北国街道 海野宿の古い町並み〜長野県東御市〜
2004(平成16)年に小県郡東部町と北佐久郡北御牧村が合併して誕生した東御(とうみ)市。
今回ご紹介する、海野(うんの)宿は旧東部町に位置し、1625(寛永2)年に北國街道へ設置されたもの。佐渡で産出した金の輸送や北陸諸大名の参勤交代ルート、善光寺詣での参拝客などでにぎわう北國街道の要所。明治時代には宿場町としての機能は衰微しますが、養蚕・蚕種業に乗り出して再び発展を遂げます。中央を流れる用水に、両脇に整然と並ぶ江戸から昭和初期にかけての古い家々が非常に美しい景観を形成しており、タイムスリップしたかのようです。
1986(昭和61)年に日本の道100選、1987(昭和62)年に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
(解説&写真:裏辺金好)
〇地図
○風景
屋根上の「気抜き」は明治時代の蚕室造りの家の象徴です。
本陣跡
江戸時代の旅籠屋造を今に伝えています。
2階の窓などの格子が、長短2本づつ交互に組み込まれているのが、江戸時代の海野宿の建築。
海野格子と呼ばれており、特徴的なものです。
立派な「うだつ」。このタイプは、「袖うだつ」と呼ばれ、明治時代の裕福な家に見られました。
一方、こちらの「うだつ」は「本うだつ」と呼ばれ、江戸時代のものです。