2019年10月30日 物流博物館と京急・京成の撮影


品川駅で友人の与太郎さんと合流し、物流博物館へ。 
日本通運などが運営しているもので、江戸時代から昭和までの物流のあゆみを展示。それほど展示規模は大きくありませんが、物流に特化した近現代の通史が見られるのは圧巻です。まず、上写真は品川宿問屋場模型。問屋場では人馬を交代させ、宿場から宿場へリレー方式で荷物を運ぶのがこの時代の陸上輸送の基本でした。


1601(慶長6)年の伝馬定書。関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、すぐさま伝馬制を敷き、各宿に伝馬を準備しておくことを定めました。こちらは東海道の桑名宿に宛てたものです。


1601(慶長6)年の伝馬朱印状。東海道桑名宿充てにこの御朱印なくして、伝馬を出してはならぬと書かれています。


1601(慶長6)年の伝馬手形。公用の旅行者が書面に記されている数の人馬を無料で使える手形で、伊勢山田の慶光院という尼寺のために、大坂から伊勢山田まで各宿が馬6疋を出すよう命じています。


江戸時代の菱垣廻船の模型。大坂〜江戸を往復した船で、船体の舷側が菱垣に似ていることから、その名前が付きました。最盛期には200隻程度が就航していたとか。

新橋停車場の荷物積卸場。1875(明治8)年頃の様子を再現したもので、旅客用ホームと並行してありました。貨車はイギリス製で、当時は貿易で使う生糸や漆器などがメイン。また、鉄道貨物輸送に対応すべく、駅から先の輸送を行う運送業者が誕生しています。

1873(明治6)年の貨物運賃輸送表。イギリスの制度をそのまま導入し、日本ではあまりなじみのない品目も多かったとか。また運賃が割高で利用が低迷したことから、翌年には3〜6割の大幅値下げを断行し、利用を伸ばしていきます。

昭和30年代の貨物ホーム。新潟県の新発田駅の様子を再現したもので、東京へ輸送する米俵が運ばれてきています。貨物ホームも今ではほとんど無くなり、辛うじて土台が各地で名残をとどめていますね。

江戸時代の菱垣廻船の模型。大坂〜江戸を往復した船で、船体の舷側が菱垣に似ていることから、その名前が付きました。最盛期には200隻程度が就航していたとか。

昭和初期、国際通運株式会社の印半纏


昭和45年頃の汐留駅。見事な物流ターミナルですね。




ジオラマもありました。

続いて品川〜北品川間で京成の新車3100形と3050形の新塗装を狙いますが、朝に発生した京急の停電の影響で運休…。南太田変電所(横浜市南区)の変電装置内にヤモリ1匹が入り込み、端子に接触したのが停電の原因だそうで。


北総開発鉄道7300形

千葉ニュータウン鉄道9100形

北海道ほたて号ラッピングの京急2100形

京急600形と1500形の離合

続いて東京モノレールの大井競馬場駅で下車。

ポケモンラッピングの東京モノレール1000形を見つつ、東へ向けて歩きます。

到着したのはJR東海大井車両基地。ドクターイエローがいましたが、車庫の中・・・。

隣接して東京貨物ターミナルがあります。HD300−1号機がいましたが、出来れば901号機を撮りたかった…。


スーパーレールカーゴも奥では撮影しづらい。

EF65 2089号機をゲット。

目立った戦果はありませんでしたが、あまりの広大さには驚きました。


最後に、もう一度ダメ元で品川〜北品川間に戻ってみると、その瞬間立て続けに3050形新塗装と…。


3100形を連続でゲット。

北総9200形にも遭遇。 満面の笑みで秋葉原まで行き、鉄道模型を見ながら解散となりました。

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