2013年2月2日〜4日 出水のツル、鹿児島交通跡と熊本城へ


この日は馬藤所員と共に飛行機で福岡空港へ飛び立ちます。

そして博多駅で氷川副所長、ゼニガタ所員と合流して、九州新幹線に乗って出水駅へ。鹿児島空港利用の方が賢明だったか・・・?という気がしないでもないですが、バスで約1時間30分もかかるとのこと。料金は圧倒的に安いのですが。

さて、出水にやってきた理由はツルの撮影。

さっそく、出水駅の在来線側に出てみますと、C56 92号機が非常に美しい状態で保存されていました。上屋根も立派で、これは凄い。

在来線は九州新幹線開業後、肥薩おれんじ鉄道に移管。JR時代の駅舎は、如何にも国鉄時代の地方駅舎という感じですが、もはや使われておらず、何やら工事が進められていました。

ちなみに肥薩おれんじ鉄道が建設した駅舎は、こんな小ぶりの駅舎。ちなみに、別にこの駅舎を通らずとも、新幹線の駅舎から延びる自由通路から直接各ホームにアクセスすることが出来ます。ある意味、新幹線から在来線の乗り換え利便性は非常に良いといえるでしょう。

さて、ゼニガタ所員にレンタカーを運転してもらいながら、ツル観察センターへ行きます。この日は何と、ナベヅルが9579羽、マナヅルが3593羽だそうで・・・。

なんと!

そして展望台からの眺め。天気が予想以上に悪いのが残念です。

が、しかし次第に晴れてきまして、撮影に気合が入り始めます。

しばし、様々なツルの写真をご堪能ください。











1羽ごとの撮影も面白いですが、編隊飛行風景も魅力的です。次から次へと飛び立っていくので、被写体には困りません。



飛び立つだけではありません。当然、新たな集団も飛来します。 これだけでも、あたかも戦闘機が上空を飛んでいるような雰囲気ですが。

うはっ!こりゃ凄いや。

何時間でも撮影に興じられそうな雰囲気でしたが、ツル観察センターでは実質的に展望台の上からしか撮影できないので、約1時間ほど堪能した後、今度は付近の田んぼに移動します。

ツル観察センター周辺の田んぼにも多数のツルがおり、こちらはかなり接近しての撮影も出来ます(しかし、驚かせないように注意しながら)。



釧路のタンチョウもよかったですが、こちらも負けず劣らず非常に楽しいものでした。来年も・・・また行きたいなあ。

ツルをたっぷりと堪能した後、出水駅に戻ってきました。駅構内で食事をしたあと、まずは新幹線の駅舎を撮影。在来線の駅舎とは全く異なる、立派な造りです。

続いて在来線である肥薩おれんじ鉄道の撮影に向かいます。出水駅は車両基地が併設されており、ちょうどHSOR-100形が入換え作業を開始していました。 肥薩おれんじ鉄道の車両は、これまで熊本駅でJR線に乗り入れてくる車両を撮影したことはありましたが、純粋に肥薩おれんじ鉄道線内で撮影するのは初めてです。

続いてイベント兼用車両であるHSOR-150形「おれんじちゃん」も撮影できました。

そして・・・熊本県が生んだ大人気ゆるキャラ「くまモン」とコラボした、「くまモン×おれんじーずラッピング列車」の撮影に成功!

ほっこりと癒されます。本当の熊は非常に取り扱い注意の動物ですが・・・。

一般塗装の車両との並びも撮影し、次なる場所へ向かいます。

やってきたのは、薩摩藩の武家屋敷が並ぶ出水麓伝統的建造物群保存地区。江戸時代、薩摩藩は鶴丸城(鹿児島城)を本拠地とし、領内各地にミニ城下町的なものを造って、武士を住まわせる外城制を採用していました。幕府による一国一城制度のため、城は建造しませんでしたが(もっとも、近くに中世の山城があること多いですけど)、薩摩藩の至るところに、こういう武家屋敷と軍事ネットワークが形成されていました。

鎖国体制の日本の中でも、特に他藩とは隔絶された環境を形成していた薩摩藩にとって(琉球との貿易は別として)、肥後国との国境線に近い出水は特に重要なエリアでした。整然と区画された住宅の配置が凄いですね。

さて現在、出水麓の武家屋敷は3軒が一般公開されています。 まずこちらは、武宮邸。

主屋は昔のものではないようで公開されていませんが、庭が見所です。

こちらは竹添家。主屋と厠は出水市指定有形文化財です。白壁や土壁ではない、というのもあって、他の地域の武家屋敷とは外観の雰囲気が随分と違います。

内部の様子。お客さんが複数いる場合、待っているお客さんは手前の座敷にいて、一方、家主との用事をお客さんは、縁側を通って玄関へ。お客さん同士が不必要に顔をあわせないよう、配慮した造りになっています。

もう1枚。

続いてこちらは税所邸。こちらも出水市指定有形文化財で、平成23年4月1日から一般公開されたもの。まだ公開から2年弱ですので、以前にここを訪問された人でも、見たことが無い人が多いかもしれませんね。

ここの見所は、上座敷もさることながら・・・。

なんと屋内に設けられた弓的場。雨天時に腕がなまらないよう、練習する場所だそうです。さすがは薩摩藩の武士、いかなる時でも鍛錬は欠かしませんね。

一般公開されているのは以上の3つですが、そのほかの見所としては鹿児島県指定有形文化財の出水御仮屋門。御仮屋は藩主が地方を見て回ったり、参勤交代の途中で宿泊する際に使用した屋敷です。 ちなみにこの門は、江戸時代初期に薩摩藩主の島津義弘が、国境近いこの出水で自ら隠居しようとして、帖佐(ちょうさ、鹿児島県姶良市にあった地名)にあった門を移築したものと伝えられています。ちなみに、結局は島津義弘がここで隠居することはありませんでした。

