三渓園〜神奈川県横浜市中区〜



○解説

 横浜市中区本牧にある三渓園は、1906(明治39)5月1日に公開を始めた広大な日本庭園。生糸貿易などで財を成した実業家の原三渓が造営させたもので、彼自身が建てさせた名建築はもちろん、鎌倉や京都にあった歴史的に重要な古建築を多数、園内に移築しています。

 残念ながら戦災で大きな被害を受けますが、横浜市に譲渡されて見事に復旧。ご覧のように周りに高層マンションなどは殆ど見えないため、別世界のような風景が広がっています。
(撮影・解説:裏辺金好)

○場所



○風景


園内の地図
ご覧の通りの広さと建物の多さで、かなりの迫力があります。


旧西方寺御門 【横浜市指定有形文化財】
1708(宝永5)年頃造営。京都の西方寺に造営された薬医門形式の門で、大正時代に三渓園へ移築されています。


旧原家住宅「鶴翔閣」 【横浜市指定有形文化財】
1902(明治35)年築。三溪園の創始者である原三溪が建てさせたもので、楽室棟、茶の間棟、客間棟の3棟から構成されています。
鶴が飛翔するような形に見えることから、鶴翔閣と名づけられ、伊藤博文や夏目漱石、横山大観などが滞在しています。現在は貸出し施設として賓客接遇、結婚披露宴、演奏会や展示会で使用可能です。


旧原家住宅「白雲邸」 【横浜市指定有形文化財】
1920(大正9)年築。三溪園の創始者である原三溪が建てさせたもので、彼が亡くなる前までの約20年間使用されました。鶴翔閣、臨春閣も含めて、夏に内部公開されています。


旧徳川頼宣別邸「臨春閣」 【国指定重要文化財】
1649(慶安2)年築。紀州徳川家初代当主の徳川頼宣が夏の別荘として建てさせたもの。狩野探幽、狩野安信らが襖絵を担当しています。



旧徳川頼宣別邸「臨春閣」 【国指定重要文化財】


旧徳川頼宣別邸「臨春閣」 【国指定重要文化財】



月華殿 【国指定重要文化財】
1603(慶長8)年築。徳川家康が京都の伏見城内に建てさせたもの。諸大名が伺候する際の控え室として使われました。

金毛窟
1918(大正7)年築。原三渓が建てた茶室で、千利休が修造した京都大徳寺三門(金毛閣)の高欄の手すりを床柱に使っています。

旧心平寺地蔵堂「天授院」 【国指定重要文化財】
1591(天正19)年築。鎌倉の建長寺近くにあった心平寺の地蔵堂。この辺りは秋には特に綺麗な景色になります。



聴秋閣 【国指定重要文化財】
1623(元和9)年築。徳川家光が上洛した際、京都の二条城に造らせたといわれる建物で、役目を果たしたあとは家光の乳母、春日局ゆかりの稲葉家の江戸屋敷に移築されていました。2階部分がある望楼型であるなど形状が異質で特徴的。


春草廬 【国指定重要文化財】
安土桃山時代築。織田信長の弟、織田有楽斎が建てさせた茶室で、ここに移築される前は月華殿に隣接して建てられていました。

蓮華院
1917(大正6)年築。原三渓が建てさせた茶室で、一部に宇治の平等院鳳凰堂の古材を使用しています。


旧天瑞寺寿塔覆堂 【国指定重要文化財】
1591(天正19)年築。豊臣秀吉が母親である大政所が大病した際に、その平癒を願って京都の大徳寺に天瑞寺を建立したところ平癒したため、長寿を祝って建立したもの。寿塔は長寿を祝って生存中に建てる墓のことで、これはそれを覆う建物。寿塔自体は、今も大徳寺の竜翔寺にあります。


旧燈明寺本堂 【国指定重要文化財】
室町時代の建築。燈明寺(とうみょうじ)は、近年まで京都府相良郡加茂町に所在していた寺です。



旧矢箆原家住宅 【国指定重要文化財】
1750年ごろ(宝暦年間)築。合掌造りの家で、ダム建設に伴い岐阜県大野郡荘川村岩瀬(現・高山市)から三渓園へ移築されました。

旧矢箆原家住宅 【国指定重要文化財】
こちらは2階の様子


旧東慶寺仏殿 【国指定重要文化財】
江戸時代初期築。鎌倉にある東慶寺から移築されたもの。禅宗様の特色が見られます。

横笛庵
建築年不明の茶室。建物名の由来は建物内に横笛の像が安置されていたことからですが、その像は戦災で焼失しています。

旧燈明寺三重塔 【国指定重要文化財】
1457(康正3)年築。園内の殆どの場所から眺めることの出来る、三渓園のシンボル的な存在。

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