志免鉱業所竪坑櫓・志免鉄道記念公園〜福岡県志免町〜


 福岡空港からも非常に近い場所にある志免鉱業所竪坑櫓(しめこうぎょうしょたてこうやぐら)。日本海軍が戦時中の1943(昭和18)年に完成させた、高さ53.6mもの巨大な建築で、設計者は第四海軍燃料廠長の猪俣昇。

 炭鉱で働く人と産出した石炭を昇降させる機械を設置するために造られたもので、ワインディング・タワーと呼ばれる形。この建物から垂直に掘られた深さ430mの竪坑を使い、なんと地下600mの石炭の層へ移動することができました。なにしろ、巻き上げに使われたモーターは1000馬力もあったとか。

 ちなみに、他にワインディング・タワー形式の建物が残るのは、龍鳳炭鉱(中国・撫順市)、トランブルール炭鉱(ベルギー・リエージュ州)のみです。

 さて、この竪坑櫓は、戦時中に物資不足にあえぐ日本であったにもかかわらず、イギリス製の鉄鋼をふんだんに用いた鉄筋コンクリート造で建設され、「海軍仕様」、「東洋一の竪坑」と謳われました。戦後は管理者が何度か代わった後、日本国有鉄道(国鉄)志免鉱業所となり、蒸気機関車の原料を産出し続けますが、エネルギーが石油に取って代わられるようになり、1964(昭和39)年に閉山となりました。ですが日本で唯一、終始一貫して国営で運営され、いかにこの場所が国にとって重要であったかを物語っています。

 付近のボタ山と共に長らく放置され、解体の危機にも瀕しましたが、熱心な保存運動の末に、周辺が福祉施設として整備される一方、竪坑櫓は2007(平成19)年に国の登録有形文化財に指定。さらに産業遺産が急速に注目される中、2009(平成21)年に国の重要文化財へと指定されるよう答申されたことは、非常に喜ばしい限りです。

 それからもう1つ、この竪坑櫓がある高台の麓(ふもと)にある志免鉄道記念公園は、1985(昭和60)年に廃止された国鉄の勝田線(福岡市博多区の吉塚駅と宇美町の筑前勝田駅を結んだ路線)の志免駅ホームを活用した公園。かつては炭鉱の駅として大きく栄えたと思われますが、現在では見る影もなく、現存するホームも道路で分断されています。
(撮影&解説:裏辺金好)

○地図



○志免鉱業所竪坑櫓


当時の風景。今ではすっかり風景が変わってしまいました。


戦時中にこれだけの巨大な建築と機械を設置していたとは、驚くほかありません。

上層部をアップで撮影。廃墟のような雰囲気になっていますが、現在の内部はどうなっているのでしょうか。


直ぐ脇には炭鉱への斜坑口も保存。

こちらも同じく。どのように活用されるか、期待したいものです。

○志免鉄道記念公園


志免駅ホームと線路。奥に車が映っていることで解るとおり、ホームは分断されています。


反対方向から。


駅名標。おそらく新しくされたものでしょう。

さらに遠くからホーム全景を眺める。

モニュメントとして活用。

志免駅跡には何も車両がいませんが、直ぐ近くの志免町メインパークに9600形29612号機が保存されていました。2015(平成27)年、大分県豊後森の旧豊後森機関庫に移設されています。

反対側から見た風景。

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