2019年8月23日 神奈川県立歴史博物館と国立博物館「特別展 三国志」


この日は金曜日の午後、仕事帰りに友人であるMr.SとMr.Kと3人で横浜へ。桜木町駅で降りると、ポケモンマンホール、ゲットだぜ!


馬車道駅付近にて、北仲ブリック&ホワイトの建設現場を見ます。分譲マンション「ザ・タワー横浜北仲」やビルボードライブ横浜、水戸岡鋭治氏デザインの「水信フルーツパーラー」ほか文化・商業施設もある複合施設で、1926(大正15)年に建てられた帝蚕倉庫事務所も保存再生されています。また、同時期に建てられた倉庫群も解体の上で復元されています。素晴らしい。


その向かい側が旧・第一銀行横浜支店&横浜銀行本店(現・横浜アイランドタワー)。1929(昭和4)年建築。大通りに面し、バルコニーの形が美麗で、気になっている人も多いと思います。元々は別の場所にありましたが、バルコニー部分をここまで運び、さらに別の部分を復元保存したものです。

旧・横浜正金銀行(現・神奈川県立歴史博物館) 【国指定重要文化財】。1904(明治37)年築。バロック風の建築として日本の中でもトップクラスのもの。レンガ・石造り3階&地下1階。見るのもを圧倒させる迫力を持つ。設計者は、妻木頼黄。

さて、最初の目的は神奈川県立歴史博物館で開催中の「北からの開国 ―海がまもり、海がつないだ日本―」なのですが、写真撮影ができなかったので常設展の写真を幾つか。こちらは狩猟用落とし穴の断面剥ぎ取り。(旧石器時代/船久保遺跡 横須賀市)

やや尖り底の土器(縄文時代早期/十王堂免遺跡 横浜市磯子区)


木製の鍬と鋤(弥生時代)

細形銅剣(弥生時代中期/宇木汲田遺跡 唐津市 ※複製)

古墳時代の家屋。三殿台遺跡(横浜市磯子区)の古墳時代後期の住居を復元したもの。半地下式で方形に堀り、4本の柱を建てた後に土で床を貼ります。

三角縁神獣鏡(古墳時代前期/白山遺跡 川崎市幸区 ※復元)

横穴墓内線刻壁画(古墳時代/大磯町 ※複製)


皇朝十二銭(うち11種を展示)

木簡(荷札)(奈良時代/長屋邸跡 奈良県奈良市 ※複製) 相模国という文字がはっきり見えますね。

相模国分寺復元模型(※平成7年時点での想定で、現在の復元図とは若干異なります)

円覚寺舎利殿の内部を再現した空間。

鎌倉の復元ジオラマ


御成敗式目


鎌倉の武士の館


江戸時代中期に建築された旧内海家住宅’鎌倉市)の復元模型

江戸時代後期の相模国與地全図


小田原城之図(寛文図/江戸時代)。稲葉正則による小田原城改修の計画を示した図面で、左下に具体的な計画が記されています。ちなみに土塁を石垣にすることや、門や隅櫓の建築が計画されています。

品川台場 青銅80ポンド陸用カノン砲(※複製)。1854(安政元)年に湯島馬場大筒鋳立場で鋳造された野戦用の大砲で、口径250mm、全長3830mm。1853(嘉永6)年のペリー来航を踏まえ、黒船の再来航に備えたものです。

ということで、様々なペリーさん。

ペリーが乗艦したサスケハナ。日本来航後は、南北戦争で北軍の船としても活躍したとか。

プリマス

サラトガ

ミシシッピ

エンボッシング・モールス信号機
1854(嘉永7)年に将軍へ送られたもの。現在の神奈川県庁付近にあった応接所と、約900m離れた名主・中山吉左衛門宅(現在の神奈川県立歴史博物館付近)との間で公開実験が行われています。


別段風説書の写本。アヘン戦争を機に通例の風説書とは別にオランダから提出されるようになった海外情報で、こちらは老中で福山藩主・阿部正弘が保有した和訳の写しです。


ケンペルの日本誌(1772年の英語版)。オランダ商館付き医師として1690(元禄3)年から2年間、日本に滞在したケンペルが記したもので、日本の全体像を初めてヨーロッパに伝えました。


スナイドル銃。イギリスのエンフィールド兵器廠が開発したもので、銃口から装填するエンフィールド銃を改良し、銃尾から装填する後装式となりました。最新式の銃として戊辰戦争で使用されたほか、台湾出兵、西南戦争でも使用されました。

しゃぐま(赤熊)。新政府軍が陣笠の代わりに使用したもので、赤色は土佐藩。白色は長州藩、黒色は薩摩藩と色分けされていました。

1号機関車。


明治20年頃の横浜居留地。

横浜税関

神奈川県庁

戦時中関連の展示

茅葺屋根の民家も再現されていました

さて、続いて上野に向かいますが、改札前のこれはなんだ!

