2013年4月13日〜15日 北陸三県+安土城の旅

〇4月13日


まず初日は、大宮駅で馬藤所員と合流し、上越新幹線と特急「はくたか」で富山駅へ。京都からやってきたゼニガタ所員と合流します。 とりあえず富山地方鉄道を撮影しに行こうか?程度のノープラン状態だったのですが、ちょうど485系特急「北越」が上下共に入線する時間に近かったので、富山駅で撮り鉄することに。 まずは青1色になった413系と、新鋭521系を撮影します。

北陸本線全線開通100周年の記念ステッカーが貼られていました。

続いて高山本線のキハ120形を撮影すると、ラッピング車両でした。

そして485系特急「北越2号」を狙うと、なんと国鉄色のT18編成!

これは非常に嬉しい出来事でした。

新潟方は、運転台上のライトが特徴的なクハ481−1500番台。

続いて683系特急「しらさぎ」を撮影。北陸新幹線が金沢まで開業すると、この「しらさぎ」も金沢止まりになる可能性が高いため、しっかり撮影しておきます。

続いて、485系特急「北越3号」を撮影すると、こちらも国鉄色のK2編成。いやあ、そういうこともあるんですねえ。撮影条件が悪かったのが、悔やまれます。

さらに、413系と・・・。

さすがに勢力大幅減少中の475系を撮影。

そして全くノーマークだったのですが、キヤ141系に遭遇!

ゼニガタ所員はよく見かけているそうですが、私は初撮影でした。 どうも、ご馳走様でした。

さて、富山駅は絶賛改築中。

新駅が威容を表すのは、まだまだ・・・といった感じですね。

そして駅前でセントラムを撮影し、続いて富山地方鉄道の電鉄富山駅に向かいます。JR富山駅改築の影響で、随分と距離が遠くなり、乗換えが不便に・・・。改築後は解消されるでしょうか?

JR富山駅で撮り鉄し、続いて富山地方鉄道の電鉄富山駅へ。ここ最近、郊外線の車両を撮る機会はあまり多くなかったので、ゼニガタ所員とガッツリ撮影することにします。まずは、京阪3000系(8030系)を改造した10030形。 富山地方鉄道オリジナルカラーに塗られていますが・・・。

・・・韓国鉄道公社(KORAIL)の旧塗装に見えるのは私だけでしょうか?

続いて、10030形の京阪特急色が来ないものかと思っておりましたら、直ぐに入線してくるという、ミラクルを達成。路線が複数あり、距離も長い富山地方鉄道で、特定の車両をピンポイントで当ててしまうとは。

2種類の塗装の並びを撮影します。

さて、電鉄富山駅を出発しまして、今回は上市駅まで乗車してみることにしました。早速、美しい桜並木が出迎えてくれます。北陸は、我々が訪問した頃が桜の最後の見頃だったようです。

そして上市駅に到着すると、14760形がまさに出発するところでした。富山地方鉄道オリジナル車両で、1979(昭和54)年に製造。塗装は旧塗装ですが、もう20年ぐらい旧塗装も存続。どういう基準で旧塗装と新塗装を使い分けているのでしょうか?

ちなみに上市駅はスイッチバック方式の駅。写真奥が電鉄富山駅方向で、宇奈月温泉駅方面は写真右手にカーブしていきます。

上市駅ホーム全景。

まさに一時代を築いたコンクリート建築といった感じの駅舎。今となっては老朽化が目立ちますが、完成当時は上市町に輝く、モダンな駅舎だったことでしょう。 ちなみに駅に入居しているパン屋が非常に綺麗な店構えで、そして私好みの非常に美味しい味でした。

さて、上市駅にやってきた理由は、西武鉄道のレッドアローを改造した16010形の並びを撮影すること。しかし、電鉄富山行きの列車は10分遅れとなって上市駅で並ぶダイヤとならず、どちらにしても両列車とも14610形による代走でした。

ということで、何だかモヤっとしたまま、電鉄富山駅に引き返します。

そして富山市科学館に行っていた馬藤所員を改修し、富山市の中心部をゼニガタ所員の車で走っていますと、富山地方鉄道軌道線のT100形「サントラム」の第1編成(左)と第2編成(右)を発見。第2編成が少々日陰になってしまったのは残念でしたが、見事に離合シーンをゲットしました。

ちなみに第2編成は単体でも撮影。富山市の鉄道風景は、近年急速に変わっていきますねえ。

さらに富山城の近くで、車の中から9000形「セントラム」を撮影。

そして富山大橋を渡りまして、西へ向かいます。ここの路面電車区間も、非常に美しいですねえ。

路面電車は、こちらの大学前駅が終点。なんだかこの風景も、比較的最近にリン所員と見たような気もしますが、今回は奥にある山にある白鳥城という戦国時代の山城を散策に行きます。

