春日山林泉寺〜山形県米沢市〜


 米沢市にある林泉寺は、かつて長尾家(上杉家)の菩提寺であった越後春日山山麓の林泉寺を、関が原の戦いの後に上杉家が米沢30万石へ移封されたことに伴い、米沢に移した、もしくは同名の寺を建立したもの(現在も春日山山麓に林泉寺はあり、完全な引越しとは違うようです)。
 上杉景勝の実母(上杉謙信の姉で長尾政景の妻)仙洞院など、主に米沢藩上杉家ゆかりの女性の墓や、上杉家重臣で大河ドラマ「天地人」の主人公としても注目が集まる直江兼続夫妻の墓、武田信玄の息子で上杉家に仕えた武田信清の墓、上杉家重臣の甘粕景継の墓など、上杉家ゆかりの人物の墓が多数あります。
(撮影&解説:裏辺金好)

○地図



○風景


林泉寺山門
 名君として名高い、上杉鷹山時代に家老を務めて藩政改革に尽力した竹俣当綱(1719〜93年)。その当時からあった竹俣家の屋敷の門を、1902(明治35)年に移築したもの。寺によると上杉鷹山もくぐったとしています、


直江兼続・お船夫妻の墓 【山形県指定文化財】
直江兼続は上杉景勝の重臣で、一時は米沢30万石を領有し豊臣の称号を許されるほどの人物。
上杉家が関が原の戦い後に、兼続の領地である米沢30万石に削減された後も、上杉景勝を支え、米沢発展に尽力。
なお、初め米沢市内の徳昌寺に埋葬されていましたが、徳昌寺が廃絶となり、ここに改葬。
お船の方は直江景綱の娘。兼続とは再婚ですが、夫婦仲は非常によく、兼続は側室を持たなかったとか。


武田信清の墓 【山形県指定文化財】
武田信清は武田信玄六男で、武田家滅亡後に上杉家に仕官。高家衆の筆頭として優遇され、代々は米沢に居住。


吉江宗信の墓
吉江宗信は上杉謙信・上杉景勝に仕えた猛将で、1582年に魚津城を守り、織田家の柴田勝家と戦い戦死。
ちなみに織田信長が明智光秀に討たれた1日後だったとか。


甘粕景継の墓
上杉謙信・上杉景勝の重臣。
武勇名高い人物で関が原の戦い前には酒田城主(山形県)、白石城主(宮城県)などを務めました。


鉄孫左衛門泰忠の墓
上杉景勝の重臣。大阪冬の陣で武功を立て、将軍秀志より感状及時服を拝領しています。


新貝弥七郎の墓
米沢藩士・新貝喜兵衛の次男。吉良上野介義央の養子である吉良義周(上杉綱憲の次男)に仕え江戸へ行き
吉良邸で働いていたところを、赤穂浪士の襲撃を受け討死。


上杉家廟所入口


初代藩主上杉景勝生母、綾御前(仙洞院/上杉謙信の姉で長尾政景の妻)の墓

初代藩主上杉景勝正室、菊姫(甲州夫人/武田信玄の娘)の墓

2代藩主上杉定勝正室、市姫(鍋島夫人/佐賀藩主・鍋島勝茂の娘)の墓

3代藩主上杉綱勝正室、媛姫(会津夫人/会津藩主保科正之の娘)の墓

9代藩主上杉治憲(鷹山)側室、お豊の方の墓

米沢新田藩主・上杉勝周(米沢藩4代藩主・上杉綱憲の五男の墓

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