2015年3月7日〜9日 さらば信越本線(長野〜直江津)の旅


信越本線(長野〜直江津)行ったり来たりの旅も、いよいよ3日目。この日は長野駅からスタートし、189系「しなのサンライズ」「おはようライナー」という、平日朝のみ運転のライナー列車を撮影することに。 長野駅は北陸新幹線金沢開業に合わせて、大規模に改築されました。長野新幹線開業時点では物足りない雰囲気だったのが、ようやく貫禄ある駅舎に進化しましたね。

駅舎内部も木のぬくもりを活かした構造となり、ずいぶんと変わりました。

さて、ホームに行くと115系スカ色。もうお腹いっぱい撮影していますが、機会があるならしっかり記録しておきます。

ちなみに所員3人が同じ場所で撮ることはなかろう、ということで私は安茂里駅で駅撮り。ゼニガタ所員、リン所員はそれぞれ安茂里駅の南側の沿線に散らばります。

115系天国。

それから、朝はDE10形牽引の貨物列車と・・・。

E257系による快速に・・・。

EF64形重連による貨物列車が続きますので、これらも目が離せません。



115系に混じって、E127系も登場。









続々と続く115系しなの鉄道車の中に、湘南色の115系も登場。そのうち、しなの鉄道でもリバイバルカラーとして塗られることでしょう。期待しています。

そして、189系N101編成による「しなのサンライズ」登場。ということで、この後の普通「妙高」もN101編成となるのですが、何故かそのことを失念していた所長は、リン所員に後ほど呆れられるのでした。

もちろん、しなのサンライズの後追い撮影も。

さらに211系を撮影した後・・・。

189系N102編成による「おはようライナー」を撮影。こちら、ダイヤ改正後も存続したようで、お陰で189系も2編成が奇跡的に残留することになりました。有難い・・・。

さらに115系信州色+湘南色。

これを記録した後、3人は再合流して次の場所へ向かうのでした。 私は連れて行かれるがままでしたが。

続いて、リン所員とゼニガタ所員に連れられてやってきたのは長野電鉄屋代線の松代駅・・・の跡地。屋代線代行バスが駅前に停車中でした。

さて、その松代駅と申しますと駅舎は未だ健在。今にも鉄道車両が入線して来るような雰囲気です。ちなみに、1922(大正11)年の建築。

駅舎にも入ることが出来ますが、空っぽの空間が廃線であることを感じさせられます。

何よりも裏手に回るとこのとおり。線路・架線ともには全て撤去されていました。

ちなみに、2011年12月にゼニガタ所員と訪問した時は、このような感じでした。今後、駅舎が保存されるのか不明ですが、たとえ電車が来なくなっても、大正時代から松代を見守ってきたのですから、末永く姿が見られることを願います。

ちなみに松代駅の周辺は、かつての松代城。折角なので、久しぶりに散策。

お二人の行程には、どうやら松代駅前の史跡巡りは後ほど紹介する1箇所を除いて無かったようなのですが、久しぶりに松代に来たのですから、手早く色々と見て回ります。こちらは、旧白井家表門。

松代藩文武学校。是非内部へ・・・と思いきや、改修工事中!以前に松代へ来た時にも見られなかっただけに、悔しい。

こちらは旧樋口家住宅。

旧真田邸(新御殿)。松代藩主である真田家の屋敷で、1864(元治元)年の建築。こちらも、以前に来た時に中に入ることが無かったので、ぜひ・・・と思っていましたら、時間が無いのだからいい加減にしなさい、ということで断念。

ただし、リン所員が目を付けていた旧横田家住宅という江戸時代後期の武家屋敷は見学。左が主屋で、右が隠居屋という構造です。

それから象山神社を見た後に、山寺常山邸という武家屋敷の表門を横目に見ながら、リン所員に先導されるがまま・・・。

何と、こんなところへ。話には聞いていましたが、以前に松代へ来た際にも行くことが無く、今回初めての突入となりました。

ここは戦争末期に政府機関と日本放送協会・中央電話局を移すために造られた巨大な地下坑道跡。

他にも近くには、大本営と皇居を移す予定だった舞鶴山などもあったそうで、そちらは見に行かなかったのですが(※非公開)、いずれも碁盤の目のように掘り抜かれているのが特徴的。そこまでして戦争を続けたかったのか、軍部は・・・という気持ちになります。

