旧古河庭園〜東京都北区〜


 美しい洋館とバラ園、そして日本庭園が調和する旧古河庭園。
 その敷地は、元々は明治時代の大政治家である陸奥宗光の別邸だったもので、彼の次男である潤吉が古河財閥創業者の古河市兵衛の養子となったことから、古河家の所有となりました。そして1926(大正15)年に古河虎之助(市兵衛の晩年の子で、潤吉が36歳で亡くなったことから三代目当主となった人物)夫妻が引き払い、賓客用の別邸に。さらに1939(昭和14)年に国民党の汪兆銘が滞在。そして、戦争末期には九州九師団の将校宿舎として接収され、戦後は英国大使館付き武官の宿舎となりました。現在は国の所有の上で、東京都が借り受けて一般公開しています。

 さて、現在残る洋館と洋風庭園は1917(大正6)年に造られたもので、鹿鳴館、ニコライ堂や旧岩崎邸(洋館)などの設計を手がけたイギリス人、ジョサイア・コンドルの晩年の作品。

 洋館は地上2階、地下1階の建物で、天然ストレートを屋根にひく煉瓦造りの建物で、外観は赤みを帯びた小松石で覆っているのが特徴です。小松石とは箱根火山が噴火して流れた溶岩が、海で急速に固まって出来たもので、火成岩の中で安山岩と呼ばれるタイプ。基本的に神奈川県真鶴町で産出したものを指す、非常に貴重なものです。

 また、当時は和館と洋館を分けるのが一般的である中、コンドルは敢えて洋館の中に和室を多数設置。襖等を閉めれば、自分が洋館にいることを全く感じさせない構造になっており、長く日本で暮らしたコンドルの技が光ります。

 また、日本庭園は京都の庭師、小川治兵衛の手によるものです。
 2006(平成18)年、国の名勝に指定。内部見学には事前の応募が必要ですが、応募者が少ない場合は当日でも指定の時間に集まればツアー形式で見学することが出来ます。なお、内部の撮影は禁止です。

○地図



○風景



庭園は高低差を利用しており、高台はバラ園、そして低地は見事な日本庭園が広がっています。

また、日本庭園の脇には茶室もあり、洋館とはがらりと変わった光景が楽しめます。

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