをつかみながら登っていきます。クサリ坂と呼ばれる難所の1つです。まあ、持つところがきちんとあるだけ、先ほどまでのカズラ坂より幾分マシです。 (上写真はリン所員撮影)

5 そしてまた、何処か道なのかよく解らない場所を登りながら、地蔵堂が見えてきました。室町時代後期の建築で、国の重要文化財に指定されています。

んで・・・うげげ・・・な雰囲気。ただ、ここの場合は少し下に脇道らしきものはあるので、落ちても死ぬことはなさそうです。

反対側を振り返るとこんな感じ。(*注:帰りに撮影)

続いて鐘楼堂が見えてきます。ここまで鐘を運んできた人は偉い!

で、これを超えていきますが、もはや大したレベルではありません。

続いて最後の難関、馬の背・牛の背と呼ばれるエリアへ。リン所員の後姿と比較していただけると解りやすいですが、まるで平均台を進むような感じ。左右は崖になっておりますので、バランスを崩すとさようならです。

さて、いよいよもうあと一息。こちらの納経堂は鎌倉時代後期の建築で、国の重要文化財に指定。

こちらは観音堂で、1648(正保5)年に鳥取藩主池田光仲によって再建されたもの。鳥取県の指定保護文化財に指定されています。

その隣にある元結掛堂。観音堂と同じ頃に造られたもので、やはり鳥取県の指定保護文化財です。

そして、ラストが投入堂。平安時代後期に建造され、国宝に指定されたものです。なんという猛々しさ。こんなところに造ろうとよく考えたものです。そして、よく崩れ落ちずに建っているもの! さて、ほっと一息入れて感動に浸りますが、当然帰らなくてはなりません。

登るよりも降りるほうが恐怖でした。挙句に、途中ではどの道を登って来たかさえ不明になる始末。ともあれ、何とか本堂まで戻れました。

さて、本堂の前には立派な馬の象と、その下に小さなお地蔵さん達が並んでいます。何やら、お供えものもしてありますね。

え!?「けいおん!」だって? お地蔵さんとコラボしているとは思いませんでした(違。 侵略のスピードはケロロ軍曹やイカ娘より遥かに速いようです。

さて、雰囲気の良い三朝温泉街を抜けまして・・・。

倉吉市内に入りまして、こちらのお店に向かいます。

こちらでリン所員お勧め、牛骨ラーメンを頂きました。こってりしていないんだけど、牛のダシがタップリで少し甘みのある見事な味でした。東京や横浜では、ここのところ家系ラーメンのようなドロっとしたスープが流行っていて、これはこれで大好きなのですが、さらにその先を行くお気に入りになりました。

ちなみに近くには、田内城跡というのがありました。室町時代から戦国時代にかけて山名氏の出城として使われた場所のようです。 さて、続いて倉吉線の廃線跡を巡ります。

投入堂を見た後は、リン所員の案内で国鉄倉吉線の廃線跡を見ます。倉吉線は1985年4月1日に廃止された20kmの路線で、倉吉駅と山守駅を結んでいました。ちなみに倉吉市の中心部は、倉吉線の打吹駅が最寄でした。 さて、まずは山陰本線の倉吉駅からスタート。最近建て変わったようで、見事に美しい駅舎となっておりました。こんなの、JR西日本の駅じゃない・・・?

この辺りが倉吉線の発着場だった場所だそうですが、駅の建て替えですっかり姿を変えておりました。ホームの上屋も改築されたようですね。

さて、倉吉駅を出ると早速こんな感じ(倉吉駅方向)。かつての線路敷地はアスファルトで舗装されています。

足の部分は埋まっていますが、こんな設備が残存していました。撤去しなかったのはワザとでしょうか?

