2018年11月16日 早雲寺ほか箱根湯本を歩く


職場の同僚Mr.SとMr.Kと一緒に半休を取って箱根へ。まずは箱根郷土資料館で開催中の企画展「箱根戊辰戦争 小田原藩×遊撃隊」を見ます。幕末、戊辰戦争では箱根の湯本や山崎、箱根関所において、幕府軍を脱走して挙兵した遊撃隊と小田原藩との間で、激しい戦いが繰り広げられたとか。幕末に箱根で大規模な戦闘があったことは全く知らなかったので、非常に良い勉強になりました。

続いて早雲寺へ。先ほど企画展で見た、遊撃隊の墓を見ます。


その早雲寺は臨済宗大徳寺派の寺院で、1521(大永元)年に北条早雲(伊勢盛時)の遺言で、息子である北条氏綱が創建したもの(※創建時期については異説あり)。戦国時代に小田原を支配した北条家ゆかりの場所で、本堂は豊臣秀吉によって北条攻めの本陣が一時置かれたのちに焼き払われた後、1627(寛永4)年に再建。さらに1758(宝暦8)年に伽藍のほとんどが火災で焼失したことから、1790年代(寛政年間)に再建され、現在も残っています。箱根町指定重要文化財。

鐘楼も寛政年間の建立と考えられています。ちなみに梵鐘は1330(元徳2)年の鋳造で、豊臣秀吉が小田原北条攻めの際に石垣山一夜城で使用したとか。神奈川県指定重要文化財。


枯山水庭園。寺伝では北条早雲の末っ子である北条幻庵の作庭と伝わりますが、研究によれば江戸時代前期(1660年代ごろ)の造園と推定されていることから、江戸時代の早雲寺が再建された際に造り直されたと考えられています。

こちらは北条五代の墓。1672(寛文12)年に河内狭山藩の第4代藩主である北条氏治が供養塔として建立。北条氏治は北条氏康の三男である北条氏規の孫です。

このほかにも徳川秀忠の侍医だった今大路道三(曲直瀬玄鑑)の墓や・・・。


室町時代の連歌師であった飯尾宗祇の墓もあります。箱根湯本で病死したそうです。

さて、箱根湯本の温泉街を散策。

国道1号の箱根の玄関口に架かる旭橋。1933(昭和8)年の竣工で、土木遺産。

福住旅館の「金泉楼」(左)と「萬翠楼」(右)。金泉楼:明治10年/萬翠楼:明治11年で、国指定重要文化財。今まで知りませんでしたが、これは一泊してみたい・・・。

最後に、箱根湯寮で温泉と食事を堪能。充実した半日でした。

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