撮り鉄を堪能したら、今度は史跡めぐりモードに切り替えます。本当は、富山地方鉄道をさらに撮影したかったところですが、城跡や古建築なども気になってしまうのです。 さて、訪れたのは富山市の西方にある呉羽山。上地図の左側が北なのですが、呉羽山の南部にある白鳥城という山城を見に来たのでした。すると、地図を見ていると富山市歴史民俗民芸村、内山邸など、色々な見所がありそうなことを発見。高岡で撮り鉄、という計画もあったのですが、この機会に呉羽山周辺を見て回ることにしました。

さて、白鳥城とは何ぞや?・・・手抜きですが、解説板でどうぞ。

江戸時代には使われていなかったようですが、富山城を見下ろせる場所にあり、長い歴史を持つ城です。現在、富山市中心部や立山連峰が一望出来まして、これは見事な景観です。

望遠で富山駅周辺を。

城跡は山頂付近まで車で上がることが出来まして、さらに様々な「郭」(くるわ)を散策可能。山城らしい、その縄張りも堪能できます。

各郭は綺麗に整備されているので、山城初心者でも安心。また、空堀も一部に残っており、往時の面影を今に伝えています。

そしてこの日は桜が満開。東京タワーのような鉄塔群と桜の組み合わせです。

桜をもう1枚。

続いて富山市民俗民芸村へ向かいます。一旦山麓に下りてから向かうことになり、JR高山本線と交差。ちょうど、キハ85系特急「ひだ」がやってきたので撮影します。

富山市民俗民芸村は複数の古建築と、小規模な建物による博物館群を構成。展示内容はテーマ性に「?」だったりするような、微妙なものが多かったですが、売薬資料館と古建築は素晴らしいもの。また、昭和40年代という、早い段階から少しずつ古建築の移築をはじめており、おかげで数々の富山の古建築が救われたことは特筆に値します。 こちらは富山を代表する売薬商家「密田家」の土蔵で、江戸時代中期の建築。

こちらは、富山市山田数納(すのう)(旧山田村数納)に建てられた山岸家の合掌造の家を移築したもの。1862(文久2)年の建築です。

内部の様子です。

こちらは1879(明治12)年に建てられた、中田家の板蔵。岐阜県飛騨市(旧神岡町)より移築されました。

こちらは1894(明治27)年に建てられた豪農の住宅。富山県の平野部に建てられた切妻造民家「アズマダチ」の典型です。

立派な梁が特徴の内部。このほか、見所としては江戸後期に建てられた谷浦家住宅があったのですが、すっかり見落としてしまいました。ぐぬぬ、そのうち撮影に行かねばなりますまい。それか、CHさんあたりに・・・い、いえ何でもないです。

ちなみにこちらでも、桜は見事な咲き具合でした。さて、富山市をウロウロ・・・は、まだもう少し続きます。

続いて車の進路を北にとり、内山邸という古民家へ。既に入口からして随分と立派な風格です。

今は富山県民会館分館という扱いになっている内山邸は、基本的に慶応4年に建築(一部は明治期に改修)されたもので、国の登録有形文化財。内山家は、この地方の豪農で、江戸自体にはたびたび富山藩主も立ち寄っているほか、明治期には特に繁栄し、徳富蘇峰などの文人や、若槻礼次郎など政治家も訪れるほどです。

立派な大広間。

庭園も非常に立派で、いくら豪農の館が立派だとしても、これはもう風流の世界です。しかも、茶室は3つもあるという・・・。

窓の外には立派な「しだれ桜」が。

見事なものでした。

さて、時刻は17時前になりました。しかし、まだ撮影できる時間帯だったので、富山ライトレールの岩瀬浜駅近くへ。立山連峰と富山ライトレールの組み合わせを撮影します。

こちらは車両メインで。

岩瀬浜駅でも撮影してみました。

富山ライトレールは次々とやってきますし、色々なカラーバリエーションがあるので、撮影していて飽きませんね。デザインも秀逸です。

さて、岩瀬浜駅の東側は三菱レイヨンの巨大な工場が広がっているのですが、ここの桜並木がそれはもう見事な規模でした。壁さえなければ、さらに見ごたえがあるのですが、さすがにそれは無理な相談ですね。

さらに、岩瀬浜の古い町並みも少しだけ散策。2003年9月、2008年6月に来て以来の3回目の訪問です。何だか最近、2回目どころか3回目以上の訪問の場所も多い・・・。

・・・であるにもかかわらず、最大の見所である森家住宅は時間の都合で、未だに見られていないのですが・・・。本日は閉館時間だったのでアウト。

そして、馬藤所員は富山県営渡船を、私とゼニガタ所員は新湊大橋を堪能したあと、金沢へ。夜は劇場版「花咲くいろは HOME SWEET HOME」を堪能し、翌日を迎えることになりました。

ちなみに万葉線も越ノ潟駅で1枚だけ撮影。数少なくなった旧型車両も、元気に活躍してくれていました。北陸新幹線開業後、高岡駅周辺がさらに地盤沈下してしまうと思うのですが、万葉線は大丈夫でしょうか??


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