2013年11月9日 豊田車両センター公開と甲府の旅


本日は豊田車両センターまつり2013が開催されるので、出撃。これに加えて、先週松本に行く途中で、車窓から甲府駅北口を見ていたところ、3年前に訪問した時と大きく変貌し、レトロな街並みが突如誕生していたので、ちょっと見に行くことに。 気軽に散歩に行くような距離ではないと思われるかもしれませんが、休日の住居である日野から行けば、特急を利用で1時間で到着しますので、東京駅周辺へ行くのと所要時間は大きな違いはなかったり。 さて、まずは日野〜豊田間で485系ジョイフルトレイン「宴」を使用した臨時快速「快速秋の山梨お座敷紅葉&ワイン号」を撮影。11月2日〜17日の土日に運転されています。こういうジョイフルトレイン、一度乗ってみたいですね。

その4分後には勝田車両センターのE653系を使用した臨時快速「ぶらり高尾散策号」が通過。11月9日〜30日の土曜日に運転されるもので、常磐線の日立駅を6時47分という早朝に出発し、高尾駅に10時32分に到着するという、4時間近く乗りっぱなしのロングラン運用です。

そして豊田駅で馬藤所員と合流し、豊田車両センターまつりの会場へ。211系信州色が加わり、バラエティ豊かになりました。

ずらりと勢ぞろいした中央本線の車両たち。

189系M51編成と115系訓練車

115系C5編成(信州色)と人気のM40編成(スカ色)、そして211系N334編成。

115系M40編成は快速「富士河口湖」号のヘッドマークを装着し、そして211系N334編成はホリデー快速のヘッドマークの装着と快速幕を掲出。

首都圏でありながら、見事な国鉄型だらけの展示。115系はM5編成(スカ色)も加わって展示。

189系M52編成は、なんとホリデー快速富士山号のトレインマークを掲出。今後、M50編成が検査等で運用に就けない場合の登板が期待されますが、いつ実現するでしょうか。

左端の211系はN333編成。

E233系T1編成は様々な行先を掲出。私が見たときはホリデー快速日野行きを掲出。

休日に日野市に在住している身としては、非常に驚きの表示でした。

211系の側面は豊田行きを表示。かつての201系やE233系ではお馴染みですが、115系や211系では通常ありえない運用。

保守用車両も展示

庫内でも115系やE233系が展示。

115系M7編成は、ワイン号のヘッドマークを装着。さて、これにて会場を後にします。

続いて特急「かいじ」に乗車して甲府駅に到着。さっそくホームから北口を見ると、このとおりのレトロな空間が広がっていました。

以前どのような光景だったのか思い出しにくいのですが、そこで2010年10月に撮影した写真を見返してみると、甲府駅の東側の踏切から撮影したものがありました。うむ、何の変哲もない空間でしたね。まさか、これが一新されるとは。

EF64 39号機はいつもの定位置で停泊中ですが、背景が素敵な空間に。

それでは、甲府駅北口に出てみましょう。まず、このような丸太を組み合わせた巨大なオブジェがお出迎え。山梨県産の間伐材1500本を組み合わせて4月2日に製作したもので、造形作家で筑波大学大学院教授の國安孝昌さんの手によるもの。 第28回国民文化祭やまなし・2013の企画の一環で、11月18日から解体されるそうです。う〜ん、芸術ですねえ。

さらに甲府城の石垣も展示されていました。平成21年に出土したもので、石垣の積み方が良く解るよう、通常は目に見えない裏側も見えるよう展示しています。ご覧のように普段目にする石垣の裏側は、このような小さな石を沢山積んでいます。

ちなみにどの部分の石垣かというと、現地の解説パネルによると、清水曲輪の一部だとか。ご覧のように、中央本線は甲府城内を貫通する形で建設されています。

こちらは3年前に来た時にもありました、国指定重要文化財の旧・睦沢学校校舎(現・藤村記念館)。1875(明治8)年に、現在の甲斐市亀沢(旧睦沢村)に睦沢学校として建てられた校舎で、山梨県初代知事の藤村紫朗が積極的に奨励したとされる擬洋風建築、通称「藤村式建築」の1つです。 1957(昭和32)年まで学校として使用され、1961(昭和36)年まで睦沢公民館として使用されます。そして老朽化に伴い解体されるところ、保存の機運が高まり、甲府市の武田神社に移築されていました。 武田神社では木々に囲まれた薄暗い空間の中にあったのですが、2010(平成22)年に甲府駅北口に移築され、見事に開放的で明るい空間の中に。随分と印象も変わったものです。

続いて甲府城山手御門へ。こちらも3年前にはありましたが、2007(平成19)年に復元された新しいものです。奥がJR中央本線、その奥に甲府城本丸周辺が広がっています。