国立博物館で「特別展 三国志」へ。三国志をテーマにした展示は意外と珍しく、当時使用された様々な道具を見られたのは非常に新鮮でした。まずは関羽像(明時代)。


横山光輝の「三国志」原画。


1982年から1984年にNHKでテレビ放送された人形劇「三国志」で使用された人形も多数展示


玉装剣。紀元前2世紀、前漢時代の青銅製の剣で、中山靖王劉勝夫婦墓(河北省保定市)から出土。一級文物に指定。剣はこの頃から青銅製から鉄製に移行していったそうです。

壺。こちらも同じく紀元前2世紀、前漢時代の青銅製の剣で、中山靖王劉勝夫婦墓(河北省保定市)から出土。一級文物に指定。銅製で金メッキし、ガラスをはめ込んでいます。

貨客船。3世紀、後漢〜呉時代のもので、広西チワン族自治区から出土。船首に波除の壁があり、なだらかな船底は沿海航路と河川の航行に使用。呉ではこのような船がたくさん見られたことでしょう。

獅子。後漢時代、2世紀のもので洛陽で造られた師子(獅子)という銘文があります。一級文物に指定。


儀仗俑。こちらも2〜3世紀、後漢時代のもので甘粛省武威市の張将軍の墓から出土。甘粛省、当時の涼州は董卓の出身で、この張将軍は董卓の武将だった可能性もあるとか。

酒樽。こちらも2〜3世紀、後漢時代のもので甘粛省武威市の張将軍の墓から出土。全体に龍、白虎や雲気の文様を刻み、金メッキしています。


鏡台。2世紀、後漢時代のもので河北省から出土。これは墓に埋葬するために造った土製品ですが、当時の鏡の置き方がよく分かります。一級文物に指定。

多層灯。2世紀、後漢時代のもので河北省から出土。死後の世界を照らす土製の灯だとか。

2世紀(後漢時代)に造られた五層穀倉楼。一級文物に指定。2階までが穀倉で、3階からは物見やぐら。河南省焦作市から出土したものですが、ここは後漢最後の皇帝、献帝が譲位後に余生を過ごした場所。こんな風景が広がっていたのでしょうか。

2世紀(後漢時代)に造られた邸宅。こちらも河南省焦作市から出土したものです。


2世紀(後漢時代)に造られた四層穀倉楼。一級文物に指定。こちらも河南省焦作市から出土したものです。

2世紀(後漢時代)に造られた三連穀倉楼。一級文物に指定。こちらも河南省焦作市から出土したものです。サイロのような穀倉3基の上に瓦葺の建物が乗っています。

放たれた大量の矢。

2〜3世紀の矛

河北省から出土した、222年に造られた弩。呉で初めて使用された元号「黄武元年」のほか、制作者、所有者、使用者の名前も記されています。


偏将軍印章金印。後漢時代、1世紀もので重慶市から出土。亀形のつまみが付く方形の金印で、関羽も一時的に曹操に下った際に偏将軍へ任じられています。


「曹休」印。3世紀、魏時代のもので河南省洛陽市の曹休墓から出土。曹操の親戚である曹休の印で、三国志の登場人物で確かな印章はこれだけだとか。

提梁壺(ていりょうぼ)。2世紀、後漢時代のもので雲南省から出土。蓋上にある鳳凰の飾りには小さな穴があり、宝石がはめ込まれていたと考えられます。

定規。動物の骨を薄く削り、目盛りを刻んだもの。1尺の物差しで、その10分の1とそれを2分する5分ごとの目盛りを正確に刻んでいます。当時の1尺は24p前後で会ったことが分かる貴重な資料。一級文物に指定。

曹操の墓を再現したエリア。

曹操の墓からは白磁の壺が発見されていますが、これまで白磁は6世紀後半、隋の頃と考えられてきたため、今後の研究が待たれます。

曹操の墓からは出土した石碑。副葬品目を刻んだもので、魏武王(曹操)愛用の虎をも倒す大戟とあったことから、ここが曹操の墓であることが決定的に。

揺銭樹台座。3世紀、後漢〜蜀時代のもので重慶市から出土。

牛車。3世紀、呉の時代のもの。

あまりにも展示が膨大で、他にも様々な武器や、曹操の息子である曹植の墓から出土したものなどあるのですが、とてもここでは紹介しきれません(あと、紹介したくても名前の漢字が変換できないものとか)。三国志と言えば、漫画やゲームでお馴染みでしたが、実際に当時使用されたものを見られたのは感慨深いもの。この日は大変良い目の保養になりました。

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