2022年10月6日 雨の川越を観光する


この日は職場の旅行を主催し、リクエストがあった川越を観光をすることに。生憎の雨で街歩きに四苦八苦することになりますが、まずは喜多院から見ていきます。上写真の山門は、国指定重要文化財で1632(寛永9)年築。天海僧正が造らせたもので、喜多院の中では最も古い建築物です。なお、右側に附属しているのが番所で、こちらは県指定有形文化財。江戸中期から江戸末期の建築だと考えられています。


最大の見所は、徳川家光の命で、江戸城紅葉山の別殿を移築した書院・客殿。「徳川家光誕生の間」、「春日局化粧の間」があり、貴重な江戸城の遺構です。造りは頑丈そうでしたが、意外と絢爛豪華というわけではありませんでした。残念ながら内部の写真撮影は禁止。


多宝塔は、県指定建造物で1639(寛永16)年築。元々は日枝神社と白山神社の間にありましたが、明治45年に道路拡張工事に伴い慈恵堂の近くへ移築。さらに1975(昭和50)年に現在地へ移築されました。


鐘楼門は国指定重要文化財。建立年代は不詳ながら、1638(寛永15)年の川越大火後に再建されたという記録が無いことから、それ以前の建築である可能性がある2階建ての門です。


隣接する仙波東照宮の拝殿・弊殿は、国指定重要文化財で1640(寛永17)年築。拝殿は桁行三間(約5.36m)、梁間二間(約3.64m)、屋根は単層の入母屋造で、正面は向拝一間(約1.82m)、銅瓦葺という構造。また、幣殿は桁行二間、梁間一間、一重、後面入母屋造で前面は拝殿に接続し、銅瓦葺という構造。

さて、喜多院の見所の1つは五百羅漢。日本三大羅漢の1つとして名高もので、川越北田島の志誠(しじょう)の発願により、1782(天明2)年から1825文政8年(1825)の約50年間にわたり建立されたもの。全部で538体もあるそうです。



いずれも違う表情、ポーズで1つ1つがユニークです。

続いて川越市立博物館へ。こちらは幕末期の様子を復元した城下町模型で、当時の喜多院の様子も再現されています。
こちらは川越城。今や本丸御殿と土塁の一部ぐらいしかありませんが、当時は複雑な形の堀に囲まれた迫力ある姿でした。

上・下新河岸と牛子河岸の再現模型。現在の旭橋を中心に設けられた河岸場で、物資の集積地となっていました。


江戸図屏風(複製)。江戸城のみならず川越城とその周辺も描かれています。


こちらは川越の町並みの模型。

蔵造りの町並みも再現されています。

続いて向かい側にある川越城本丸御殿へ。周辺は何やら整備中のようで…。

川越城の本丸御殿は県指定有形文化財で、1848(嘉永元)年、藩主が松平斉典(なりつね)の時に建てられたもの。明治維新後は玄関、大広間が入間郡役所や武道の練習場(初雁武徳殿)などに転用。1967(昭和42)年に解体復元され、保存措置が講じられました。

こちらの家老詰所は上福岡市(現、ふじみ野市)の民家に移築されていたのを1988(昭和63)年に本丸御殿内へ再度移築したもの。往時の場所とは多少異なり、他の建物からは独立して土塀に囲まれていたそうです。

さらに川越氷川神社へ。社伝によると今から約1500年前の古墳時代の欽明天皇二年(540年)に創建されたといわれる由緒ある神社で、1457(長禄元)年に太田道真・道灌父子によって川越城が築城されて以来、長らく川越の総鎮守として篤く崇敬されています。

絵馬が沢山!

本殿は埼玉県指定有形文化財で1849(嘉永2)年築。川越藩主の松平斉典(なりつね)と氷川神社の氏子による寄進により5年をかけて建築。建物全面を彩る、当時屈指の名工と謳われた島村源蔵(俊表)と飯田岩次郎が技を競った「江戸彫り」の彫刻が目を引きます。川越氷川祭で繰り出される山車に乗る人形がモチーフです。

最後に雨の中ですが、時の鐘など蔵の町並みを散策。





蔵の町並みから札の辻を挟んで北側にある弁天横丁も歩いてみました。かつて花街として榮えた場所で、現状では廃屋みたいなのもありますが…。

築100年以上の家屋が3棟残り、この数年で順次修復と再活用が進められています。カフェやモノづくりのお店が開業しており、新しい観光スポットとして人気を集めていくかもしれませんね。こちらの建物は、芸者が2階から顔をのぞかせていたと思われます。

最後に川越まつり会館を見学。迫力ある山車が展示されており、約1週間後の10月15日、16日に川越まつりが開催されたそうです。約29台の山車が川越を練り歩いたそうで、そのうち見てみたいですね。

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