箱根関所〜神奈川県箱根町〜
箱根関所は、江戸時代に幕府が全国53ヶ所に設置した関所の中で、東海道に設置された重要な場所。当時、中山道の木曽福島(長野県)、碓井(群馬県)、東海道の新居(静岡県)と、この箱根が最大級の規模を持っており、江戸に不審者が入らないようにするための、重要な拠点でした。
ちなみに関所の主要な業務は、入鉄砲に出女という言葉に代表されるように江戸に武具を入れさせない、江戸を出る女性(特に対象とされたのが人質として江戸にいる大名の妻・・・ですが、農家の女性までも実際には対象)を厳しくチェックするもの。ただし、1633(寛永10)年以降は、基本的には箱根関所では鉄砲検査は行っていなかったそうです。また、関所の管理は小田原藩が行い、番頭1人、横目付1人、月交代の定番5人、兵5人、足軽25人が配属されていました。ちなみに、午前6時から午後6時までが門が開いている時間です。
ところで、こんな関所1つで不審者侵入と脱出を防げるのか、という疑問点があろうかと思いますが、実際には箱根以外にも、脇関所が根府川、仙石原、矢倉沢、川村、谷ケ(やが)に設置され、裏ルートからの潜入や脱出を防いでいました。
さて、1869(明治2)年に関所制度が廃止となって、箱根の関所も役目を終え、建物も無くなってしまいましたが、1922(大正11)年に国史跡に指定され、1965(昭和40)年には、御番所が復興されます。そして、1983年に発見された箱根関所の詳細な資料や、発掘調査を元に2007(平成19)年3月に完全復元。昔日の景観を取り戻しています。
(撮影・解説:裏辺金好)
○地図
○風景
京口御門
その名のとおり、京都方面に設置された門
全景
京口御門を入ったところ。左手に大番所、右手に足軽番所があり、奥が江戸口御門です。
大番所
小田原藩から出向した役人が、この部屋に詰めて関所を通る旅人の審査を行っていました。
上番休息所 勝手板の間
大番所と棟続きの建物で、南側に隣接。役人たちの日常生活の場所で、食事や休息に使用されています。
上番休息所 湯殿
風呂ではなく、あくまでお湯をかぶるだけ
大番所・上番休息所 土間
大番所 面番所
関所役人や定番人が詰めていました。部屋の前の縁側では、先ほどの「出女」の取調べが行われています。なお、手前の役人は旅人が差し出した箱根関所を通行するための証文を改めています。
大番所 上の間
客間ですが、鉄砲や弓を置くことで威圧感を旅人達に与えていました。
大番所 人見改
客間ですが、鉄砲や弓を置くことで威圧感を旅人達に与えていました。
上番所 下雪隠
箱根関所役人の専用トイレ。
足軽番所
大番所の向かい側の建物で、足軽が詰めるための施設です。
足軽番所 獄屋(ごくや)
関所破りをした罪人等をとどめおく牢屋です。
足軽番所
足軽番所
足軽番所
足軽番所 雪隠
厩
5頭の馬がつなげますが、実際には2頭しかいなかったようです。
遠見番所
足軽番所の裏手の丘に設置されたもので、船の通行が禁止されていた芦ノ湖や、東海道を監視していました。
江戸口御門
箱根旧街道杉並木
箱根関所の直ぐ近くに約300m残る、かつての東海道と杉並木(国史跡)。箱根を代表する街道の風景で、昔ながらの東海道の雰囲気が感じられる場所の1つです。
東海道 箱根宿
東海道五十三次の10番目の宿場で、関所前に広がります。1618(元和4)年に設置され、小田原宿と三島宿から50軒ずつ移住。それぞれ小田原町、三島町と名付けられ、前者は小田原藩、後者は三島代官所(宝暦期以降は韮山代官所)が管轄するという、特殊な宿場でした。