2012年8月10日 伝馬町牢屋敷の発掘と築地の史跡&近代建築


本日は東京都中央区日本橋小伝馬町の旧十思小学校跡地にあった江戸幕府の伝馬町牢屋敷の発掘現場の公開のこと。今日と明日(11日)の午前11時〜午後4時、現地説明会が行われます。

ということで、職場の夏休みを利用しまして、馬藤所員と見学してまいりました。 この場所は、牢屋敷と言いますが現在の拘置所にあたる施設で、刑期が確定する前の者が入っていました。有名なところでは鼠(ねずみ)小僧次郎吉、平賀源内、吉田松陰らが入牢しています。

さて、この施設は1618年頃〜1875年まで存在しましたが、計16回の火災に見舞われ、何度も建て直しが行われています。そのため、遺構も色々な建物の跡が入り混じっているそうです。それでも、石垣が二重に張り巡らされていたことが解り、警固な構造であったことがわかります。

そして、ご覧のように上水道が未だ綺麗な状態で残っていることが解ります。

こちらは井戸の跡。

こちらも上水道の跡。

ちなみに旧十思小学校自体は今も福祉施設として使われており、1928(昭和3)年に関東大震災の被災を受けて鉄筋コンクリート造りで再建されたときの建物が現存しています。カーブさせた隅部、アーチ窓、半円形の円柱など、こちらも必見ですね。 なお、今回の発掘現場は、この建物の裏手で行われています。

さて、伝馬町牢屋敷跡の発掘現場を馬藤所員と訪れた際、タイムドーム明石(中央区立郷土天文館)のパンフレットを頂きました。中央区の郷土資料のほか、プラネタリウムもあるというので、地下鉄日比谷線小伝馬町駅から、最寄駅の築地駅へ直行。 駅から徒歩10分弱の場所にあるタイムドーム明石は、こちらの中央区の施設の一角に入居していました。・・・一角、というわけで、まあ小規模な施設です。それでも、先ほどの発掘現場で見たのと同じような、神田上水の埋枡と木樋を目の前で見られたのは収穫でした(撮影は禁止)。

このタイムドーム明石の反対側は、安政5年に福沢諭吉が慶応義塾を置いた場所とのことで、記念碑が建っていました。

その向かい側は、わが母校である立教大学(立教学院)発祥の地。

さらにこの場所、1875(明治8)年12月から1890(明治23)年3月まで、アメリカ公使館として使われていた場所でした。これは移転に伴い残された小松石の石標で、星、白頭鷲(アメリカの国鳥)、星条旗(建国初期の13州)をシンボル化しています。

ここは現在、聖路加国際病院旧棟として使われています。今回初めて訪れましたが、都心のど真ん中にあると思えないほど、巨大な病院でした。ちなみに現在の旧棟は1997(平成9)年に改築されたものですが、塔屋とチャペルを含む中央部分は1933(昭和8)年に造られたときのものが残されました。 ネットで調べてみると、背面とチャペル内部がまた素晴らしいものだそうで、改めて見に行ってみたいと思います。

敷地内にはこのほか、聖路加国際病院・トライスラー記念館というのがあります。これは、1933(昭和8)年に建築された聖路加国際病院の宣教師館です。設計はJ.V.W.バーガミニー。

そして、築地駅近くに戻るとこんな民家を発見。おそらく戦前に建てられた銅板張りの建築です。何だかんだ数を減らしながらも、都内のあちこちで見かけることが出来た・・・はずが、流石に最近になると取り壊しも進み、貴重になってきました。 当時としては何の変哲も無い建物だとは思うのですが、何とか今後も残って欲しいですね。

最後に、久しぶりに築地本願寺を撮影。1934(昭和9)年、伊東忠太の設計で建築された古代インド洋式の外観を持つ寺院です。何だか異世界に迷い込んだかのような雰囲気。決して、新興宗教の建築ではありません。

内部は和風が基本ではあるのですが、何とパイプオルガンを設置。1970(昭和45)年に(財)仏教伝道協会が寄進したもので、毎月最終金曜日のパイプオルガンランチタイムコンサートなど、様々なときに演奏が行われています。是非一度聴いてみたいものです。

さて、久しぶりの東京史跡めぐりに少々テンションが上がってまいりまして、勝鬨橋でも見に行くか!なんて思ってもいたのですが、やはり暑い。新宿三越アルコット跡にオープンした巨大なビックカメラの堪能に切り替え、さっさと帰ることにしました。

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