2012年4月21日〜23日 花咲く京都北部(美山・舞鶴)&能登半島紀行


まずは21日の朝、いつもどおり(?)東海道本線の始発列車に乗って小田原駅へ。伊豆箱根鉄道大雄山線の5000系のステンレス車と、普通鋼車を撮影。普通鋼車は1へんせいしかいないため、ついつい小田原に来るたびに撮っているのですが、実はステンレス車こそ私はまるで撮影していないことに気がつきました。 たまには大雄山線もしっかり撮影してみよう。

そして場所は一気に京都へ。嵯峨野線(山陰本線)の花園駅で少々撮り鉄します。まずは、287系特急「きのさき」「まいづる」を撮影。ヘッドマークが無いと、何の列車なのやらという感じ。白一色の前面もちょっと・・・。フォルムは485系200番台に通じるところがあるだけに、何とも勿体無い・・・。

221系による普通列車。いまさらながら、もう少し113系を撮影してば良かったと、少々後悔が・・・。

続いてゼニガタ所員、ひょん君さんと合流して183系を狙いに胡麻〜鍼灸大学前間へ。まずは183系特急「はしだて」。

続いて、183系特急「きのさき」。なんと、まだ桜が満開でございまして、桜+183系という組み合わせが撮影出来て大満足です。

引きつけてもう1枚。特急「雷鳥」無き今、関西で見られる(ほぼ)国鉄特急色として、これからも活躍を続けてほしいものです。さて、撮り鉄は一旦終了し、別の場所へ向かいます。

あまりの疲労に、結局水曜日と木曜日は仕事終了→食事を作る→アニメを1本見る→気がつけば睡眠のパターンでした。最近、2泊3日がつらいです。やはり、加齢のせいですかねえ・・・。 さて、183系を撮影した後は、ひょん君さんとお別れして京都府南丹市美山にある「かやぶきの里・北山」へ。国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

茅葺屋根の民家が並んでいる姿から、一度は行ってみたいと長年思っていたのですが公共交通でのアクセスが悪く、悩みどころだったところ、とうとうゼニガタ所員の車で行くことができました。どうも有り難うございます♪

桜と鯉のぼりと大漁旗。

ここの特徴は、よくある土産物屋だらけの観光地的な雰囲気ではなく、あくまで普通に住居として今も使われているところが大半でした。

こちらは公開されている資料館。平成12年5月の火事で焼失したものの、平成14年8月に復元されています。

興味深いのは母屋の中に牛小屋があること。離れで飼っている例は珍しくありませんが、母屋の中に組み込まれているのは意外でした。

さて、こちらのパン屋さんで米粉のパンを購入。実は米粉のパンは初めて食べますが、あまりの美味しさに驚き。もちもちとした食感がすごくいいです。

自然体の雰囲気が今も良く残る美山。想像していたよりも規模は少々小さかった気がしましたが、昔ながらの生活を今も続けているのには本当に感動しました。

最後に、知井八幡神社に参拝。1767(明和4)年に建築された社殿が今も残り、彫刻は実に立派なものでした。では、次の場所へ向かうとしましょう。

美山の後は舞鶴へ。このあたりに来たのは通過も含めても初めてのことです。 さて、舞鶴市は田辺藩の城下町・商港から発展した西舞鶴エリアと、明治になって海軍の軍港都市として造られた東舞鶴エリアの2つに別れています。

これだけ市町村合併が進んだ昨今では珍しくない現象ですが、全く異質な都市圏が1つの自治体を形成しているのは、昔では少々面白いこと。 まして、普通は江戸時代からのお城があるところが行政の中心だったりしますが、舞鶴の場合は東舞鶴が行政の中心でもあります。さて、まずは西舞鶴で田辺城を散策。 田辺城は往時の姿から大幅に面積を縮小していますが、復元された大手門周辺は実に良く引き締まった印象です。

大手門の向かい側にあるのが舞鶴市立明倫小学校。なんと、藩校である明倫館に由来するもので、正門は当時のものが現存しています。ちなみにウィキペディアによるとギャル曽根の母校だとか。

西舞鶴駅も撮影しに行ってみました。なんとまあ、ガラス張りの素晴らしい橋上駅舎です。

周辺を少し見てみますと、北近畿タンゴ鉄道の車両が。うち1両(KTR700形)は、このような派手なデザインになっていました。「丹後ゆめ列車」ラッピング車だそうで、明るくて雰囲気が良いですね。

さて、車を走らせ東舞鶴エリアに進入。すると、C58 113号機が見えたので、ちょっと撮影することにしました。

するとこの場所、なんと中舞鶴駅跡だそうです。舞鶴線の支線である、通称「中舞鶴線」の終着駅で、建設当時は舞鶴鎮守府の兵員ならびに軍需資材の輸送を主な使命にしていました。1972(昭和47)年に廃止されています。

駅構内の現在の様子。基本的には駐車場のようですね。

で、この中舞鶴駅に隣接する丘にあるのが、舞鶴鎮守府の後裔である海上自衛隊舞鶴総監部。そして、ここにある舞鶴地方総監部大講堂(昭和8年築)は、海軍記念館として公開されており、守衛さんに一声掛けることで見学することが出来ます。

さあ、続いて車を走らせていきますと、赤レンガ倉庫が多数見えてきます。舞鶴旧鎮守府倉庫施設で、大半が国の重要文化財に指定されています。まず、こちらは旧舞鶴海軍軍需部第三被服庫(大正10年築)と、旧舞鶴海軍経理部衣糧科被服庫(明治34年築)2棟の合計3棟。いずれも現在、海上自衛隊舞鶴補給所倉庫として使用されています。