山手御門の後ろと線路の間は車道になっていて、レトロ調のボンネットバスが走行。

そして、振り向けばこのとおりの空間。甲州夢小路という施設群で、明治から昭和にかけての甲府の町並みをイメージして建設した商業施設。甲府市の老舗である株式会社タンザワが運営しており、今年の3月25日にオープンしました。 山梨県の伝統工芸品を扱う店や、県産の食材を使ったレストラン、美術館などがありますが、手前の蔵3棟などは空き店舗で、これからのさらなる充実が期待されます。

その中でも気になるのが、こちらの時の鐘。明治初期まで200年以上にわたり、住民に時刻を知らせていた「時の鐘」を推定復元したものです。 いやはや、まさか新規にこれだけのレトロ空間を整備してしまったとは。ちなみに写真を撮り忘れましたが、古民家も1棟移築され、商業施設に転用されています。どこの何かの説明がなく、随分と綺麗になっていたので、帰宅後に古民家だと知りました・・・。

続いて線路の南側に行き、甲府城を散策します。いや、先ほどまでいた空間も甲府城ではありますが・・・。

甲府城の南側から城内へ。

甲府城も年々復元が進んでおり、平成25年1月には鉄門(くろがねもん)が復元されました。これは、本丸の南西、本丸と天守曲輪(てんしゅくるわ)のさかいめにあった櫓門です。う〜ん、立派!!

続いて山梨県庁へ。こちらの旧本庁舎(現・別館)は1930(昭和5)年の建築です。

その向かい側には古い第一南別館が・・・と思っていたら、防災新館という巨大な施設に生まれ変わっていました。

こちらは1928(昭和3)年に建てられた県議会議事堂。風格がありますねえ。

そして甲府駅南口にやって来ました。この西側にあるのが・・・。

お馴染みの武田信玄の銅像です。 さて、引き続き甲府市内の史跡を散策することにしましょう。

甲府駅周辺を散策した所長&馬藤所員は、引き続き武田神社に行きます。

ご存知、武田信玄の本拠地である躑躅ヶ崎館跡に建てられたもので、甲府市を代表する観光名所となっています。

もっとも、創建は1919(大正8)年とのことで、意外と新しい神社・・・。

何度も来ているので、特段真新しいものはない・・・と思っていましたら、武田神社の東側で躑躅ヶ崎館跡の一部が復元されていました。

復元されたのは、かつての大手門前。大手門を守るための惣掘、土塁や石累などが見事に復元されています。

こちらは大手門前の石塁。手前は厩跡だそうです。 ちなみに、現在の武田神社は南側が主要な出入り口であり、甲府駅北口から真っ直ぐ向かうことができるのですが、これは神社を造るときに整備した参道であり、本来は東側であるこっちがメインルート。武田信玄などは、こちらから出入りしていました。 ・・・ということを、今回初めて知りました。何度も来ているのに、お恥ずかしい。まあ、城下町は館の南側に広がっていたようですが。

続いて、甲斐善光寺へ。こちらは9年前に来ており、久しぶりの訪問。前回は初代デジカメで撮影していましたが、今回は一眼レフですので、美麗な写真が期待できます。 この善光寺は、元々は現在の長野市にあったものですが、戦国時代に長野の善光寺平で武田信玄と上杉謙信が信濃の覇権を巡り、川中島の合戦を繰り広げる中、1555(弘治元)年に武田信玄が善光寺の組織と本尊ごと領内に善光寺を移し、さらに1558(永禄元)年にこの場所へ甲斐善光寺を創建したものです。 ちなみに本尊は武田氏滅亡後、織田家、徳川家、さらに豊臣秀吉が京都・方広寺の御本尊として祀っていましたが、秀吉死去直前の1598(慶長3)年に、元の場所に戻され、今の長野の善光寺として多くの人に親しまれています。 一方、甲斐善光寺も引き続き多くの人に親しまれ、現在でも立派な建築が当時の隆盛を物語っています。まず、上写真の山門は1767(明和4)年の建築。国の重要文化財に指定されています。

こちらは本堂。1796(寛政8)年の建築で、非常に立派な建築です。長野の善光寺と同じで、本堂下の真っ暗な通路を壁伝いに歩く「戒壇巡り」をすることができます。 年配のタクシー運転手さんによると、子供の頃の肝試しスポットとして、格好の遊び場だったとか。

最後に、甲斐善光寺から少しにしに歩いた場所にある東光寺へ。こちらは室町時代後期に建てられた仏殿が残り、必見。また、見事に見忘れましたが寺伝では蘭渓道隆の作庭とされる池泉鑑賞式庭園が本堂の後ろにあったそうです。

ということで、午後に手早く甲府市内の名所旧跡等を堪能し、日野に戻ります。甲府駅では、臨時快速として運用される485系ジョイフルトレン「華」が停車していたので撮影し、本日の撮収めといたしました。

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