2016年5月7日・8日 岡山のニューフェイス列車と南海のスターウォーズを撮影


GW中に引いた風邪が治りきっていない中、このまま寝て終わるのは残念なので岡山へ(←バカ。新幹線を降りて早々、宇野線ホームへ行くと115系湘南色がいました。岡山地区では今や大変希少な存在です。

さらに真っ黄色になった117系を撮影。こちらのE-07編成は下関からの転属車両で、当時は前面窓枠が黒かったのが特徴です。

213系

そして今回の目的の1つ、キハ40系を国鉄色ツートンカラーにした「ノスタルジー」を撮影。同じ国鉄色でも、やはり首都圏色よりツートンカラーのほうが味がありますね。この日は津山線の快速「ことぶき」に充当され、列車名を「みまさかノスタルジー」に変えて運用されていました。





続いて津山線ホームに到着したのは、やはり希少になった岡山色のキハ40系。



貨物列車も撮りつつ・・・。


次のお目当てである213系「ラ・マル・ド・ボア」をゲット。岡山〜宇野間を「ラ・マルせとうち」として運行する観光列車です。ちなみに7月〜9月の毎週金曜日は岡山〜高松間で運転される他、秋には尾道に向けて「ラ・マルしまなみ」として運転されるとか。乗りたいですなあ。

次のお目当てを狙って山陽本線の北長瀬駅で下車したところ、すぐにEF64 1049号機牽引の貨物列車と遭遇。なかなか撮る機会に恵まれなかった貴重な広島更新色です。

そして目当ての117系「mt×SUN LINER」ラッピング車をゲット。倉敷市のカモ井加工紙株式会社が製造を手掛けるマスキングテープ「mt」とコラボしたものです。








せっかくなので倉敷へ。何回目の訪問でしょう・・・。

しかし今までと少々違うのが、大原美術館がmtとコラボしてこんな姿に。

 さらにその向かい側にある大原家別邸「有隣荘」が春の特別公開を行っていたので初訪問。1928(昭和3)年に 大原孫三郎が建てたもので、創建当時の風景を再現し、客間にモネ、座敷に与謝蕪村の名画を飾っていました。  
 ちなみに緑色に見える屋根瓦が特徴で「緑御殿」の別名もあります。これは泉州堺の瓦職人に特別注文したもので、敢えて色の違う瓦を組み合わせているそうです。
 なお、春と秋に公開されており、次回は10月7日〜23日とのこと。内部の写真撮影が禁止なのは残念です。







さらに折角なので、国の重要文化財に指定されている大橋家住宅を久しぶりに訪問。正面2階の窓は格子を5本入れ、内側に引き戸をつけた倉敷窓とよばれる様式です。


室内の様子。非常に落ち着いた雰囲気で、日本家屋の魅力を存分に味わえます。


倉敷から岡山へ戻ってきまして、8600系による特急「しおかぜ」を初ゲット。登場時にはいろいろな意味で凄いデザインと思った8600系ですが、隣のキハ40系と比べてみると基本的なスタイルは意外と同じ?





さて、路面電車に乗って岡山城へ向かいます。

何度も訪問している岡山市。当然、岡山城と後楽園は何度も行っているので・・・と思っていたら、いつの間にか最後に訪問したのは10年前。当然、写真も何世代も前のコンデジで撮影したものです。というわけで久しぶりの訪問となりました。黒くて引き締まっていてステキな天守閣ですねえ。

旭川と岡山城天守閣の組み合わせ。写真左側が後楽園です。

ということで、後楽園の光景。だだっ広いです。

以前に来たのは冬だったので、草も枯れた寂しい雰囲気だったのですが、この時期は新緑が美しいですね。

さて、岡山駅に戻ります。やって来たのは超低床車両であるMOMO2でした。

そして、8000系アンパンマン列車による特急「しおかぜ」を撮影。なんという姿でしょう。


しかも乗車いたしまして、児島駅で下車。多少の停車時間を利用して、反対側のホームから撮影し・・・。

発車も撮影しました。うむ、大満足であります。

児島駅周辺はジーンズメーカーの街としてもお馴染みで、バス停上屋がジーンズだらけでした。なんとも不思議な光景。

そして、タクシーで鷲羽山展望台へ行きまして瀬戸大橋と夕焼けの写真を撮影。この日は倉敷にて一泊しました。


せっかく倉敷に宿をとっておきながら、色々と予定を直前に組み替えた結果、早朝の岡山駅へ。吉備線ホームにはド派手なラッピング車が停車していました。

運用が公開されているわけではないので、まさか出会えるとは。桃太郎伝説をおとぎ話風の作画で描いたデザインと、伝説のモチーフとなったとされている「温羅伝説」の世界を漫画家、出口竜正氏が書き下ろしたデザインとのことで、3月26日から運転されています。いつまで見られるのでしょうね。

さて、津山線に乗車して津山へ向かいます。途中、金川駅で列車交換した快速「ことぶき」は「ノスタルジー」がヘッドマーク無しで充当されていました。

津山駅に到着。此処から先に未だ乗車したことがないので、いつかは行ってみたいもの。

そしてお目当ては、津山まなびの鉄道館。キハ181形以外はピカピカに再塗装されていました。場所が場所だけに、また色あせてくるのでしょうが、何か良い手は・・・。





すっかり機関車と気動車の立派な鉄道博物館と変貌を遂げていました。素晴らしい。


さて、津山は2008年以来2度目の訪問。電動のレンタサイクルで改めて街を見て回ります。とは言え、次の予定があるので1時間程度しか居られないという、実に勿体無い状態!
こちらは偶然発見した知新館。1938(昭和13)年、第35代内閣総理大臣の平沼騏一郎の古希のお祝いに、法曹界と郷里の人々が生家を元の場所に復元してプレゼントしたものだとか。なんとまあ・・・。 ただし、1950(昭和25)には津山市へ寄贈。現在は市民のコミュニティ施設として使われています。