こちらは旧舞鶴海軍兵器廠魚形水雷庫(明治36)年築。現在は。赤れんが博物館として使用されています。中に入るといきなり、世界四大文明で使われたレンガが展示されており、目が点に。いやはや、レンガに関することなら、舞鶴と全く関係が無くとも、かなり貴重な資料が多数展示されていました。

旧舞鶴海軍兵器廠弾丸庫並小銃庫(左、明治35年築)、旧舞鶴海軍兵器廠雑器庫並預兵器庫(奥、明治35年築)、旧舞鶴海軍軍需部第三水雷庫(右、大正7年築)。

ちなみに先ほどの左の倉庫は、まいづる智恵蔵として活用されており、なんとDB10形入換動車が展示されていました。福知山運転所で2005(平成17)年まで稼動していたものを、舞鶴市が譲り受けたそうです。

ジオラマを見ますと、赤レンガ倉庫の分布が良く解ります。

別角度より撮影。一番奥の緑色の屋根の倉庫は、旧舞鶴海軍兵器廠予備艦兵器庫(明治35年築)。

さらに、旧舞鶴海軍需品庫需品倉庫など3棟・・・。ええい、もう面倒なので、そのうち舞鶴市を紹介するときに詳しいことは書きます。

旧舞鶴海軍軍需部第一需品庫(大正8年築)。

さらに、海上自衛隊舞鶴総監部近くの丘にある浄水場だったか。

ここからは海上自衛隊の艦艇も良く見えました。

さらに、今度は先ほどの赤レンガ倉庫群のある場所に戻り、道路を隔てた反対側にある北吸駅跡へ。かつての中舞鶴線の駅です。

近くに残る中舞鶴線の北吸隧道は、1904(明治37)年築。国の登録有形文化財に指定されています。 というわけで、とにかくレンガ、レンガ、レンガの東舞鶴は、圧巻といえる雰囲気でした。これで本日の旅行は終わりかと思いきや、まだまだ別の場所を(予定外でしたが)堪能していきます。

さて、東舞鶴エリアを堪能した後はゼニガタ所員の希望でJR小浜線の松尾寺駅へ。東舞鶴駅とは6.1kmも離れていますが、途中駅はありません!

偶然にも125系が発車するところだったので、後追い撮影を実施。

1面1線しかないものの、広い構内。戦前の第三海軍火薬廠鉄道側線、戦後は日本板硝子舞鶴工場の専用線があった名残のようです。

こんなものもありました。

綺麗に整備された改札口周辺。では、小浜に向かって出発・・・。

・・・と思っていたのですが、比較的近い場所に国指定重要文化財の三重搭(上写真、室町時代築)を擁する金剛院と、駅名の由来となった松尾寺が、駅前の観光案内図を見ると雰囲気が良さそうだったので、寄り道してみることに。なかなか、ここに来ることは無いですからね。 そして、期待どおり金剛院は素晴らしい空間でした。

本堂はこの長い階段を登っていく必要があるようです。まだ私は若い! ゼニガタ所員に見せ付けるべく、無駄に駆け足で行ってやります。

HONDO!・・・ゼェゼェ。

これまた彫刻が実に味わい深いもので、驚きました。昔の寺院建築は職人のこだわりが感じられていいなあ。

続いて松尾寺へ。駅名の由来にしては駅から非常に遠く、山奥を延々と進んでいくと見えてきます。なんと、ちょうど桜が満開でした。お寺の方によると、この時期にこんなことは無かったとのこと。しかも、実は雪も残っていました。

松尾寺は西国三十三箇所第29番札所。先ほどの本堂と、こちらの仁王門は京都府指定文化財で、江戸時代中期〜後期の建築です。

こちらも素敵な雰囲気。お寺の方とも色々お話しすることができ、素敵な旅の思い出となりました。

さて、松尾寺を辞して国道に戻ろうと道を進んでいましたら、こんな場所に。別に名所旧跡というわけではないですが、とにかくこの木何の木、気になる木。思わず写真に撮りましたが、皆さん如何でしょうか。

国道に戻り、小浜線に沿って進みますが、今度は小浜線の駅舎が気になり、先になかなか進めない。こちらは若狭高浜駅。

突如日が暮れてきましたが、若狭高浜駅を出た125系を撮影。

さらに、今度は若狭本郷駅が気になり撮影。1990年に開催された国際花と緑の博覧会(花博)で展示されていた「風車の駅」を移築したものです。

内部は木のぬくもりが感じられる素晴らしい雰囲気。

さらに実物大の義経号も展示されていました。

その後、夕食を食べた所長が猛烈な下痢に襲われるという、お馴染みのパターンも経験しながらも、ゼニガタ所員は無情にも「予定は変えません」と、本人のご希望で北陸本線の旧線跡(敦賀〜今庄)を車で走行。内心、「は、早くサービスエリア=トイレのある高速へ・・・」と思いながらも、車は無常に一般道よりも遠いルートを進みます。 しかし、歴史あるトンネルの中を車で走行できるとは面白い。

元々が単線なので、道路に転用されても一車線。そこで、上下の車が相互に走行するよう、トンネルの入り口は交互通行になるよう、信号で管理されています。面白いなあ。何しろ、1本のトンネルを抜けるのに5分程度かかるところが多いですからね。

そして山中信号所跡に到着。

・・・真っ暗・・・。

大桐駅跡に到着。

・・・真っ暗・・・。でも、ホーム跡が残っているのは解りました。 その後も、築堤の上を走ることになるなど、明らかに通常の道路の雰囲気とは異なる旧線跡の走行は実に面白いものでした。ゼニガタ所員、有難うございました。 そして夜22時に福井県えちぜん市に到着。駅前で一泊となりました。

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