1959(昭和34)年、前年に登場した寝台特急「平和」を20系に置き換えるにあたって、東京〜長崎に登場した。愛称は1929(昭和4)年に登場し、1942(昭和17)年に廃止された「櫻」、1951〜1958年に東京〜大阪で不定期運転された「さくら」に由来している。
1965(昭和40)年には、佐世保行きの編成も連結されるようになり、ブルートレインの花形列車の1つとして人気絶頂に。さらに1972(昭和47)年には14系客車が投入され、グレードアップされた。しかし、山陽新幹線の開業や飛行機網の発達に伴い乗客は次第に減少。1985(昭和60)年には本州の牽引機をEF66に変更し、スピードアップを図った。
JR化後、九州方面のブルートレインが整理される中、1999年に佐世保行きが廃止。同時に、東京〜鳥栖が熊本行きの「はやぶさ」と併結運転が実施されるようになり、A寝台も廃止。挙げ句の果てに、東京では通勤電車と並行ダイヤ、深夜帯は貨物列車優先で途中退避、九州では曲線の多い長崎本線に於いて、振り子式で曲線を高速で走るようになった特急「かもめ」に「さくら」は対応できず、3本も抜かれるようになり、東京を18時に出ておきながら、長崎に13時過ぎに到着するという信じられないダイヤになってしまった。あげくに高い寝台特急料金に老朽化した客車。
これでは乗客を獲得する方が無理というものだが、それでもしばらくは運転が続き、2005年3月改正でついに廃止となった。歴史ある愛称が消えてしまうのは非常に残念であり、何らかの形で復活できないだろうか。
「さくら・はやぶさ」併結時代の写真は、
こちらにまとめた。