数多くの文化財や史跡が残る会津若松市。今回御紹介するのは、飯盛山にある「さざえ堂」と、戊辰戦争で官軍と戦った若き少年隊士の「白虎隊」の二番隊の隊士のうち、19名が自刃して最期を遂げた場所を御紹介します。なお、別ページで紹介しますが、麓にある旧滝沢本陣も、必見。セットで回られることをオススメします。
さて、通称「さざえ堂」こと、旧正宗寺三匝堂(三匝とは、「そう」と読みます)。1796(寛政8)年、現在は存在しない正宗寺の仏堂として郁堂(いくどう)和尚が建立したもの。正宗寺は明治初期の廃仏毀釈で無くなりましたが、この「さざえ堂」は個人の所有として存続しました。
六角3層、高さ16mの「さざえ堂」の中は、二重らせん構造の通路によって構成され、階段が無く、一方通行にて昇降別々で建物の中を上下するという構造なのが特徴。同種の建物は他にも各地に現存していますが、こんな二重らせん構造になっているのは唯一の例。近代の建築以前に、この二重らせん構造を採用したものは、フランスのロワール地方にあるシャンボール城内部にて、レオナルド・ダ・ヴィンチが設計したものなど少数だそうです。
(撮影&解説:裏辺金好)