地下鉄東西線 Subway Tozai Line
 営団地下鉄(現・東京メトロ)東西線は、昭和41年から国鉄線との直通運転を開始しましたが、当初国鉄が投入した301系電車は高価な車両であり、量産には向きませんでした。そのため、その後の増備は千代田線との直通に投入された103系1000番台に東西線の保安装置を設置させた1200番台が投入されました。
 JR化後は冷房化や塗装変更(黄色から青色へ)などを受けましたが、新型車両の投入もなく、黙々と運用についていました。しかし、平成15年に301系ともどもE231系800番台によって置き換えられました。
(写真:三鷹駅/撮影:裏辺金好)
 この車両は前面の貫通路に幌がついています。かなり珍しい姿です(この貫通路はもともと車両を行き来する目的で設置されたものではないので・・・)。これは、東西線が輸送力増強のために10両化した際に103系と301系も10両化しましたが、その過程で中間に押し込められたものです。
 (写真:三鷹電車区/撮影:裏辺金好)
 三鷹駅で209系と顔をあわせた103系。地下鉄東西線直通の103系は1200番台が基本ですが、転配の関係や編成増強の都合などで1000番台と0番台も編成に組み込まれていました。また、301系と違い、側面方向幕も設置されていました。
 (写真:三鷹駅/撮影:裏辺金好)
 貫通幌つきです。中間に押し込められた・・・と書いておいてなんですが、先頭に立って運転されていたんですね。
 (写真:西船橋駅/撮影:薫田権之助様 禁転載)
 中野駅で停車中の103系1200番台。相互乗り入れの際にはよく発生することですが、東西線の103系も地下鉄線内で折り返し運用につくこともよくありました。
 (写真:中野駅/撮影:薫田権之助様 禁転載)

 運用離脱後、拝島で留置中の103系と相棒の301系。
「301系のさよなら運転の前、一足早く運用を離脱した103系(幌つき5連)と301系が拝島の留置線にいました。
ちょうどの1年前には同じ場所に青梅線の103系が多く留置されていた場所です。」(撮影者談)

 (写真:拝島駅/撮影::KOTO様 禁転載)

 東西線の運用から離脱した103系と301系の脇を彼らより車齢を重ねながらなおがんばる八高線の103系が通過して行きます。
「運用離脱後、拝島に留置され、最初で最後の八高線の103系との3並びシーンが見られました。」(撮影者談)
 (写真:拝島駅/撮影::KOTO様 禁転載)

 中野電車区に憩う103系1200番台。モノクロなのでわかりませんが、まだ黄色いラインを配していた頃の写真で、列車番号表示の上にJNRマークが貼付されています。
 (写真:中野電車区/撮影:タケチャンマン様 禁転載)

 地下鉄東西線の車両としては極めて珍しい1000番台の先頭車。運転室直後に戸袋窓のない貫通型の先頭車は1000番台です。
 (写真:高円寺駅/撮影:KOTO様 禁転載)

 301系との混結となった103系1200番台。JR化後、東西線の輸送力増強のために7両編成から10両編成に組み換えが実施されましたが、その際に余った車両同士がくっついてのような珍編成が出来上がりました。なお、301系のシステムは103系と同じため、混結は可能です。
 (写真:吉祥寺駅/撮影:KOTO様 禁転載)

 貫通扉に幌をつけた車両が最後尾に連結された103系1200番台です。
 (写真:吉祥寺駅/撮影:KOTO様 禁転載)