2013年5月25日〜27日 一畑電車・岡見貨物ほか鳥取・島根の旅

〇5月25日


 弊サイトのリン所員がしばしば撮影に出かけられている、DD51重連による通称「岡見貨物」(上写真)。山口線の新山口駅から山陰本線の岡見駅、そして三隅発電所(島根県浜田市)に向かう貨物列車を一度は撮影したいと思いまして、山陰へ出かけることにしました。 ところが岡見貨物は休日は運休。
 そこで月曜日に休暇申請を出して休むことにしたのですが、土日に何もしないというのも勿体無い。そもそも私にとって山陰は意外と縁遠い地域で、未だに全国の県庁所在地の中で、鳥取市内をじっくりと観光したことも無かったので(列車の乗り継ぎの合間に駅前で買い物したことはありますが)、まずは鳥取市へ向かうことにしました。

まずは京急で横浜から羽田空港へ。乗ってきた2100形は、KEIKYU BLUE SKY TRAINでした。

そして羽田空港2タミで鳥取行きの飛行機を待つ間、1タミにレンズを向けてスターフライヤーのエアバスA320を撮影。

さらに2タミ付近には全日空の八重の桜ラッピングジェット(ボーイング767-300)がいました。これは思わぬ収穫。

さて鳥取行きの飛行機に乗り、空からの風景を色々撮影しようと思っていたのですが、生憎の天候で下界は全く視界不良。そんな中、天橋立の上空は見事に晴れていまして、こんな写真を撮ることが出来ました。 欲を言えば、もう少しクリアな写真だったと嬉しかったのですが、致し方ありません。

さて、空港からの連絡バスで約20分、鳥取駅にあっという間に到着。空港からのアクセスは相当便利ですね。

そして鳥取駅で色々と撮り鉄します。色々撮影しましたので、代表的なものを抜粋すると、こちらの特急「スーパーはくと」は、先頭車両が谷口ジローラッピング車でした。中間車は撮影したことがありますが、先頭車両は初めて。

こちらは4両編成のキハ47形。

キハ126系による臨時快速「山陰海岸ジオライナー」。

素晴らしいラッピング車両で、こういうのが全国に広がってくれると嬉しいですね。

何だかんだでJR世代の車両も多く発着する鳥取駅ですが、主力はあくまでキハ47形。元々首都圏色が大勢を占めていた上に、単色化も進んだ結果、こんな風景まで展開されております。まさに国鉄時代!?

今回の旅行では、キハ187系を随分と撮影し、乗車もしました。正直、前面デザインのシンプルさはどうかと思いますが、初めて乗車してみると座席は快適、スピードも大したもので、私の中の評価は一変いたしました。 (上写真は特急「スーパーおき」)

さて、若桜鉄道の車両(WT3000形)が鳥取駅にやってきました。これに乗車して、因美線経由で若桜鉄道の終点、若桜駅まで初乗車します。

若桜鉄道の沿線風景というのが、何とも落ち着いた雰囲気で素晴らしいですね。写真は隼駅への入線シーン。

隼駅には北陸鉄道のED30 1と、JR四国からやってきた12系(オロ12 6)が保存されています。下車してじっくり撮影したかったのですが、2時間に1本しか列車が無いので、何とか車内の先頭から窓越しに撮影させていただきました。

さらに八東駅にはワフ35000形有蓋緩急車(ワフ35597)が保存されていました。2011(平成23)年に設置したそうで、人がいるように見えるのは人形です。 かつての貨物用の側線が、こういう形で活用されるのは感慨深いですな。

さあ、若桜駅に近づいてまいりました。

JR四国から購入した12系に出迎えられながら、若桜駅に到着します。

いや〜、これは素晴らしく趣のある風景ですね。

ピカピカの12系を撮影。本格的に活用される日が待ち遠しいもの。

こちらもピカピカのDD16 7号機。なんと、鉄道総合技術研究所国立研究所内で実験・試験を実施する際の車両移動用入換機だったものを2012(平成24)年12月に導入したそうです。

