日本銀行・三井本館などの近代建築〜東京都中央区〜
  Buildings of modern ages in Chuo city , Tokyo

▼MAP

▼アクセス
JR・東京メトロ東京駅など
 今回は中央区に残る近代建築を特集。主に日本橋、銀座周辺を見ていきましょう。

1.日本橋周辺の近代建築
 まずは日本銀行や三井本館など、壮大な近代建築が残る日本橋周辺を見ていきましょう。その玄関口であるJR東京駅八重洲口も、まもなく大改築に伴い大きな変貌を遂げようとしています。また、日本橋周辺もコレド日本橋や三井タワーのオープンなど、新たな姿を見せています。三菱が開発を担当した丸の内と、三井が開発した日本橋という違いも、街歩きの際に留意しておくと良いかもしれません。

日本橋 【国重要文化財】
 設計:妻木頼黄など 築:1911(明治44)年
 現在の日本橋は、ルネサンス様式の花崗岩造、二連アーチ橋で、橋の名標は、なんと徳川慶喜が執筆を担当。
 日本橋は元々、1603(慶長8)年に架けられたもので、翌年に幕府が一里塚を設置。ここを諸街道の拠点にしたことから、日本橋と次第に呼ばれるようになりました。
 平成に入り、都市景観に関する関心が高まる中で、日本橋の上に架けられた高速道路を撤去、移設して景観をよくしようという論議が活発化。一方で、事業費数千億円と見込まれる公共事業に対する反対、なぜ日本橋だけ?や、高度経済成長の負の部分として残すべきなども意見もあり、先行きは不透明。

日本橋 【国重要文化財】
 設計:妻木頼黄など 築:1911(明治44)年
 日本橋は欄干に乗る彫刻も必見。これらの麒麟像や獅子像などは彫刻家の、渡辺長男による作品です。日本橋の守護神のごとく、見つめるその姿は必見!

東京駅八重洲口 *現存せず
 築:1954(昭和29)年
 間もなく取り壊しとなるJR東京駅八重洲口。デパートを中心とした商業施設の入った駅ビルというスタイルは、その後の全国の国鉄駅に大きな影響を与えました。そして建築から半世紀、取り壊し後は駅前広場&両サイドに高層ビルが誕生。
 これによって狭い八重洲口前も多少はゆったりとした雰囲気になりそうです。・・・ただ、両脇から高層ビルが圧迫するという、新たな問題も出てきますが。
 なお、建物の場所自体は東京都千代田区丸の内。敢えてここで掲載しましたが、要注意。

日本銀行本店 【国重要文化財】
 設計:辰野金吾 築:1896(明治29)年
 ニュースで飽きるほど登場する建築。東京駅と同じ、辰野金吾の手による建築で、バロック風の壮大な建築。ベルギーの国立銀行がモデルで、日本に残る、数少ない明治初期の建築としても貴重です。ただ、ご覧のようにどうもバランスが悪いような。また、当時としては珍しい水洗トイレやエレベーターが設置されたのも特徴です。
 ちなみに、ここはかつて幕府の「金座」があった場所。その名のとおり、金貨を鋳造した場所です。また、この日銀本店の向かい側には日銀の貨幣博物館があり、ボリューム満点の貨幣コレクションは必見。

日本銀行本店 【国重要文化財】
 別の角度から。

三井本館 【国重要文化財】
 設計:トロブリッチ&リビングストン社 築:1929(昭和4)年
 日本銀行と三越本店の隣に残る壮大な近代建築で、3年もかけて建築。何と、アメリカ人の設計&アメリカの建築会社による施工です。まさに、本格的な西洋の銀行建築。建物の規模も大きく、見るものを圧倒します。

三越本店(日本橋店) 【都選定歴史的建造物 】
 設計:横河民輔 築:1927(昭和2)年
 1915年、横河民輔が建築した店舗を大改造。日本初のエスカレーターも備え、大きな吹き抜けと共に当時は大きな話題を呼び、東京見物の名所に。ライオン前は今も待ち合わせの場所。奥に見えるのが左で紹介した三井本館。

三越本店・三井本館
 

三井越後屋ステーション
 設計:北山創造研究所  改装:2005(平成17)年
 2005(平成17)年10月〜2006(平成18)年3月まで期間限定で登場した三井越後屋ステーション。三越の前身である越後屋のイメージを、三井本館向かい側の三井第三別館1階で再現したもの。三井不動産は、今後ともこうした日本橋再生の取り組みを進めていくそうで、これからのプランが楽しみです。