また一般公開されていませんが、宮路家はNHK大河ドラマ「篤姫」のロケ地として他の武家屋敷と共に使われ、趣のある住宅と門が残っています。

こちらが武家屋敷マップ。門はどれも同じような形なので、さすがに全てを撮影しようという気持ちにはなりませんでしたが、これだけ残っているというのは感動ものです。

そしてゼニガタ所員運転の車で、氷川副所長が予約した霧島ホテルに着きます。同じ鹿児島県内ですが、出水から霧島はまた随分と遠い・・・。ちなみに途中でJR山野線(鹿児島本線の水俣駅から肥薩線の粟野駅までを結んだ路線)の廃線跡を見つけてゼニガタ所員と喜ぶも、肝心の撮影を忘れるという。 さて、この霧島ホテルは硫黄谷庭園大浴場が何といっても魅力的で、本当に広く、しかも一部は立ってお湯に浸かることもできます。

また、坂本龍馬と妻のおりょうの新婚旅行ルートに位置し、龍馬が姉の乙女に宛てた手紙のレプリカが展示されていました。さてさて、この温泉にも入ったのでしょうか?

さて鹿児島旅行2日目。名残惜しいですが霧島温泉を出発します。辺りはこのような状況で、何といっても硫黄のにおいが凄いものでした。

続いて霧島神宮へ向かいますが、途中で立派な滝を見つけたので撮影。 丸尾滝というもので、高さは23m、幅16m。硫黄谷温泉から湧いている温泉が混じっているため、滝つぼが青白くなっているのが特徴だそうです。それも凄いですが、岩肌が割れ目が並んだような形の、柱状節理(ちゅうじょうせつり)になっているのが圧巻です。

そして一同は霧島神宮に到着。2006年5月にデュークさんと一緒に訪問して以来です。相変わらず朱塗りの社殿が美しいですな。

続いて鹿児島市内に向かいますが、電車で行っても、車で行っても遠い・・・。ただ、今回はゼニガタ所員の運転で車移動だったので、たまたま竜ヶ水駅付近に来たところで、特急「きりしま」の通過時刻であることが判明。撮影してみました。

今や特急「きりしま」も787系化。未だに「つばめ」の印象が強い787系ですが、九州各地で汎用的に活躍する車両になりましたね。

ホームにはこんな記念碑がありました。詳しくは・・・ウィキ先生にでも聞いてください。

さらに線路沿いに鹿児島方面に進むと、西郷隆盛蘇生の家というものを発見。

詳しくは写真にて。ええ、手抜きでスミマセン・・・。

そして日豊本線の車窓からも見える、仙巌園へ!ここは、薩摩藩主島津氏の別邸跡とその庭園です。一度は行きたいと思いながら、4回目の鹿児島市来訪でついに実現しました。天気も非常に良いですし、今まで訪問を先送りしていて、良かったかも・・・??

この場所は、幕末に藩主の島津斉彬が敷地の一部を使ってヨーロッパ式製鉄所やガラス工場を建設。当時、日本でも極めて先進的な技術を持った場所でもありました。

もちろん景色も立派なもので、桜島もよく見えます。

さすがは鹿児島、梅も咲き始めていました。

また、隣接する尚古集成館は1865(慶応元)年に島津斉彬の命で建てられた機械工場。国の重要文化財に指定されています。明治維新前後なら分かりますが、慶応元年の段階で、こんな工場を建てさせてしまうとは、島津斉彬の先見性に改めて恐れ入りました。

さらに鹿児島駅方面へ向かうと、何やら橋が見えてきました。石橋記念公園に保存されているもので、江戸時代後期、島津重豪の命で甲突川(こうつきがわ)に架けられた5つの石橋のうち、3つを移設保存しています。 惜しいことに、1993年の洪水で残る2つは流され、残った3つの保存をどうするか・・・ということで、このような保存になったのだとか。上写真は高麗橋。

こちらは玉江橋。ちなみに、この場所は幕末に薩摩藩とイギリスが戦った、撮影戦争の舞台の1つだそうです。もちろん、橋は関係ありません。

残る1つが西田橋。

西田橋の前には西田橋御門が復元されています。江戸時代は、ここでチェックを受けないと橋の通行が出来なかったのだとか。

さて、ようやく鹿児島市中心部に入ってきました。旧鹿児島県庁も久しぶりに撮影。

そして鹿児島総合車両所の周辺をウロウロ。415系、キハ40系、717系という国鉄型の並びを撮影することが出来ました。

こちらは廃車待ちのようで痛々しい姿に。717系も運用は殆ど無く、今では撮影も困難のようで・・・。

そしてここで、キハ40系特急「指宿のたまて箱」を初撮影!

指宿枕崎線のキハ200系も撮影します。

そして鹿児島中央駅で氷川副所長とお別れし、さらに鹿児島市電の車庫をウロウロ。こんな塗装の車両がいました。

様々な車両が集う鹿児島市電ですが・・・。

レトロな旧型車両も今でも多数在籍。

2120形のうち、鹿児島市電の標準色に塗られている車両にも遭遇しました。

ここで、旧鹿児島紡績所技師館という近代建築を撮影し忘れたことに気がつき、しかもそれが仙巌園のすぐ近くというので、何とも「勿体無い!」と思いながらも、引き換えします。1867(慶応3)年の建築で、外国人技師のための宿舎でした。 和洋折衷ですが、一部が張り出しているなど、設計者の心意気が感じられますね。

最後に、鹿児島駅近くで787系特急「きりしま」を撮影し、本日の撮影を終了。宿泊先へと向かうのでした・・・。


↑ PAGE TOP