本日は地元のイベントで構内を運転していたC12 167号機。圧縮空気で運転できるようになっており、先ほどの12系やDD16 7号機は、SLの本格運転に備えたものでしょう。若桜鉄道で本格運転が開始されれば、素晴らしい被写体になること間違い無しだと思います。 ちなみに写真の貨車はト6。長野電鉄からやってきたそうです。いつの間にか、若桜鉄道の車両も随分と出自がバラエティ豊かに・・・。

さて、若桜駅は駅舎や施設の多くが国の登録有形文化財に指定されていますが、この若桜駅も例外ではなく、1930(昭和5)年の建築です。

若桜町の見所は、蔵通りの街並み。美しい土蔵が連続して続いている姿は圧巻です。が、何やら右に妙なものが・・・。

 う〜ん、よく地方で見られる公務員VS地元の構図だと思いますが、土蔵の維持に補助を!という話ならともかく、これだけ見ると「公務員の自己満足のために保存する気は無い、早く壊させろ」と読めてしまうわけで、観光客としては地元の人が地元の観光資源に気がついていないのか?と思ってしまいますね。
 いずれにしても、土蔵の維持は非常に大変だと思いますし、こんなPRをしながらも、この土蔵は綺麗に手入れされていたので、所有者の方は土蔵の保全に相当注力を払っているとは思うのですが、美しい街並みに少々水を差された気がしました。

メインストリートのカリヤ通りも僅かではありますが古い町並みが残っています。しかし・・・人がいないなあ・・・。

それでは鳥取駅に戻ります。今度はWT3300形です。

車内は最近更新されたらしく、青系統のモケットに交換。乗り心地も快適でした。また、途中駅から学生さんたちが大量乗車で、また駅ごとの乗降も多く、頼もしい限り。学生さんにとっては必須の鉄道路線ですね。

鳥取駅に戻ると、播但線カラーのキハ47形に出会いました。快速「豊岡」行きを掲出しているので、これも山陰海岸ジオライナーに充当されている車両のようです。

鳥取駅に戻り、路線バスで鳥取城へ向かいます。まずは展望台へ向かい、鳥取砂丘の遠景を撮影しますが、正直、展望台からの眺めは微妙。

展望台からはリフトで鳥取砂丘へ。リフトに乗ったからと言って景色が良いわけではありませんでしたが、広い道路を横断するのは爽快でした。

そして鳥取砂丘へ到着。おお、ラクダがいるのであります。

靴の中に砂が入ってくるのには閉口しましたが、恥ずかしながら鳥取砂丘は単なる広い砂浜だと思っていた私には、こんなに高低差と起伏に富んだ地形であるとは思わず、非常に新鮮でした。 観光客は一様に、馬の背と呼ばれる小高い部分を目指していきます。

馬の背に上ると、そこは日本海。天気もよく、素晴らしい光景でした。

さて、砂丘から土産物屋が建ち並ぶ広い通りに戻ると、近隣の名勝を巡るボンネットバスに出会いました。

 そして鳥取市内の循環バスで、鳥取市中心部にある鳥取城跡へ。1545(天文14)年頃、山名誠通(のぶみち)が天神山城の出城として久松(きゅうしょう)山に築城したのが始まりで、戦国時代には毛利一族の吉川経家が守る中、羽柴秀吉が鳥取城を包囲し、兵糧攻めで苦しめ、吉川経家が切腹することで城兵の命を助けることになり鳥取城は開城させたのは有名な話。 江戸時代は池田家が領有しました。
 基本的に城郭の機能は山麓にありますが、戦国時代は写真に見える久松山がメインで、江戸時代には頂上に天守閣もありました。ただ、1692(元禄5)年に焼失して以降は再建されていません。 久松山・・・登るべきか否か。これは大変そうです。

鳥取城跡は石垣や堀を除けば、当時の建造物は残っていませんが、1907(明治40)年築。皇太子(大正天皇)が山陰に行幸した際に、その宿舎として池田家が二の丸の下に建立した「仁風閣」があります。

