山口県防府市(1)〜防府天満宮&宮市本陣〜
  Hofu Tenmangu in Hofu City in Yamaguchi Prefecture

▼MAP

▼アクセス
JR山陽本線防府駅より徒歩

▼関連サイト
防府天満宮公式ホームページ
 山口県を代表する観光名所の1つで、菅原道真を主神とする防府天満宮。その起源は以下の通りです。
 平安時代、菅原道真が藤原時平の讒言(ざんげん)によって太宰府に流される途中、しばらくこの地(勝間の浦)に滞在し、その後に彼が亡くなった翌日に勝間の浦に神光が現れ、この酒垂山に瑞雲が棚引きました。
 これを見た国司の土師信貞は、「菅公の御霊がお帰りになられた」と感じ、904(延喜4)年に松ヶ崎に社を立てたことに由来します。これは太宰府天満宮、北野天満宮に先立つもので、日本で最初の天満宮といわれています。長らく松崎天満宮(または松崎神社)と呼ばれていましたが、1953(昭和28)年から現在の名称になりました。上写真は防府天満宮の楼門。1963(昭和38)年に再建されたものです。

(撮影・解説:裏辺金好)

大専坊跡
 かつて防府天満宮の参道脇に9つあった社坊の1つ。これらは総称して酒垂山万福寺と呼ばれ、大専坊は別当坊でした。1557(弘治3)年、毛利元就が大内義長を山口に攻めた時に、ここを本陣として使ったり、幕末には木島又兵衛が、遊撃隊の屯所として陣を張り、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋などが行き交った場所です。
 1868(明治元)年の神仏分離令で万福寺は全て廃されましたが、1895(明治28)年に天満宮が買い戻します。この大専坊は江戸時代の建築で、神仏習合という日本独特の文化を今に伝えています。


春風楼
 高台にある防府天満宮ですが、ここからの眺めが格別。長州藩の10代藩主毛利斎熙(なりひろ)が、1822(文政5)年に五重塔の建設に着工するも、完成しなかった塔の一層部分を流用して、1873(明治6)年に楼閣風の建物として完成させたものです。仮に五重塔が出来上がっていたら、さぞかし素晴らしい規模になっていたことでしょう。


防府天満宮本殿


防府天満宮宮司・武光家屋敷跡

宮市本陣兄部家
 防府天満宮の麓にある宮市は、天満宮の鳥居前町として発展した場所。 兄部家は鎌倉時代から続く旧家で、合物(塩魚・干物)を手広く扱った豪商でした。江戸時代には参勤交代を勤める西国の大名の宿として使われています。
 建物内部は公開されていないものの、当時の面影を今に伝えていましたが、残念なことに2011年7月に火災で大部分を焼失しました。