所沢航空発祥記念館〜埼玉県所沢市〜


 日本の航空発祥の地である、所沢市に建設された航空博物館。所沢と飛行機の関係は、1911(明治44)年4月1日に、この地に幅50m、長さ400mの滑走路と格納庫、気象観測所を備えた日本初の飛行場が建設され、その僅か4日後に、徳川好敏大尉が操縦するアンリ・ファルマン機が、日本で初めて飛行場からの飛行に成功したことに始まります。
 この後も、所沢では日本初の国産軍用機「会式一号機」など、飛行機や飛行船の製造、パイロットの訓練が行われるなど、大2次世界大戦の終戦まで、日本の航空技術と共に歩んできました。
 戦後は飛行場が米軍に接収。1982(昭和57)年に約7割が返還され、県営所沢航空記念公園となります。そして1993(平成5)年に、日本でも有数の本格的な航空博物館として所沢航空発祥記念館がオープン。多数の実物機を展示しており、見ごたえは十分です。
 なお、ここで紹介したもの以外にも、通常非公開ですが格納庫にF−86D「セイバー」や、フォッカー D.VII(レプリカ) などの秘蔵機体を収蔵。年に数回公開されているため、公式ホームページを確認されたい。
(撮影&解説:裏辺金好)

○地図



○風景



YS−11A−500R
 航空公園駅を降りると、いきなりエアーニッポンが使用したYS−11が出迎えてくれます。展示機のJA8732は、1969(昭和44)年に製造。1997(平成9)年4月13日の大島〜東京便で活躍を終えました。機内は特定日に公開されています。


C−46中型輸送機「天馬」
1940年よりアメリカのカーチス・ライト社が3108機を製造した輸送機で、軍民双方で活躍。日本では航空自衛隊に導入され、空のデゴイチ(蒸気機関車D51のこと)と呼ばれるほど、幅広く活躍しました。

それでは、館内の展示をご紹介します。

会式一号機(レプリカ)
 アンリ・ファルマン機での飛行を受けて直ぐ、より高性能な機体を目指して、徳川好敏大尉が1911(明治44)年に所沢飛行場格納庫内で設計し、製造させたもの。同年10月13日に徳川大尉により所沢飛行場より初飛行が行われました。

ノースアメリカンT−6G
1934(昭和9)年にアメリカのノースアメリカン社で製造された練習機のベストセラー。日本では航空自衛隊が1955(昭和30)年に導入。1969(昭和44)年まで活躍しました。

シコルスキーH−19
1949(昭和24)年に原型機が初飛行したヘリコプターの大ベストセラー。軍民双方で活躍しました。日本では三菱重工でライセンス生産され、自衛隊と全日空で活躍しました。

シコルスキーH−19

セスナT310Q
T310は、1945(昭和20)年よりアメリカのセスナ社で製造された双発機のベストセラー。展示機は従来よりパワーアップしたT310Qで、本田航空で使用されていたもの。

セスナT310Q

バートルV44
原型機が1952(昭和27)年に初飛行した、アメリカのバイアセッキ社(のちバートル社)のヘリコプター。日本では陸上自衛隊が日本初の大型ヘリとして導入し、伊勢湾台風での災害救助に早速大活躍しました。

バートルV44


バートルV44


富士T−1B
T−1は1958(昭和33)年に原型機が初飛行した、戦後日本で初となる量産飛行機。長きに渡り自衛隊で活躍し、2006(平成18)年までに全機が退役しました。なお、現在は格納庫で保管されており、常設展示はされていません。


九七式戦闘機(レプリカ)
1936(昭和11)年初飛行。日本陸軍初の低翼単葉戦闘機で、中島飛行機が開発。展示機は2015(平成27)年にテレビ朝日系で放送されたテレビドラマ「妻と飛んだ特攻兵」の撮影に使用された実物大レプリカ。

ベルHU−1B
1961(昭和35)年から量産された、アメリカのベル社が開発したヘリコプター。軽武装攻撃・人員・物資輸送の双方をこなし、日本では富士重工業のライセンス生産で陸上自衛隊が使用。

パイパーL−21
1949(昭和24)年から量産された、PA−21の軍用型。展示機は陸上自衛隊で活躍した。

ビーチクラフトT−34「メンター」
 アメリカのビーチクラフト社が開発した練習機で、原型機は1948(昭和23)年に初飛行。操縦がしやすく、軽快かつ頑丈な機体が特徴で、自衛隊でも1959(昭和24)年に輸入された20機と、富士重工でライセンス生産された126機の、計146機が活躍。

川崎KAL−2
 1954(昭和49)年に川崎航空機で2機試作された連絡機で、1号機が海上自衛隊、2号機が航空自衛隊に納入された。1号機は現存せず、ここに展示してあるのは2号機。なお、本機体はコンペで富士重工業のLM−1(当時、ライセンス生産していたビーチクラフトT−34Aのの座席数を増加させたもの。つまり、1つ上の機体)に敗れたため、本格採用には至らず・・・。

スチンソンL−5
 アメリカのスチンソン社が1941(昭和16)年に設計し、第2次世界大戦にてアメリカ陸軍で活躍。日本では自衛隊の前身である保安隊に35機が供与され、1953(昭和28)年から1956(昭和33)年の短い間、活躍した。

ヒューズOH−6J
 アメリカのヒューズ社が1965(昭和40)年から量産した小型ヘリコプターの傑作。日本では川崎重工業がライセンス生産を行い、自衛隊や民間で活躍した。

グライダー霧ヶ峰式はとK-14型

ニューポール81E2(レプリカ)
 フランスのニューポール社が開発した複葉機で、本機は民間飛行家の岩田正夫の愛機であったもの。1926(大正15)年に地元に飛行をした際、埼玉県玉川村(現、ときがわ町)の河原で破損したため、そのまま寄贈。約70年にわたって慈光寺にて保存されていましたが、腐食により下写真のような状態に。設計図を元に、レプリカが復元されています。
 なお、同型機は日本の陸軍で甲式一型練習機として使用されています。

ニューポール81E2の一部

九一式戦闘機
 1931(昭和6)年に制式採用された、日本陸軍最初の単葉戦闘機。上写真は第2次世界大戦中に、宮城県加美町の方が購入した237号(製造番号)であり、このような状態ではあるものの、現存唯一の例となっています。2008(平成20)年4月には、日本航空協会が同機体を重要航空遺産の第1号に認定しました。

○格納庫




セスナ170B
 1953(昭和28)年に民間の航空会社が購入。1976(昭和51)年から国際航空専門学校(所沢市)が使用し、1994(平成6)年に所沢航空記念発祥館へ寄贈されました。


ヒューズTH-55J
 川崎重工業でライセンス生産されたもので、陸上自衛隊が練習用ヘリコプターとして使用。

YS-11胴体部分構造垂直落下実験用供試体

ノースアメリカンF-86D
 1958(昭和33)年に航空自衛隊に供与された、ジェット戦闘機の傑作。しかし、ライセンス生産されなかったことから部品の供給が困難で、僅か5年で全機が退役しています。

フォッカーD VII (レプリカ)
 1918年初飛行。ドイツ帝国のフォッカー社で開発された戦闘機。

ミルMi-8PA
 1961年にソビエト連邦のミル設計局で開発された輸送用ヘリコプター。本機は朝日航洋が購入したもので、物資輸送で活躍しました。

川崎バートルKV-107-II
 川崎重工業でライセンス生産したもので、本機は陸上自衛隊で使用されたもの。

川崎ベル47D

東北大学グライダー

日本大学人力飛行機

↑ PAGE TOP