2016年8月6日・7日 小海線で清里と野辺山へ


何度行っても中々撮影できない、小海線のキハ110系国鉄色(首都圏色、国鉄急行色)を狙いに出撃。とは言え、一日中沿線で待ち構えるのも・・・なので、まずは清里駅で下車して清泉寮へ向かいます。

清泉寮はキープ協会による宿泊研修施設。アメリカ出身で立教大学の教授であったポール・ラッシュがKEEP(Kiyosato Educational Experiment Project:清里教育実験計画)が、1938(昭和13)年にこの清泉寮を建てて、清里高原を開拓したことに始まります。

戦時中はアメリカに強制送還されたラッシュですが、戦後はGHQ将校として再来日。1958(昭和33)年に清泉寮を再建し、開墾や酪農などを進めました。

ポール・ラッシュ博士の住居や展示施設を備えた記念館があり、先ほどの写真のように執務室やリビングルームなどが公開されているほか、アメリカン・フットボールの普及にも貢献しているため、日本アメリカンフットボールの殿堂も併設されています。



続いて清里駅に戻る途中、清里聖アンデレ教会を散策。

そしてやって来た小海線の列車は・・・。

2本とも通常の塗装でした。

さらに一泊した後、朝練に出かけた際もこれ。

朝食後に清里駅へ戻りますが、やはりこれ。

続いてやって来たのも・・・。

・・・と諦めかけていたら、後ろの車両は首都圏色でした。

野辺山駅まで乗車し、後追い撮影します。あまり満足いく成果ではありませんが、まあ一応の記録にはなりました。

野辺山駅到着後は八ヶ岳高原ロッジへ。上写真の八ヶ岳音楽堂は250席ながらも、数々の名演奏家による音楽コンサートが行われています。

さて、ここでの最大のお目当てが旧徳川義親邸(※尾張徳川家第19代当主)。1934(昭和9)年に東京の目白に建てられたもので、東京国立博物館や銀座和光の設計で知られる、同級生の建築家・渡邊仁が設計。英国式のハーフティンバー様式です。

1968(昭和43)年に現在地へ移築され、「八ヶ岳ヒュッテ」として当初はホテルなどとして使用されましたが、現在はゴールデンウィークと夏季(7月中旬〜9月初旬)のみ、レストランや喫茶店などで使用されています。





階段の親柱などには熊の彫刻が。徳川義親が明治維新後に生活が困窮した旧尾張藩士のために現在の北海道八雲村の開拓を進めた際、大正10年にスイスへ旅行した際に見つけた熊の彫刻をヒントに、八雲村の土産物として売り出し、北海道土産につながっていったそうです。

さて、野辺山駅に戻るとキハ110系国鉄急行色を発見。

小淵沢駅でも撮影。何とか最後の最後で目的の列車の撮影に成功できました。このままの姿で運行してくれても良いと思ったのですが、間もなく通常の塗装に変更されて消滅。また復活しないものでしょうか。

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