大内氏滅亡後、山口は毛利家の支配下に入ります。
関ヶ原の戦いで敗北した毛利氏は防長2ヶ国に削減され、広島の地を去ることになりますが、それでも徳川氏への配慮と、海に面していたこともあり萩を本拠とし、山口には代官がおかれることになります。
ちなみに、この江戸時代初期の建物としては、
古熊神社が残っています(国指定重要文化財)。本殿が1618(元和4)年、拝殿は少し古く1599(慶長4)年築。もっとも、元々は室町時代(16世紀中頃 天文年間)に建築された物を移築流用したらしいです。
それから時は流れ、幕末に毛利家の政治の中枢部分が移転してきます。
その幕末時の史跡は、建築物にはほとんど見るべきものがありませんが、、木戸孝允生誕地、井上馨が襲われた地、その他幕末の志士の墓などがあります。
さらに瑠璃光寺そばの香山公園内には、枕流亭(ちんりゅうてい)が移築現存。これは、長州藩の桂小五郎らと、薩摩藩の重臣小松帯刀、西郷吉之助(隆盛)などが2階で会見し、幕府を倒す連合討幕軍の結成を討議していた小さな建物です。何度か移築の末、現在地に落ち着いてます。
また別ページで紹介していますが、山口城(山口藩庁)藩庁門が当時の名残をとどめ、現在は、山口県庁が建っています。ついでながら、そこには1916(大正5)年に建てたれた旧山口県庁本庁舎・旧県会議事堂(国重要文化財)も保存されており、県政資料館として活用されています。
近代建築はその他以下の通り。
左で紹介しているクリエイティブ・スペース赤れんが(旧県立図書館書庫)が1918(大正7)年築。場所は山口市中河原町5−12。
山口ふるさと伝承総合センターまなび館〜旧野村家住宅〜は(1886)年築の大きな和風の住宅です。龍福寺近くの山口市大字下堅小路12。
山口県立山口高校記念館(旧・山口高校講堂)〜1922(大正11)年築。場所は山口市糸米1−9−1。
山口県警察体育館〜1930(昭和5)年築。和風の堂々たる建築で、場所は山口市後河原片岡237。
山口県建設技術センター〜1928(昭和3)年築。場所は山口市春日町8−2。等となっております。
また、史跡とは別に山口市は湯田温泉と言う温泉街を持っています。1200年頃より続く由緒ある温泉で、幕末の志士たちも使ったことでしょう。さらに、歌人の中原中也などのゆかりの地でもあり、関係の句碑などが多くあります。