京都市中京区(3)〜二条陣屋・壬生寺とその周辺〜
  Kyoto City Nakagyo Area (3)

▼MAP

▼アクセス
阪急京都線 大宮駅
嵐山電鉄 四条大宮駅
JR山陰本線 二条駅
 中京区特集第3回は、二条城の南にある二条陣屋と、新撰組ゆかりの壬生寺周辺を見ていきます。
 上写真は、NHK大河ドラマ「新選組!」で一躍有名になった、壬生の八木邸。新選組の屯所として使われ、今も彼らが活躍した当時の長屋門(1804年築/写真)、主屋(1809年築)が残っています。特に主屋には新選組初代局長、芹沢鴨が暗殺されたときについた刀傷が残っています。いずれも京都市指定文化財。
 ちなみに、写真右に少しだけ映っていますが、隣では八木家が経営する茶房・鶴寿庵があり一服することが出来ます。

前川邸
 八木邸のすぐ隣にある前川邸。こちらも新選組の屯所として使われた家で、当時のただ住まいを今も残しています(隊士達による落書きまで残っているとか)。ただし、製袋所として使われているため、内部見学は不可。
 ちなみに、山南敬助が切腹を命じられた場所もここ。

壬生寺 [重要文化財]
 壬生狂言で有名な寺。幕末には新選組も鑑賞したといいますが、それだけでなく境内で軍事訓練を盛んに行い、寺川としてはえらい迷惑だったとか。せめてもの救いは、沖田総司が近所の子供達と遊び面倒を見ていたことでしょうか?
 なお、境内にある大念仏堂は1856(安政3)年築の重要文化財。奥に映っている本堂は、1970(昭和45)年築と、こちらは比較的新しいものです。また、境内にある壬生塚には近藤勇、芹沢鴨など7人の隊士の墓があります。

新徳寺(現・新徳禅寺)
 前川邸の隣、八木邸や壬生寺の向かい側に建つ寺。新選組の前身である浪士隊は、江戸から上洛した際に、まずここに集められ、清河八郎が尊皇攘夷の演説をぶちまけました。

旧神先家住宅 [市指定文化財]
 1804(文化元)年頃築。神先家は元々は足利将軍家に使えていた家柄で、その後壬生村に住む郷士となったと伝えられています。

光縁寺
 
嵐山電鉄四条大宮駅近くの寺。新選組を脱走して切腹させられた山南敬助をはじめ、新選組隊士で主に切腹や暗殺など、非業な最期を遂げた人々の墓があります。

二条陣屋(小川家住宅) [重要文化財]
 江戸後期築。小川家は豊臣秀吉に仕え、伊予今治7万石の城主となった小川祐忠を祖とします。彼は関ヶ原の戦いで敗れ出家し、長男の小川千橘が萬屋平右衛門を名乗り、両替商に転向しました。
 ところが、やはり元々が武家の家柄だったからか、二条城の直ぐ南にあったからか、彼の家は二条城や京都所司代へ上洛する大名達の宿泊先となります。そのため、ただの住宅ではなく、大名の宿泊に対応した設備や防火対策も施されています。

街並み
 二条陣屋近くに残る町屋。

西本願寺太鼓楼 [重要文化財]
 おまけとして、新選組関連で西本願寺。西本願寺は幕末、長州を支援する傾向があったことから、新選組は敢えて本拠をこの太鼓楼と、北集会所(姫路市の本徳寺本堂に移築、現存)へ移しました。やはり軍事訓練を盛んにし、大砲をぶっ放したり、実弾射撃訓練などを実施。西本願寺としては大迷惑であり、従来は説明板にも新選組のことは一切書かず。大河ドラマが放映され始めてから、ようやく新選組関連の説明板を追加設置しました。
 それでもウマが合ったのか、明治維新後、新選組の数少ない生き残りであった島田魁が門番として終生、西本願寺に仕えたそうな。
 なお、この太鼓楼は1618(元和4)年築。