菅沼合掌集落・岩瀬家住宅〜富山県南砺市〜
世界遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」に指定されている3つの集落(富山県南砺市菅沼地区、相倉地区、岐阜県白川村白川郷)。今回はそのうち菅沼地区の合掌集落と、そこから比較的近い場所にある国の重要文化財、岩瀬家住宅という大きな合掌造りの家を御紹介したいと思います。
さて、9棟の合掌造りの家屋が残る菅沼地区の合掌集落の魅力は、何と言っても蛇行する庄川に沿って、美しい水田と周囲の山々と共に合掌造りの家が残っているところ。あたかも江戸時代へタイムスリップしたかのような秘境感を味わうことが出来ます。そんな江戸時代、人々は生活の糧を得る手段として、養蚕、紙すきに加えて、加賀藩向けに火薬の原料となる塩硝を生産していました。
合掌造りの家は、湿った重たい雪にも耐えられ、雪下ろしも楽になるよう設計された急勾配の屋根にばかり注目がいきがちではありますが、塩硝を生産するための広い作業場や、養蚕のためのスペース、煙通しの良い屋根の構造など、見所が満載です。
また、有名な白川郷の合掌造りよりも菅沼地区、相倉地区(総称して五箇山地方)の茅葺き屋根の勾配が急になっています。これは白川郷よりも五箇山は雪が湿って重いため、少しでも多く屋根から雪が落ちるよう考慮したのだそうです。さらに茅葺き屋根の端の部分(破風=はふ)が丸みを帯びているのも五箇山の特徴。
そして菅沼地区オリジナルの特徴として、玄関が妻側(合掌造りの手を合わせた形に見える方)に設置されているのが特徴です。このページ内の岩瀬家住宅や、白川郷のページと比較してみてください。
(撮影&解説:裏辺金好)
●地図
●風景
このように玄関が妻側に設置されているのが菅沼地区の特徴。
五箇山の籠の渡し
なにやら川の上にうっすらと見えるもの・・・近づいてみましょう。
五箇山の籠の渡し
流刑地だった五箇山(この地域の総称)には橋をかけることは許可されず、ブドウのつるで作った大綱を張り、それに取り付けた籠を使って対岸に渡る・・・というのを再現したもの。これは危険そう・・・。
岩瀬家住宅
江戸時代後期、加賀藩の塩硝上煮役の藤井長右エ門により8年間の歳月をかけ建てられた、現存最大級の大きさを誇る合掌造りの家です。準5階建ての家で、加賀藩の役人が毎年巡視に訪れることから、書院、奥書院などがあるのが特徴。
なんで加賀藩の役人が来るかと言うと、この辺りの村々では塩硝(えんしょう)、すなわち硝石(しょうせき)=火薬の原料を作っていたわけ。つまり合掌造りの家々は、加賀藩にとって重要な軍事施設でもあったわけです。岩瀬家、というか藤井家はその上役であり、この家は役人の接待にふさわしい立派な構造だったのです。ところで、玄関の位置が菅沼地区と異なるのが、お分かりになるでしょうか。
岩瀬家住宅
岩瀬家住宅
岩瀬家住宅
岩瀬家住宅
強固なつくりになっている内部構造は必見。また、このように煙通しが良く、板の隙間からは下までみえます。多くの家では自宅の上部を利用して、養蚕などを行っており、岩瀬家も例外ではなく、3階から上は養蚕を行う作業場でした。
行徳寺
岩瀬家住宅に隣接する行徳寺。ここも古建築が残り必見。蓮如上人の弟子である赤尾道宗が、1513(永正10)年に故郷に創設した浄土真宗の寺院です。
行徳寺山門 【南砺市指定文化財】
建築年代は明らかではありませんが、18世紀の建築だと推定されています。
行徳寺本堂
行徳寺庫裏 【南砺市指定文化財】
幕末の建築で、合掌造りの庫裏になっているのが特徴。一般民家より木割りが太く、式台が設置されています。