2019年6月27日 横浜山手の近代建築巡り


この日は横浜駅からスタート。横須賀線のE217系と東海道線のE231系の並びを撮影します。E217系は早いもので登場から約25年が経過し、間もなくE235系による置き換えが開始。一方のE231系も色々な噂が出ていますので、この並びもそう長くないかもしれません。

185系特急「踊り子」。見かけたときはなるべく撮影しています。

さて、この後は横浜山手にある異人館など近代建築を散策してみることに。まずこちらはベーリック・ホール。1930(昭和5)年、イギリスの貿易商バートラム・ロバート・ベリックの私邸として建設されました。御覧の通り、邸宅といえる規模で・・・なかなか見応えある豪華な雰囲気でした。

まずは1階リビングルーム。広さは47畳、天井の高さは約4mという豪華な部屋で、南側・北側にはアーチ状の開口部があります。


隣接するパームルーム。獅子頭のある壁泉が特徴です。

ダイニングルーム。重厚な化粧張り組天井が特徴です。また、暖炉はかつて電気ストーブだったそうです。


今度は2階へ。婦人寝室とサン・ポーチ。ウォークインクローゼット、靴収納戸棚も備えています。


主人寝室・・・なのですが、敢えて当時の雰囲気が感じられるように書斎として再現。


令息寝室。フレスコ技法の青い磨き壁、スパニッシュスタイルの建築で見られるクワットレフォイル(四つ葉状の文様の小窓)が印象的です。


客用寝室。応接室として再現されています。・・・なぜ??


客用寝室の浴室。ブルーのタイルや、ここでもクワットレフォイルの小窓が見られます。


続いてエリスマン邸。1926(大正15)年、アントニン・レーモンドの設計で建てられたもので、生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の横浜支配人格として活躍した、スイス生まれのフリッツ・エリスマン氏の邸宅です。

1階には食堂やサンルームなどがありますが、改修中のためほとんど見られませんでした。

こちらは2階。寝室が3部屋あり、現在は資料展示コーナーになっています。


こちらは山手234番館。1927(昭和2)年頃の建築で、設計は朝香吉蔵。外国人向けの共同住宅(アパートメントハウス)で、関東大震災の復興事業の一つ。横浜を離れた外国人に戻ってもらうために建設されたものです。


隣接する山手89−6番館(現・喫茶えの木てい)。山手234番館と同じく1927(昭和2)年の建築で、設計も朝香吉蔵と同一。

日本聖公会 横浜山手聖公会。1931(昭和6)年の建築で、J・H・モーガンの設計。大谷石を使ったノルマン様式の外観が特徴です。惜しむらくは2005(平成17)年に放火と思われる火災で内部が全焼したこと・・・。


山手資料館。1909(明治42)年築で、横浜市内に残る唯一の「和洋併設型住宅」木造西洋館。1977(昭和52)年に現在地へ移築されました。


旧・神奈川県測候所(現・横浜地方気象台)。大桟橋付近にあった神奈川県測候所が関東大震災で倒壊したため、旧米海軍病院跡地だったこの場所へ1927(昭和2)年に建築したものです。当時20代前半だった繁野繁造が設計を担当し、鉄筋コンクリート造3階建て、地下1階という構造。昭和初期のモダニズム(近代主義)を感じさせるデザインです。


2007(平成19)年に安藤忠雄の設計により、既存の本庁舎改修と耐震補強、さらに敷地内へ第2庁舎を増築。これに伴い本建物の内部が一般公開されるようになりました。



また、周囲にあるブラフ積み擁壁も見どころの1つ。直方体の房州石を長手短手に積んでいます。

最後に石川町駅でE210-119号機に出会い、この日の撮影を〆。今後、新塗装が増えてくると、旧塗装を追いかけるようになる・・・のかなあ。

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