登場年:1968(昭和43)年
運転区間:小倉・別府〜宮崎空港
日豊本線を代表する特急「にちりん」は「日輪」を表し、1964(昭和39)年に登場した気動車急行「にちりん」をそのルーツとする。ちなみにこの列車、元々は「ひかり」だったが、新幹線に愛称を譲ったために改称したものである。
1968年10月改正よりキハ80系が投入され特急「にちりん」に。
そして電化区間の進捗に伴い、1972(昭和47)年には博多〜大分に485系による「にちりん」も登場。2年後には博多〜宮崎、さらに1980(昭和55)年にキハ80系を置き換え博多〜西鹿児島の列車も485系が担当するようになった(1984年までは583系も運用に入った)。また、翌年に下関発着の列車も誕生している(1992年7月改正で消滅)。
JR化後、1990(平成2)年より783系による「にちりん」も運転開始。また、翌年より485系にちりんは赤一色の「RED EXPREESS色」化される。ボンネット型も例外ではなく、多くの鉄道ファンを驚かせた。さらに、787系「にちりんシーガイア」(現在は783系)の運転開始や、1995(平成7)年に883系による「ソニックにちりん」(現・ソニック)が主に博多〜大分で運転開始したことで、485系は勢力を縮小(ただし、485系によるソニックも一時的に存在)。この改正では、さらに宮崎〜西鹿児島が485系「きりしま」に系統分割されている。
そして2001(平成13)年3月3日改正では、運転区間を小倉〜南宮崎・宮崎空港に短縮。2008(平成20)年3月には、臨時列車を除き別府・大分〜南宮崎・宮崎空港に運転区間が短縮され、ますます485系の活躍の幅が狭まった。
そして2011(平成23)年3月12日改正で、ついに485系は定期運用を離脱。783系、787系に活躍を完全に譲ることになった。なお、2000(平成12)年からは国鉄色3両編成が復活したほか、晩年には5両編成の国鉄色編成も運転を開始し、ラストランに華を飾った。