埼玉県川越市(2)〜喜多院・仙波東照宮・中院〜
   Kitain and Senba Toshoguh in Kawagoe City , Saitama Prefecture

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JR川越線/東武東上線川越駅よりバス
西武新宿線本川越駅よりバス

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川越市 川越の観光
 東京から最も近い、古い町並みが残ることで有名な埼玉県川越市。江戸時代には川越藩が置かれ、江戸を守る重要な拠点として酒井重忠をはじめとして、堀田正盛、松平信綱、柳沢吉保、秋元喬知、松平朝矩など有力な譜代大名や親藩が次々と配属されました。
 今回紹介する喜多院、仙波東照宮はいずれも徳川家ゆかりの場所。喜多院は830(天長7)年、慈覚大師が無量寿寺を開いたのが始まりで、1612(慶長17)年、徳川家康の知恵袋として有名な天海僧正が、住職となると喜多院と改めました。ところが、1638(寛永15)年の川越大火で喜多院のほとんどを焼失してしまいます。
 そこで、時の将軍、徳川家光は、なんと江戸城紅葉山の客殿、書院などを移築し、未だに現存。そのため、ここには何と、「徳川家光誕生の間」、「春日局化粧の間」と伝えられる物が残り、同時に、今では櫓・門を除けば失われてしまった、江戸城の建築物の遺構となっています。上写真は喜多院慈恵堂。県指定有形文化財で、1639(寛永16)年に再建されました。
 仙波東照宮と中院については後述します。
(撮影・解説:裏辺金好)

○喜多院の歴史的建造物

多宝塔 【県指定建造物】
 1639(寛永16)年築。元々は日枝神社と白山神社の間にありましたが、明治45年に道路拡張工事に伴い慈恵堂の近くへ移築。さらに1975(昭和50)年に現在地へ移築されました。


慈眼堂 【国重要文化財】
 1645(正保2)年築。慈眼大師天海をまつる御堂で、3代将軍徳川家光の命により建てられました。


山門 【国重要文化財】
 1632(寛永9)年築。天海僧正が造らせたもので、喜多院の中では最も古い建築物です。なお、右側に附属しているのが番所で、こちらは県指定有形要文化財。江戸中期から江戸末期の建築だと考えられています。


鐘楼門  【国重要文化財】
 建立年代は不詳ながら、1638(寛永15)年の川越大火後に再建されたという記録が無いことから、それ以前の建築である可能性がある2階建ての門です。


鐘楼門  【国重要文化財】
2階に施された細かい装飾は必見。


庫裏 【国重要文化財】
徳川家光の命で、江戸城紅葉山の別殿を移築したもの。江戸時代初期の江戸城の遺構として大変貴重なもの。


書院・客殿 【国重要文化財】
 同じく徳川家光の命で、江戸城紅葉山の別殿を移築したもの。「徳川家光誕生の間」、「春日局化粧の間」があります。造りは頑丈そうでしたが、意外と絢爛豪華というわけではありませんでした。残念ながら内部の写真撮影は禁止。


五百羅漢
 日本三大羅漢の1つとして名高い、喜多院の五百羅漢。川越北田島の志誠(しじょう)の発願により、1782(天明2)年から1825文政8年(1825)の約50年間にわたり建立されたもので、全部で538体もあるそうです。


五百羅漢
圧巻なのは表情や動作の1つ1つが違うこと。


五百羅漢
厳しい表情からやさしい表情まで多種多様。


五百羅漢


松平大和守家廟所 【市指定史跡】
1767(明和4)年から1866(慶応2)年まで川越藩主を務めた松平大和守家歴代藩主の墓。

仙波東照宮
 喜多院の南側にある仙波東照宮は、1617(元和3)年に、徳川家康の遺骸を久能山から日光へ運ぶ途中、喜多院で4日間逗留して法要を行った縁によって、天海僧正が1633(寛永10)年に創建したもの。やはり川越大火で燃えますが、こちらも直ぐに再建が行われ、現在でもその姿を見ることが出来ます。
 日光東照宮(栃木県)、久能山東照宮(静岡県)とともに三大東照宮の1つと称されるほど立派な東照宮ですが、当初から独立した社格をもっておらず、喜多院の一隅に造営されたのが特徴です。

随神門 【国重要文化財】
 江戸時代中期築。朱塗八脚門で、屋根は切妻造で”とち葺形”銅板葺。御覧のように、随身像が置かれていません。


石鳥居 【国重要文化財】
 1638(寛永15)年築。造営奉行の堀田正盛が奉納したもので、柱にその日付と名前を記した銘文が刻まれています。


拝殿・弊殿 【国重要文化財】
 1640(寛永17)年築。拝殿は桁行三間(約5.36m)、梁間二間(約3.64m)、屋根は単層の入母屋造で、正面は向拝一間(約1.82m)、銅瓦葺という構造。また、幣殿は桁行二間、梁間一間、一重、後面入母屋造で前面は拝殿に接続し、銅瓦葺という構造。


唐門・瑞垣・本殿  【国重要文化財】
 1640(寛永17)年築。中央正面の唐門は棟門形式で銅瓦葺。本殿の周囲を取り囲む瑞垣は腰上竪格子で腕木出桁造。本殿は漆塗彩色の立派な建築で、屋根は銅瓦葺です。


石燈籠
本殿や拝殿の周りに26基あるもので、松平信綱をはじめ歴代の川越城主が寄進したもの。
時代が下るにつれ、大きさが7尺(約2.12m)から最後は9尺(約2.73m)へと、少しずつ大型化しています。


中院
 仙波東照宮の南側に位置する中院は、創建は喜多院と同じく830(天長7)年、慈覚大師によるもの。元々は仙波東照宮があった場所に位置していましたが、その造営に伴い南側へ移転しました。天海僧正が喜多院に来るまでは、中院の方が隆盛を誇っていたといわれています。

本堂


庭園


島崎藤村記念碑
 中院には島崎藤村の義母、加藤みきの墓があり、島崎藤村もたびたびここを訪れました。


狭山茶発祥の地
 中院は慈覚大師が開山する際に、京都より茶の実を携え薬用として茶の栽培を始めました。これが広く普及していき、埼玉県を代表する狭山茶が誕生したといわれています。


釈迦堂
 1986(昭和61)年築。比叡山延暦寺の西塔にある釈迦堂(国重要文化財)を模して建造されたものです。



詳細は不明ですが、400年以上前の門と木札が掲げてありました。