増上寺大門
1937(昭和12)年築。
浜松町駅から北に歩くと見えてくるのが大門。慶長年間に徳川家康によって増上寺が大改修されたときに、江戸城の大手門を移築して設置されたもので、江戸時代は江戸名所の1つでした。明治維新後は東京府に寄付され、次いで東京市が芝公園の施設として管理していましたが、関東大震災による被災のため老朽化著しく、昭和12年に原形にのっとって復興しました。
なお、旧大門は両国の回向院に移築されましたが、戦災により消失しています。
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ペルリ提督の像
芝公園二設置されているもので、1948(昭和28)年7月20日に日本開国百年記念祭を行ったとき、東京都民からニューポート市に、石灯籠1基を贈った答礼としてこの像を受けたもの。
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台徳院霊廟惣門 【国重要文化財】
2代将軍徳川秀忠(台徳院)の霊廟にあった惣門。金剛力士像を左右に配置した立派な門で、3代将軍徳川家光が建立させたもの。戦災を免れて現在も残る、貴重な遺構です。美しく整備されすぎて、一見すると新しそうに見えてしまいますが。
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増上寺大殿
1974(昭和49)年築。戦災にあって消失した大本堂を復興したもので、2階の大本堂は1000人を収容可能。
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増上寺黒門(旧方丈門) 【港区指定文化財】
江戸時代初期(17世紀前半)築と推定される、増上寺の方丈(庫裏)への表門。四脚門で、全体が黒かったことから黒門とも呼ばれます。
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増上寺経蔵 【都指定有形文化財】
1605(慶長10)年築。1800(寛政12)年に現在地に移築されたもので、木造の八角形の輪蔵と、増上寺が保有する貴重な経典を保管。三門とともに、都内の建築としては最古級の存在。
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徳川将軍家墓所
鋳抜門
戦前は増上寺の南側にあった徳川将軍家の墓所。2代将軍秀忠、6代家宣公、7代家継、9代家重、12代家慶公、14代家茂公の六人の将軍、崇源院(二代秀忠公夫人)、皇女和宮などが祀られ、それぞれに霊廟がありましたが、戦災で消失。
現在も残る写真の鋳抜門は、文昭院殿霊廟(六代将軍 徳川家宣公)の宝塔前『中門』だったもの。左右5つずつの葵紋、昇り龍・下り龍が鋳抜されているのが特徴。
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地蔵
増上寺境内東側に整然と並んだ、お地蔵さんたち。
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有章院霊廟二天門 【国重要文化財】
現在の増上寺の東側に隣接する、東京プリンスホテル。その入り口に、7代将軍徳川家継(有章院)霊廟の二天門が残っています。霊廟は戦災によって焼失しましたが、この二天門は幸いにも残り、かつての豪華さを偲ばせています。
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旧増上寺御成門 【国重要文化財】
こちらは東京プリンスホテル東側に残る、増上寺の御成門。
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水盤舎 【港区指定文化財】
もと徳川綱重(徳川家光三男・清揚院)の霊廟にあったもので、戦災を免れたものを現在の増上寺境内に移築。お参りする前に手を洗う場所。
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大梵鐘
4代将軍徳川家綱の命で造られた梵鐘で、その音は遠くは木更津(千葉県)、熊谷(埼玉県)まで響いたとか。高さは1丈(約3m)、重さは4000貫(約15t)!!
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丸山貝塚・丸山古墳
増上寺の裏手にある丸山の丘陵の上に、都内最大級である全長約106mの古墳である、丸山古墳が残っています。その丸山の南東斜面には貝塚があり、古くから知られていますが学術的的な調査はあまり行われず、実態は不明です。
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伊能忠敬測量遺功の碑
江戸時代に伊能忠敬が、丸山古墳の斜面を利用して測量を実験していました。それを記念して建立された碑です。
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