なぜかチンゲンサイも放置。スーパーの袋から落ちたんでしょうねえ。

同じ場所で山守駅方向。

天神川を渡る倉吉線の築堤は残存していました。

そして最初の駅である上灘駅。写真は倉敷駅方向。

山守駅方向。

そして打吹駅跡。写真は山守駅方向で、そこそこ広い駅構内を持っていましたが、ご覧のとおり跡形も無く、公園のような状態になっています。

ちなみにC11形が保存されているほか・・・。

倉吉線鉄道記念館があり、倉吉線の写真などが展示。

こんな感じ。

5 さらには入れ替え用のディーゼル機関車も保存されています。

さて、打吹駅を出てしばらくすると完全に車道となり、面影は消えます。

そして西倉吉駅はホームが残存し、線路が僅かに復元されています。

続いて小鴨駅跡(倉吉駅方向)。

こちらは山守駅方向。

そして上小鴨駅(山守駅方向)。

駅前は、今でも何となくそんな風格が。特に大きな桜の木が、この場所が特別な場所であったことを示しています。

そして再び車道に統合されて面影は消えますが・・・。

しばらくすると、草に埋もれた空間へ(山守駅方向)。

さらに、随分と険しい場所を線路跡は進み・・・。

関金駅跡に到着。・・・が、跡地は駐車場!(山守駅方向)

ただし、駅前の風景は昔と変わらぬ雰囲気のようです。公民館は、駅前自治公民館を今でも名乗っていました。

そして、しばらくすると突如としてこんな場所が!(山守駅方向)

しばらく歩いて、倉吉駅方向を撮影。いやはや、見事です。

さらにその先も、線路は草に埋もれてしまっていますが、鉄道敷らしい雰囲気。

次の区間は微妙に線路を埋めているという不思議なゾーン。

その先は、ちょっとだけ線路が埋まらずに残っています。

トドメは泰久寺駅。ホーム、線路完全に残っています。当時から短いホームで、2両編成だと1両がはみ出すという・・・。

駅名標はレプリカで整備。ところで、これが駅前とは・・・。衰退したというより、当時からこんな感じだったという雰囲気。

そして終点の山守駅に到着。 桜の木が駅前らしい雰囲気ですが、周りには建物無し。

倉吉駅方向を向いてみますが、それでもこの通り。なんたる寂しさ。 それにしても、廃止から30年近く経つにもかかわらず、予想以上の健在振りでした。では、引き続いて倉吉の古い街並みを見に行きます。

さて、旧国鉄倉吉線の廃線跡を見た後に来た道を引き返し、通称「白壁土蔵群」と呼ばれる、打吹玉川の伝統的建造物群保存地区へ。・・・と、その前に付近にある旧明倫小学校を見ます。 ご覧の通り、一時期少しだけ流行った円形校舎の1つ。これは1955(昭和30)年に建てたれたもので、直径25m、鉄筋コンクリート3階建てです。今では数少なくなった円形校舎。老朽化もかなり進んでいるようで、先行きが心配されます。 2009年に解体という方針もあったようですが・・・。

では、古い町並みを見ていきましょう。こちらは国登録有形文化財の旧豊田家住宅。内部は公開されているようですが、時間の都合でちょっと省略・・・(泣)。

中国地方でよく見られる赤い瓦が特徴的な建物たち。

それほど手が加えられていない建物もいくつか。

この辺りが古い町並みのハイライトシーン?

個人的に特に気に入った建物が、この旧国立第三銀行倉吉支店。ちょっと洋風テイストを加えた土蔵造りの銀行建築で、コーナー部に入口を設置。ううむ、素晴らしいデザイン・・・!!

それから古い町並みから少しはなれた場所にある旧倉吉町水源地・ポンプ室・量水室。昭和7年から平成2年まで使われていました。こんな洋風建築もあるんですねえ。

そして福山に戻るリン所員と別れ、私とゼニガタ所員はキハ126系快速「とっとりライナー」で鳥取へ。と、その前に出雲市行きの「とっとりライナー」を撮影し、ビデオカメラでも撮影しようとしたところ、所長に悲劇が襲い掛かる。 ・・・カメラを落としてレンズ(18−55mm)がぶっ壊れる。 ・・・ビデオカメラは充電したつもりが充電できていない。

両方とも、きちんと気をつけていたつもりだったのですが、一瞬の気の緩みがこうなてしまうわけでして。レンズを失った所長、翌日に京都のビックカメラでやむなく代替品を購入するのでした。



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