2022年11月15日 巣鴨と東京大学本郷キャンパス周辺を歩く


この日は職場の人たちとのお出掛けをしますが、根津神社に行くという目標は予め決めつつ、小雨ということもあり行きの列車の中で各々の乗ったことが無い場所、行ったことのない場所をリストアップ。その結果、日暮里・舎人ライナー⇒都電荒川線⇒千成もなか本舗大塚店⇒(巣鴨)とげぬき地蔵尊⇒六義園⇒東京大学本郷キャンパス⇒根津神社⇒アメ横というルートで2万歩以上歩くことに。まずは日暮里〜熊野前まで日暮里・舎人ライナーに乗車します。


荒川車庫前で下車し、都電おもいで広場を(閉まっていたので)外から見学。1954(昭和29)年に製造された5500形(5501号車)は独特の流線型の車体が特徴で、必見ですね。保存当初はクリーム色のような塗装でしたが、2019(令和元)年5月に再塗装された際に、黄色地に赤帯に変更されています。


7500形(7504号車)。1962(昭和37)年に製造された車両で、2つ目のライトが特徴なのですが、この向きだと顔がほとんど見られない…。


都電荒川車庫を覗いてみると、レトロっぽい車が。三菱のジープのようです。多分、J37だと思うのですが車は詳しくないので違っていたらスミマセン。


ここから再び都電に乗車し…。


大塚駅前で下車。

広告電車多いですねえ。

大塚駅とその周辺は駅ビルを含めて近年の再開発で随分と姿を変えました。

タクシー乗り場には屋根・・・にしては高すぎる輪が整備されていました。どうやら、夜になると照明でが円く、明るく光るようです。

変わる風景もあれば変わらぬ風景もあり、ということで名店である「千成もなか本舗 大塚店」へ。大変美味しかったです。

では、再び都電に乗り込みます。

今度は巣鴨へ行くべく、庚申塚駅で下車。

停留所の名前の由来となった、巣鴨の庚申塚。この場所は旧中山道(現地蔵通り)沿いに展開した巣鴨町の北東端である、旧中山道と折戸通りの交差地に位置し、中山道板橋宿に入る前の立場(休憩所)として栄えました。

実は巣鴨を歩くの初めてで、2001(平成13)年に東京にやってきてから、実に20年以上経過して訪れることに。


巣鴨の中心的存在である、高岩寺へ。豊島区巣鴨にある曹洞宗の寺院で、元々は1596(慶長元)年に江戸湯島にて創建。約60年後に下谷屏風坂に移ったのち、土地区画整理に伴い、1891(明治24)年に現在地(当時は北豊島郡巣鴨町)に移転しました。

本堂は1957(昭和32)年築で、戦後の建築ではありますが国の登録有形文化財に指定。東京大空襲で焼失した本堂を再建したもので、鉄筋コンクリート造です。

こちらは洗い観音。石造の聖観音(しょうかんのん)像で、体の悪い部分に相応する観音の部位を洗ったり、タオルで拭いたりすると、ご利益があると云われます。

 さらに、眞性寺(真性寺)も見どころの1つ。JR巣鴨駅近く、巣鴨地蔵通り商店街に入ってすぐの場所にある真言宗豊山派の寺院で、江戸時代初めの元和年間に中興。巣鴨においては高岩寺より非常に古い歴史を持ちます。上写真の銅造地蔵菩薩坐像は東京都指定有形文化財で、1714(正徳4)年作。高さ2m68cm、蓮花台を含めると3m45cmの大きさです。江戸深川に住んでいた地蔵坊正元が願主となって江戸に6つ設置した地蔵尊菩薩像の1つ(第四番)で、中山道の入口を見守っています。
 ちなみに、そのほかの地蔵は東海道沿いの品川寺(第一番)、奥州街道沿いの東禅寺(第二番)、甲州街道沿いの太宗寺(第三番)、水戸街道沿いの霊巌寺(第五番)、千葉街道沿いの永代寺(第六番 ※廃寺となり消滅)です。

さて、巣鴨駅から山手線に…と思いきや、同行者の提案でさらに歩いてみることに。

向かった先は、若干の雨模様ですが六義園(りくぎえん)。1695(元禄8)年、江戸幕府第5代将軍の徳川綱吉より、駒込を拝領した側用人の柳沢吉保が自ら設計、指揮をして7年の歳月をかけて、平坦な地に丘や池を造り、1702(元禄15)年に完成させたもので、回遊式築山泉水庭園として造園しました。

続いて、東京大学本郷キャンパスへ。関東大震災の復興で内田祥三(元東京帝国大学総長)が設計し、「内田ゴシック」と呼ばれる、画一化されたデザインパターンの建築群が特徴で、今回は可能な限り撮影してみましたが、上写真の安田講堂を除けば、なかなか何の用途の建物か覚えてられない…。ともあれ、安田講堂の下にある学食で昼ご飯を食べるという、貴重な経験をしました。テーブルの上に貼ってあった、企業の広告を兼ねた物理か何かの問題文が、1文字目から意味が分かりませんでした。

安田講堂前などに広がるイチョウ並木は、関東大震災後の復興で計画されたもの。

工学部3号館は、1929(昭和14)年築だったものを、2013(平成25)年に外観を復元した上で建て替え。東大の建築群も、竣工時はこのぐらい明るい色彩だったのかもしれませんね。

似たような建築が多い中で、系統が違うのが理学部化学館東館。1916(大正5)年築です。


ちなみに、東大理学部の建物では、卒業生でノーベル賞を受賞された研究者の、受賞理由となった研究成果やノーベル賞メダル、賞状のレプリカが展示されていました。こちらは2021年ノーベル物理学賞、真鍋淑郎さん。


2015年ノーベル物理学賞、梶田隆章さん。



2002年ノーベル物理学賞、小柴昌俊さん。


こちらの建築は東京大学附属病院 管理・研究棟。1934(昭和9)年築です。


この日は撮影出来なかったので別の機会に撮影した写真ですが、赤門でお馴染みの旧加賀屋敷御守殿門。1827(文政10)年築。もともとこちらにあった、加賀藩前田家上屋敷の御住居表御門で、江戸幕府第11代将軍である徳川家斉の第21女、溶姫(1813〜1868年)が、加賀藩第13代藩主前田斉泰に輿入れした際に建てられたもの。

実は、近くにもう1つの赤門があります。今度は根津神社に向けて歩き出すと、姫路藩酒井家江戸上屋敷から位置したといわれる西教寺赤門です。文京区の有形文化財で、第5代姫路藩主酒井忠学に嫁いだ、こちらも徳川家斉の娘(第25女)である喜代姫(1818〜1868)をお迎えするため、建てられたものでした。東大の赤門の近くに、こんなものがあったんですね。

そして、最後に根津神社にお参りして〆。

根津神社の社殿は、甲府藩主徳川家宣(のち江戸幕府第6代将軍)の屋敷地を献納した場所に整備されたもので、1706(宝永3)年に建物が完成し、同年に遷座します。現在も当時の本殿・幣殿・拝殿・唐門・西門・透塀・楼門の全てが奇跡的に現存し、国の重要文化財に指定されています。

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