それにしても、よくこんなものを造ろうと考えたものです。数ある戦争遺跡の中でも、特に色々と考えさせられました。いずれにしても、これが見られて本当に良かった。リンさん、連れて行って下さり有難うございます。

松代を散策した後は、長野電鉄屋代線跡の信濃川田駅にやって来ました。おや、何やら電車が停車しております。

何と!・・・いや、存在は知っておりましたが、2000系が1編成まるごと放置されております。

また、3500系もいます。

この他に、モハ1000形1003号もいます。以前は小布施駅の「ながでん電車の広場」で屋根付きの環境で大事に保存されていましたが、突如として、ここで放り出されました。

元々は何らかの意図で、ここに車両たちを集めたのでしょうが、結果的には朽ち果てるのを待つばかりとなってしまったようです。 幸いにも、やはり「ながでん電車の広場」で保存された後、ここに放り出されたデハニ201、モハ604は、長野県松川村の安曇野ちひろ美術館周辺で2016年夏に開園する「トットちゃんの広場」へ譲渡されましたが、他はどうなることでしょうか。 (とはいえ、何でもかんでも保存するのは大変な話ですが・・・)

これとは別に、須坂市内の「トレインギャラリーNAGANO」で保存されている2500系を久しぶりに撮影。多少の退色は見られますが、大事に保存されているようで状態は良好でした。 東急5000系の貴重な生き残りです。これからも見られるといいですね。

そして、連れられるがままに小布施駅に到着。ここも久しぶりです。

前述のとおり、ながでん電車の広場が併設されておりますが、以前訪問した時と異なり、2000系が新たな主(あるじ)となっておりました。前述した戦前の電車が良いか、2000系が良いか・・・難しいところです。

そして、近くで1000系特急「ゆけむり」と・・・。

2100系特急「スノーモンキー」を撮影。ここはどこか?と錯覚したくなる光景ですね。まあ、それはそれとして・・・相変わらず2100系の新塗装が撮影できておりません。何かの機会に、改めて訪問せねば。

さて、ここで再び信越本線の撮影に戻ります。前日、前々日と恐ろしい数の鉄道ファンで埋め尽くされた古間〜黒姫間の有名ポイントに行きます。流石に、今日はファンは数名程度でした。



ここで後追い撮影ではありますが、189系普通「妙高」(国鉄色)を撮影。



さらに、新潟県内に戻りまして脇野田駅で115系スカ色を撮影。



115系信州色も合わせてゲットします。ダイヤ改正後は、基本的にどちらも姿を見せなくなるはず。新潟色の115系は、快速運用で少々来るはずですが。

さらに、脇野田駅の少し北側で189系普通「妙高」を改めて撮影。

脇野田駅移設に伴う信越本線の新線区間を走る115系、189系ともに撮影ができたことになりました。

そして直江津駅でレンタカーを返却し、ホームへ行きますと413系・・・しかも先頭が急行電車であるクハ455形を先頭にした編成と、えちごトキめき鉄道のET122形が。貴重な2ショットとなりました。

ET122形は試運転で停車していたようです。結果的には、この2週間後に乗ることになりますが、まずは記録・・・。

そして、485系3000番台による快速「くびき野」を撮影。最後の最後でようやく、トレインマークがきちんと表示されている編成に遭遇しました。

やれやれ、これで愛称図鑑用のネタも収集完了。

ここで北陸経由で京都へ帰るゼニガタ所員とはお別れ。リン所員も広島に帰るはずなのですが、特急「はくたか」乗り収めということで、北越急行〜上越新幹線〜東海道・山陽新幹線経由という、大回りで帰宅されました。 もちろん私も東京までご一緒しましたが、さすがに疲れましてほとんど無言での帰宅。ここまで撮影が出来れば第三セクター化前の姿の記録としては十分ですが、・・・ここまで撮影をすることになるとは思いませんでした。 さて、その2週間後には第三セクター化後の姿を求めて北陸へ向かいます。

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