フレンチルネッサンス様式の美しい洋館で、国の重要文化財に指定されています。

設計者は片山東熊。赤坂離宮や京都国立博物館を手がけた人物です。

ちなみにこの日は、結婚式で2階が使用されていました。写真左手では記念撮影を行っていますね。ええい、このリア充め。

さて、鳥取城は石垣は良く残っており、こちらは天守消失後に代用となった、二の丸三階櫓の跡です。

なかなか迫力のある光景。鳥取城、かなりの威厳があります。

何を血迷ったか、山上を目指してみました。しかし、歩きやすく整備されているわけではなく、そして望遠レンズなど重い荷物を抱えてた状態では無理がありました。 何より、この日は30度近い気温で非常に暑い!残念ながら、途中で引き返しました。ちなみに山上の天守跡までは、だいたい30分程度かかるとか。

続いて、鳥取城の近くを散策。こちらは、わらべ館という公共施設。1930(昭和5)年に建てられた旧鳥取県立図書館を外観復元し、1997(平成9)年に建てられたもので、「童謡・唱歌とおもちゃのミュージアム」がテーマの、子供向けの施設です。 内部には入りませんでしたが、多くの人で賑わっている様子が伺えました。

また、鳥取県庁の向かい側には箕浦家武家門が移築保存されています。鳥取に残る、貴重な江戸時代の武家屋敷の遺構です。

それでは、非常に満喫した鳥取市に別れを告げ、今夜の宿泊先がある松江へ向かいます。乗車したのは、キハ126系による快速「とっとりライナー」。事前に公開されているダイヤから列車を選択したので、決して偶然の出会いではありませんが、コナン列車が充当されていました。コナンファンとしては非常に嬉しいですね。 ちなみに車内は特に一般車と違いはありません。のと鉄道のように、声優さんが車内アナウンスをしているわけでもありません。

米子に着くと、反対方向の列車が姫新線色だったので途中下車。

姫新線色はこの後も良く見かけますが、2両編成のうち、鳥取方のみが姫新線カラーだったのが印象的でした。こちらは構内に停泊されていた、先ほどとは別の編成。

また、DD51形の工臨も停泊していました。これは思わぬ収穫。

また、伯備線のEF64 1042号機もゲット。欲を言えばEF64 0番台を撮影したかったのですが、3月改正で全滅してしまったので致し方ありません。今や塗装や番台に関係なく、EF64が撮影できること自体が貴重ですね。

 単色化された伯備線直通の115系がやってきました。下関から広島、岡山、そして松江まで全てが黄色一色の電車というのは、本当に面白くないです。 大した経費削減にもなっていないそうで、もう何度書いたか解りませんが、いい加減に元のリニューアル色に戻してほしいです。
 こういう色は、首都圏のように様々な路線がひしめき合う中、わかり易さで路線ごとにカラーリングを変えるとか、レアな色として撮影できたらラッキーみたいにした場合に使用するべきかと。

あの黄色一色を見た後、381系特急「やくも」を見ると、何だか救われた気分に?

ちょうど、上下の「やくも」の離合シーンが見られました。これも思わぬ収穫。

また、境線で運用されているキハ40系のゲゲゲの鬼太郎ファミリー列車(妖怪列車)が米子駅構内に回送されてきたので撮影。 今のラッピングになってからは初の撮影です。しかも今まで見たことが無かった、こちらのラッピング車。何と右は2012年11月3日に運用に加わった「砂かけばばあ」列車。

左は2012年9月29日に加わった「こなきじじい」列車でした。このほか、「鬼太郎」「ねずみ男」「ねこ娘」「目玉おやじ」の4種類が以前から活躍しています。本日は車庫でお休みだったので撮影できませんでしたが、これらも改めて撮影に行かねば・・・。

それから、キハ47形の3両編成に遭遇。何と、若桜行きでした。まさか山陰本線からの直通運用があるとは思いませんでした。若桜駅に着くころには夜ですので、撮影は厳しそうですが。

では、115系に乗って松江へ向かいます。

流石、西日本は日が長い!19時だというのに、まだ撮影できました。ということで、381系特急「やくも」を松江駅で撮影して、本日の撮影を終了しました。4両編成は短いですなあ・・・。


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