こちらは武家屋敷である旧田淵家の長屋門。1840(天保11)年に屋敷地を拝領した頃に建てられたと推定されています。


旧中島医院本館。1917(大正6)年に建てられたもので、以前に見た時と大きく変わったのが、2012(平成20)年に津山市へ寄付され、翌年から「城西浪漫館」として一般公開されていることです。

この医院(建物)は、東京帝国大学医科大学(現東京大学医学部)を卒業し、日本医科専門学校教授、同校付属病院の内科部長としていた中島氏が、地元の要請で帰郷して病院を開いた後、研究のために再度上京しようとしたところ、名医を失っては大変だ!と地元の名士たちが引き止めるために、レントゲンなど当時の最新機器も用意して建てたものだとか。

2階は宇田川榕菴(1798〜1846年)に関する展示。


現在の岐阜県大垣市にあたる大垣藩で生まれ、津山藩医の家柄であった宇田川家へ養子として入り藩医となった蘭学者です。私も今回初めて知りましたが、日本初の植物学書と化学書を刊行し、オランダ語の日本語訳として、酸素や水素、窒素などの元素記号の訳を考案。それどころか元素や酸化などの化学用語、細胞や繊維、柱頭などの生物学用語も彼が考案したもの。
要するに従来の日本では無かった化学等の概念を彼が紹介したわけです。また、16歳でコーヒーの研究を行い、珈琲の当て字も考案しました。調べれば調べるほど、面白い話がザクザクでそうですね。マルチな才能といえば平賀源内を思い浮かべますが、こちらも負けず劣らず凄いのではないでしょうか。しかも今の我々の生活に直結。


ちなみに喫茶店では、当時のコーヒーポットの形状を復元したもので、コーヒーを飲むことが出来ます。


さて、すっかり宇田川榕菴に入れ込んでしまって時間を使い、ただでさえ少ない散策時間が大幅に減少。乗車する列車まで、残り30分という状況で観光を強行します。こちらは津山郷土博物館。1933(昭和8)年に建てられた津山市役所を転用したものです。後ろは津山城ですね。見られなかったのが残念!

さらにレンタサイクルで東へ、西新町・東新町・勝間田町・中之町の古い町並みを見に行きます。


2008年の訪問時とは大きく変わっており、電線の地中化や道路のカラー舗装化が行われ、まるで印象が大きく変わっていました。

後ろ髪を引かれる思いで、快速「みまさかノスタルジー」に乗って岡山にとんぼ返り。

この後、大阪で撮影したい列車があったので仕方が無かったのですが、う〜む・・・。

先程まで津山にいた人間は、今度は南海電鉄の新今宮駅へ。


新型車両の8300系を初ゲットします。

そして南海電鉄のスター・ウォーズラッピング車を撮影。

さらに、引き続いて京都へ。

何も津山とセットで行く必要性は全く無かったのですが、近代建築の本を見て一目惚れしてしまい、どうしても行きたくなってしまった、こちらの建物へ。

それがこちら、長楽館です。明治中期に「煙草王」といわれた村井吉兵衛の別荘として1909(明治42)年に造られたもの。


設計はガーディナーで、建物完成直後に訪れた伊藤博文が「この館で遊ばばその楽しさやけだし長(とこ)しえなり」と詠い、長楽館と名づけました。

さて、そこから平安神宮に向かって北上すると知恩院が見えてきました。三門は1621(元和7)年に建てられた五間三戸、高さ24mの二重門で国宝。そう言えば知恩院は行ったことがありませんでした。今度は行かねば。

こちらは京都府立図書館。1909(明治42)年に武田五一の設計で建築されたもの。2001(平成13)年に新館が建築された際に外壁の一部が保存されていますが、一部のみ厚みを残して貼り付けた感が・・・。

さて、その北側には京都市電の1860号が「市電・岡崎コンシェルジュ」として新たに設置されていました。以前は大宮交通公園で保存されていたものが修復の上で移設され、2015(平成27)年12月5日にオープンしたものです。
形式番号の上に取り付けられている案内板は漆塗りで特注したものですが、そのお金があるなら上屋を・・・。すでにサビが出てきているのが気になります。とは言え、こうやって新たに活用されるのは嬉しい話です。

その向かい側にあるのは、京都市美術館。1933(昭和8)年に前田健二郎(京都市建築課)が設計して建てたもので、一時期流行した帝冠様式です。洋風建築だけど屋根などの意匠は日本的。

そして平安神宮。

何度か来ておりまして、ここまでは見ているのですが・・・。

今回はじめて、有料エリアである神苑に入ってみました。その一角に何故か、昔の京都市電が。狭軌1形の2号で、堀川線(北野線)廃止当時の姿で現存しています。ちなみに明治村や梅小路公園で動態保存されている車両の同型です。

さて、ここは総面積33,000u(約10,000坪)の広大な池泉回遊式庭園で、7代目小川治兵衛らの手による名園。国の名勝に指定されています。

なぜもっと早く見なかったのかと思うほど素晴らしい庭園です。
これにて、予定を全て終了。中途半端に津山を切り上げて南海のスター・ウォーズを日程の関係上狙わざる得なかったのは最後までモヤっとした感じですが、収穫としては絶大でした。

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