熊本県鹿本郡植木町〜田原坂〜
  Tabaruzaka in Ueki Town , Kumamoto Prefecture

▼MAP

▼アクセス
JR鹿児島本線 田原坂駅から徒歩30分

▼関連サイト
田原坂資料館
植木町ホームページ:西南の役 田原坂 
 今回は1887年に起きた、日本最後の内戦とも言われる、明治政府軍と西郷隆盛率いる反政府軍(薩軍)が激突した西南の役の激戦地、そして桜の名所として知られる田原坂(公園)を紹介したいと思います。


 田原坂(たばるざか)はいわずと知れた西南の役の激戦地で3千人という多くの死者を出した所。熊本城に篭っている官軍を包囲し、更に北に進軍しようとする薩軍を官軍が待ち構えていたのが田原坂。当時田原坂は当時玉名(高瀬)から熊本へ大砲などを運搬し通過できるできる唯一の道でした。そのため、南下し包囲されている熊本城に兵を運びたい官軍はここを通るしかなく、薩軍とここで戦いが始まるのでした。


 数や武器で優る官軍でしたが、切り通しのようなこの坂では本領が発揮できず、しかも坂の上や林の中などから狙い撃ちにされ苦戦する。しかし官軍は田原坂の南にある七本を攻め落とし、薩軍を挟み撃ちにすることで倒し、17日間に及ぶ田原坂の戦いはここに終結。以後、薩軍の勢力は衰えて後退していき、半年後に西南の役も終わるのでした。


 上写真は一の坂。木がうっそうと生えていて、切り通しのようになっていて結構暗いのが印象的です。なお、またこういう場所柄なので心霊現象の噂が絶えないそうです・・・。なお、ここで紹介した以外にも公園内には復元された弾痕の残る家や土蔵造りの資料館などがあります。
(写真&解説:樺太南半分)
美少年の像
 公園内にある美少年像で、下には
雨は降る降る 人馬は濡れる 越すに越されぬ 田原坂
右手に血刀 左手に手綱 馬上ゆたかな 美少年
 と田原坂の戦いを謡った民謡が記されています(原文のうち、平仮名の部分を一部漢字にしています)。また、背後の大楠は、西南の役当時からのものだとか。
二の坂
 坂を上っていくと右側が開けてみかん畑や背の低い木々になり、景色が見えたりするようになります。一から三までの坂の中で二の坂が一番明るい場所です。
三の坂
 ここも右側が開けていて景色を眺めることができますが、頂上付近は一の坂のように切り通しのようになっています。
西南の役戦没者慰霊之碑
 後ろの黄緑色の文字で書かれているのは官、薩摩両軍の
戦没者名と出身県です。