2013年4月13日〜15日 北陸三県+安土城の旅

〇4月15日


4月15日(月)、私とゼニガタ所員は福井駅前の東横インで目を覚ましました。有給休暇を取得して福井に残った理由は、平日朝ラッシュ時の福井鉄道を撮影すること。幸い、昨日も200形を撮影することは出来ましたが、基本的に大型の鉄道車両は平日のラッシュ時の運用で、休日を含め、それ以外の時間帯は路面電車タイプの車両が運用のメイン。

そこで、月曜日の朝に福井鉄道を狙うことにしていたのでした。 まずは、市役所前〜公園口間で撮影を開始。早速、880形が現れました。

そして、田原町方向から200形急行色が!

200形の1本目、あっさりとゲット。幸先のよいスタートです。

続いて770形。

880形コカコーラ塗装。

そして200形福井鉄道新標準色ゲット!これまでも撮影したことはありましたが、越前武生駅構内で留置されている姿しか撮影したことが無かったので、ついに走行シーンをゲットしました。 どうやら田原町に行って、折り返してくるようなので、追いかけることにします。

途中、このような立派な建築に出会いました。福井地方裁判所で、1954(昭和29)年の建築。戦後の建築ですが、戦前の建築のようなド迫力の重厚さです。コーナー部に入口を設け、塔屋を持っています。

そして、仁愛女子高校駅で200形福井鉄道新標準色を撮影。

さらに、200形福井鉄道旧標準色までやってきました。乗客は満員御礼状態で、仁愛女子高校駅で生徒をはじめとする通勤・通学客が大量下車します。

これで、3本いる200形は全て撮影完了。目的を達成し、撤収を開始します。

・・・と思ったら、600形も現れました。名古屋市営地下鉄の車両を改造したものです。地下鉄から路面電車への華麗なる転身!?

折角なので、田原町から折り返してきた600形に短区間乗車しました。

さらにJR福井駅へ。越美北線のキハ120形を撮影します。後ろは越美北線沿線の「一乗谷朝倉氏遺跡」を描いたラッピング車両でした。

一方、先頭は経費削減のために、なんと国鉄色(首都圏色)に塗られた車両。まさか、国鉄時代にツートンカラーから1色になった理由と同じ理由で、JRの車両が国鉄色の単色になってしまうとは。

ちょうど発車していく時間だったので、走行風景も撮影しておきます。

さらに、九頭竜湖の魅力を描いた別のラッピング車両が回送されてきたので撮影。思いがけず、越美北線のラッピング車両3種のうち、2つを撮影できました。

最近はJR西日本の各地でご当地ラッピング車両が多く、なかなか全部記録しきれないのが個人的に悔しい思いです。それでもリン所員などが数多く撮影してくださるので、車両図鑑は充実していますが・・・。

そして福井鉄道に狙いを戻して、赤十字前駅でデキ11を改めて撮影。日中にカジボーさんに撮影させてあげたかったです。

続いてゼニガタ所員の車で福井県内各地を巡って、福井鉄道の保存車両たちを撮影します。まずは、福井市内の下馬中央公園で撮影した160形(モハ161−2)。

そして福井市を抜けて越前市の今立地区へ。ネットの僅かな情報を頼りに、個人で保存されている120形を敷地外から撮影しました。車体に相当な劣化が見られるので、朽ち果ててしまうのは時間の問題でしょうか・・・。

さらに、やはり越前市で旧南越線村国駅跡へ。

これも個人で保存されているものですが、160形モハ161−1が保存されています。先ほどのモハ161−2とは2両連結で運転されていました。 さて、それでは高速に乗って滋賀県へ向かいます。

途中、北陸自動車道の杉津パーキングエリアへ。ここは、北陸本線旧線の杉津駅の跡地を利用しています。ちょっとした廃線跡めぐりですね。

見事な快晴。それでは、まだまだ旅行を続けましょう。

さて、当初予定では朝ラッシュ時の福井鉄道を撮影した後、近江国の戦国大名である浅井氏の本拠、小谷城という山城を散策したあと、長浜でカジボー所員と昼食し、関ヶ原古戦場を久しぶりに見る予定でした。 しかし、福井鉄道の保存車両を堪能しすぎたため、昼飯を長浜で食べた上で、小谷城と関ヶ原を両立させることは不可能。
 ・・・そこで突如として、織田信長の城である安土城を今まで一度も見たことが無く、いつか行ってみようと思いながらも実現しなかったことを思い出します。安土城であれば、関西空港から福岡に帰るカジボーさんの帰宅ルートにも位置する→連行してしまおうという、実に安直な考えから、思いついたが吉日、ゼニガタ所員に進行ルートを変更させ、すぐにカジボー所員にメールで強制招集をかけるという、悪魔ぶりを発揮するのでした。
 ちなみに今回行けなかった小谷城は、高速道路から上写真のように全景を撮影させていただきました。こちらも、いつか訪問したいものです。

ということで、長浜駅でカジボー所員を強引に車に乗せ、旧長浜駅舎を撮影。途中、これは横浜のサンマーメンじゃないか?と思われる近江ちゃんぽんを食べます。味は美味しかったのですが、長崎のちゃんぽんとは別物・・・。

 そしてやって来ました、安土城。この段階で実は、カジボー所員が関西国際空港から飛行機に乗る時間から逆算した、JR安土駅からの乗車時間に多少黄色信号が点灯していたのですが、初の安土城にすっかり興奮気味の所長は「大丈夫、大丈夫」の一点張りで、強引に登らせます。目上の方に、何と言うことを・・・。
 さて、まずは山ろくから見学。

そして、安土城大手道を登っていきますが、これは見事な山城です。写真左手に、羽柴秀吉の屋敷、右手に前田利家の屋敷があったそうです。

こちらが羽柴秀吉の屋敷跡。

屋敷の推定復元図。平地にドーンと構えているのではなく、これだけでも充分な砦のような構えです。

さらに延々と山頂を目指します。

山頂には安土城の天主がありました。今は礎石が残っているのみ。栄華を誇っていた安土城も、今は石垣が残るのみで、当時の建造物は無いのですね。

・・・と思っていましたら、なんと信長時代の建造物がありました。こちら、ョ見寺三重塔。元々は1454(享徳3)年の建築で、ョ見寺を安土城内に造るにあたって甲賀長寿寺から移築されました。国の重要文化財に指定されています。

さらにョ見寺仁王門は1571(元亀2)年の建築。室町時代に造られた金剛力士像と共に、国の重要文化財に指定されています。 これは非常に意外でした。安土城築城時の建築物が未だに残っていることにも驚きでしたし、比叡山焼き討ちなどで信長は一般的に仏教にあまり関心を示していなかったと思っていたので、わざわざ寺院を城内に建立するとは、思いもよりませんでした。

ということで、まさか今回行けるとは思っていませんでしたが、念願の安土城を初堪能。幸い、カジボー所員のタイムリミット10分前にJR安土駅に着きましたので、私の基準では合格ラインでしょう(爆。 ここでカジボー所員とお別れし、私とゼニガタ所員は引き続き博物館へ・・・と車を動かしたところで、月曜日なのでどこも休館であることが判明。結局、安土駅に引き返して、解散となりました。

東海道線に乗車中、彦根駅を撮影すると西武鉄道の新101系・301系が留置されていました。これから順次、近江鉄道仕様に改造される予定で、既に車庫には紫色にピンク色のラインに変貌した、驚きの車両もいました。 さて、またまた今回も非常に充実の旅行で、同行の皆様、本当に有難うございました。

↑ PAGE TOP