武田信玄に代表される武田氏は甲斐国(山梨)のイメージが強いですが、その発祥は常陸国、現在の茨城県ひたちなか市武田。平安時代、源義光(源義家の弟)の三男である源義清が、この地を領有して武田氏を名乗ったのが、武田氏の始まりだと考えられています。そして源義清と、その息子である清光は勢力を拡大しようとし、在地勢力と争いますが、朝廷に訴えられ甲斐(山梨県)に配流。そして甲斐で再び勢力を拡大したほか、子孫は安芸や若狭にも守護として勢力を確保しました。
さて、かつての武田氏館は那珂川を見下ろす武田台地の突端にあったと考えられます。この復元された武田氏館は、竹下元総理による「ふるさと創生事業」により、往時の位置の近くへ建設したもの。鎌倉時代の地方豪族の館を参考にした主殿造で、主殿を中心に、左右にそれぞれ厩や納屋を配しています。
このように復元であっても、中世の武士の屋敷を見られる例は、岩手県奥州市江刺区の「えさし藤原の郷」など数少ないので、非常に貴重な素材です。
特色としては、主人や家族が住んだ主殿内部は、柱だけで間仕切りが無いこと。必要に応じて、几張(きちょう)や衝立(ついたて)を使って、簡易的に部屋を分割して使用しました。なお、復元された主殿は防火の観点から、わら葺き風の銅版葺き屋根ですが、本来は藁葺き屋根です。
一方、武田氏館の目の前に建つのが湫尾(ぬまお)神社。武田郷の鎮守武田大明神とも称され、社殿は1648(慶安元)年に建てられたもの。茅葺屋根の拝殿が歴史を感じさせてくれます。
(撮影&解説:裏辺金好)