2013年3月2日〜4日 485系特急「白山」と国鉄色381系特急「くろしお」を撮る


長野から一気に新宮に移動し、本日はデューク所員、ひょん君最高顧問に加えて、前日から新宮入りされていたネオン所員と合流。

まずは新宮駅のホームに行ってみます。早速、スカイブルー1色に塗られた105系に出会います。違和感の多いJR西日本の単色化ですが、この色は103系でお馴染みであることもあり、珍しく違和感ありませんね。まあ、前面にブラックが入っているので、厳密には単色ではないのですが・・・。

前日に新宮に到着した381系国鉄色はホームから簡単に撮影可能。このあと、撮影会が行われますので、後ほど参加することにします。

こちらはリニューアル色の381系「くろしお」。こちらの塗装も好きですね〜。この頃まではJR西日本のデザインセンスは秀逸だったのに、単色化といい、287系のノッペリとした顔といい、最近はどうした!?

さて、続いてDD51形が牽引する鵜殿貨物を撮影するために、隣駅の鵜殿駅に向かいます。隣駅とは言え紀勢本線の列車本数が極端に少ないので、タクシーで移動。また、駅舎は無人駅ですがJR貨物の方々が待機して、列車の進入に備えています。

まずはキハ11形が入線。なんという編成美!?

そしてキハ85系特急「南紀」が通過していきます。

続いて日本通運のスイッチャーがやってきて・・・。

そしてやって来ました、鵜殿貨物。何と幸運なことに、DD51形は国鉄色でした。ちなみに鵜殿貨物は、愛知県稲沢市の東海道線稲沢駅と紀宝町鵜殿の鵜殿駅の間を一日一往復運行する列車で、「北越紀州製紙」が鵜殿にある紀州工場で製造した上質紙や包装用紙を東京方面に輸送するために運転されています。

しかし、新宮市の新宮港に保管倉庫を建設して、船便輸送に切り替えることから、3月16日のダイヤ改正で廃止されることになったものです。廃止ぎりぎりになって、ようやく撮影することが出来ました。実は、国鉄色「くろしお」もさることながら、鵜殿貨物も今回の旅行の大きな目的だったり・・・。

ちなみにコンテナは1個だけコレでした。

さて、DD51形からスイッチャーに牽引機が変わり工場内への引込み線を進みます。

3月16日以降は、この路線も撤去に向けて動くのでしょうね。残念です。

ちなみに鵜殿駅には切り離された、DD51形が待機していました。撮影し放題。

今度は紀勢本線のキハ40系に乗って、新宮駅に戻ります。

そして新宮駅構内で、381系国鉄色の撮影会が開催。

イベントの一環で、381系の幕回しを実施。多くのファンが紀勢本線系統のトレインマークを期待する中、最初に出てきたのは何と「まいづる」。 いや、コレは非常に貴重ですよ。実際に運用は無いですから。

ただ・・・。

既に福知山の幕に交換されているとなりますと・・・。

それ以上珍しいものは無いわけで、しかもこれを30分かけてゆっくりと幕回しだったので、何ともいえない微妙な空気が辺りに漂っていました。

さて、ひょん君さんは283系特急「くろしお」で帰還。

残る3人は国鉄色「くろしお」を撮影しまして、続いて新宮市内を観光していきます。

国鉄色の381系特急「くろしお」を撮影した後、駅前に出て少々観光することにします。まず、駅を出て直ぐに中国式の鮮やかな楼門が見えてきます。これは、1994(平成6)年に造られた徐福公園。 徐福とは、秦の始皇帝に「不老不死の薬が東方の蓬莱・方丈・瀛州にありますよ」と具申して、数千人と財宝を与えられて東方に船出したと云われている人物で、日本各地に徐福の足跡が伝承として残っています。この新宮もそのうちの一つで、ここには江戸時代に建立された徐福の墓などもあります。

続いて自信たっぷりに私が道を間違えたところ、こんな不思議な形の住宅を見つけました。何とこれ、国の重要文化財に指定されている西村家住宅。1914(大正3)年に建てられたもので、文化学院(東京都千代田区)の創設者で、住宅作家としても著名な西村伊作が、自ら設計・監督した自邸です。

だいぶ汚れているのが難点ですが、日本ではあまりお目にかかれない、独特な形状なのが印象的ですね。

現在は西村記念館として一般公開されており、西村伊作が自らデザインした椅子などの調度品と共に、各部屋を見ることが出来ます。

こちらは2階にある一室。このほか、和室もありました。

向かい側のこちらの洋館も、非常に気になる物件です。

さらに、近くにある新宮城跡を散策します。

現在はこの範囲が残っているわけですが、石垣がかなり立派に残っていることが、お分かりになると思います。

その起源は、平安時代に源為義(※源頼朝の祖父)と熊野別当の娘の子である丹鶴(たんかく)姫の住まいがあったとされていますが、直接的には1618年に、紀州藩主浅野長晟の重臣・浅野忠吉が築城したことに始まります。

その後、徳川頼宣が紀州藩主(紀伊徳川家)になると、その付家老である水野重仲が新宮城主となり、水野氏の居城として明治維新を迎えました。建物は何も残っていませんが、石垣はご覧のとおり。

熊野川も良く見え、なかなか風光明媚な場所です。

さて、新宮駅に戻って単色化された105系を撮影。うむ、これも違和感無し。

そして名古屋へ戻るネオン所員とはお別れし、私とデューク所員は381系特急「くろしお」に乗車し、大阪へ向かうのでした。

「くろしお」車内には、こんなユニークな座席も・・・。

沿線の景色は絶景ですね〜。

昨日に引き続いて、ひたすら乗ってばかりではありましたが、このあたりの区間も初めての乗車でしたので、非常に楽しめました。

そして天王寺で下車し、201系と221系の並びを撮影。う〜む、このLEDは・・・何度見ても微妙。繰り返しになりますが、最近のJR西日本はどうしちゃったのか!? まあ、それはそれとして。 翌日も性懲りも無く、大阪や京都界隈で撮り鉄します。1月の弊サイト新年会で関西に来て以降、3月のダイヤ改正まで来る予定は無かったのですが、どうしてこうなった!?


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