東京都千代田区(4)〜丸ビル・モアイ像展示〜
  Aniversario 110 Anos Chile Japon La Exhibicion del Moai

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丸の内ビルディング 公式サイト
株式会社タダノ モアイ修復プロジェクト
 2007年9月4日(火)から9月17日(月)まで、東京都千代田区の丸の内ビルディングで、モアイ像が展示されました。
 これは日本・チリ修好110周年を記念したもので、チリ共和国大使館が主催したもの。高さ約3m、重さ6tの、本物のモアイ像がチリから運ばれ、免震装置の付いた特別な台座の上で展示されました。震度7の揺れも10分の1に低減するとか。
 なお、展示されているモアイ像は本物ではありますが、イースター島で古来からあるものではなく、1990年にイースターの島民が、来訪していた考古学者に「本物のモアイを造りたい」と夢を語ったことから、製造が始まったもの。ラノ・アロイ火山近くの大きな玄武岩から、祖先が造ったモアイと同様の手法で完成させました。そして、イースター島の祖先たちがモアイの1つ1つに名前をつけていたように、新たに完成したモアイにも名前が付けられ、「平和のモアイ」と呼ぶことになりました。
 1992年に完成して以後、平和のモアイは世界各国を訪問しています。
 特に11世紀から15世紀にかけて多く造られたモアイ。現地の言葉で彫像という意味で、祖先をあらわしています。
 アフと呼ばれる台座の上に5個程度から、多いもので15個のモアイが並べられました。
 人口7000人にまで膨れ上がったイースター島でしたが、限りある食料をめぐって、16世紀〜19世紀になると、部族間同士の対立が激化。敵方のモアイは引き倒され、さらに信仰も最高神マケマケの化身である「鳥人」崇拝へと代わっていきました。
 さらにヨーロッパからやってきた奴隷商人たちによって島民が連れ去られ、幸いにも帰還できた島民たちは外部から新たな病気を持ち込んだことにより、イースター島の人口は激減し、19世紀末には僅か100名程度になってしまいました。現在は2000名程度に回復はしていますが、多くはヨーロッパ人、タヒチ人、中国人との混血だとか。このモアイ制作の背景には、断絶しかけているイースター島の祖先たちの歴史と伝統と、再び繋がる意味合いがこめられています。
 おまけ、丸ビルの東側一角には、戦前に建てられた先代の丸ビルの外観の一部が復元されています。このアーチ形状の外観に懐かしいと思われる方は多いのでは? なお、ステンドグラスは昔の丸ビルのものを再利用しています。