高島屋日本橋店 【国重要文化財】
 設計:片岡安、高橋貞太郎、前田健二郎
 築:1933(昭和8)年
 三越百貨店と並ぶ日本橋の老舗百貨店。こちらも立派な近代建築であり、エントランス部分の装飾などは必見。なお、元々は日本生命館として建築、また、1952(昭和27)年に増築され、村野藤吾が設計を担当しています。
 2009年に国の重要文化財に指定されました。

野村證券本店
 設計:安井武雄 築:1930(昭和5)年
 総会屋との癒着事件の時は、良く登場した本店。安井武雄の「自由様式」なる建築の1つだそうで、過去の建築とは一線を画した、何とも表現の出来ない不思議な格好に。

三菱倉庫本社
 設計:三菱倉庫建築課 築:1930(昭和5)年
 船の艦橋(ブリッジ)のように突き出た塔屋が特徴的なビル。

日証館
 設計:横河工務所 築:1928(昭和3)年
 日本橋兜町に残存する貴重な近代建築の1つ。古さをまったく感じさせないデザインで、1階部分のアーチなどは本当に美しい。

山二証券(左)・成瀬証券(右)
 設計:、西村好時(両方とも)
 築:大正末(山二証券)/1935(昭和10)年(成瀬証券)
 こちらも日本橋兜町に残る貴重な近代建築。高層ビルに囲まれる中、果たしていつまで残ってくれるのでしょうか。

銀座周辺
 続きまして、今度は中央区でも銀座の周辺を見ていきます。明治維新で西洋風のビルが建ち並んだ姿も過去に。近代建築たちも次々と取り壊されていっており、いまやシンボル的存在の和光が最後の砦といったところ。それでも、細かく見ればまだ現役の近代建築もちらほらあり、銀座の歴史を見続けています。

旧服部時計店(現、和光)
 設計:渡辺仁 築:1932(昭和7)年
 三越銀座店の向かい側、地下鉄銀座駅のある交差点で、銀座のシンボル的な存在となっている和光。優美な曲線を描いたデザインに、時計店らしく立派な時計をつけた塔屋が特徴。

瀧山ビル
 設計:三輪幸左右衛門 築:1928(昭和3)年
 後述する交詢ビルヂングの隣に建つ近代建築で、ほぼ同時期に建築されました。1階部分は大改装され、ちょっと上部との違いが目立つ・・・。

旧交詢ビルヂング(現、交詢ビルディング)
 設計:横河時介 築:1929(昭和4)年
 現在は中央の入り口部分のみが貼り付けられている、旧交詢社のビル。交詢社は福沢諭吉が設立した政財界を中心とした社交クラブで、現在でも約2500名の会員がいます。
 かつての交詢社ビルの内部には、ビリヤード場やゴルフ練習場もあったとか。関東大震災の教訓を踏まえ、当時最新の耐震設計が行われました。2002年解体。2004年に現在の形で竣工しています。公式ホームページには、「包み込むガラスの箱は、明治以来日本の商業の中心としての「伝統」と「格式」を持ちつつ、なお進化を続ける銀座の「先進性」を表しています」と書いてありますが、名建築の価値を軽んじた最悪の保存例といえるでしょう。

建替え前の交詢ビルヂング
 建替え前の交詢社ビルヂングの様子。建物前に設置されている看板より。


築地本願寺
 設計:伊藤忠太 築:1935(昭和10)年
 西本願寺東京別院。当初は東日本橋1丁目にありましたが、1657年の明暦の大火で消失したため、現在地に移転。
 現在の建物は、関東大震災後に再建されたインド風の寺院建築。日本でもきわめて異例の建築様式です。ただし、内部は桃山様式と和風。

歌舞伎座 【国登録有形文化財】
 設計:岡田信一郎 築:1924(大正13)年
 桃山風の和風テイストの近代建築。歌舞伎座は、1889(明治22)年に福地源一郎が歌舞伎専門の劇場を造ったのが起源。現在の建物は戦災によって被害を受け、修築されています。
 建替えが決定しており、2010年ごろに新たな建物ができる予定。歌舞伎のイメージにぴったり合ったこの建物も、高層ビルに生まれ変わってしまうのでしょうか。

平和生命館
 設計:国枝博 築:1932(昭和7)年
 現存せず。2007年になって解体されてしまいました。

旧第一徴兵保険本社(旧銀座東邦生命ビル)
*現存せず
 設計:徳永庸 築:1931(昭和6)年
 現存せず。まさかこの、銀行・生命保険会社の王道のような立派な建築が解体されるとは思いませんでした。最後は「みずほ銀行」が使用しました。例のごとく、ガラス張りの薄っぺらい建築に生まれ変わり、ブランド物などのショップ「ZOE銀座」に改築。