六華苑&諸戸氏庭園〜三重県桑名市〜
  Rokkaen and Mr,Moroto's Park in Kuwana City , Mie Prefecture

 今回ご紹介するのは、二代目諸戸清六の邸宅である六華苑(上写真はその洋館部分)と、隣接する初代諸戸清六の屋敷と庭園である「諸戸氏庭園」です。

 諸戸家は19世紀中頃から桑名で活動した豪商で、初代諸戸清六は桑名で米穀業を営み成功。父の残した莫大な負債を完済し、日本一の大地主と称されるほどの財を築くと共に、水道設備を桑名に設置して市民に開放するなど、桑名の発展にも尽力します。

 諸戸家はその後、次男・精太の血をひく西諸戸家(諸戸宗家)と二代目清六を襲名した四男・清吾の東諸戸家(諸戸本家)に分かれ、各々が現在も様々な事業を手がけています。

 さて、最初に紹介する六華苑は、鹿鳴館などを手がけたジョサイア・コンドルが設計した4層の塔屋をもつ木造2階建て天然スレート葺きの洋館(1913(大正2)年に完成)と、これと接続する和館(1912(大正元)年完成)や蔵、池泉回遊式庭園が見事に残る場所。建物は国の重要文化財に指定され、庭園は国の名勝に指定されています。
(撮影&解説:裏辺金好)

▼MAP

▼アクセス
JR&近鉄桑名駅よりバス

▼関連サイト
桑名市役所「六華苑」
諸戸氏庭園公式サイト


○外観

長屋門


和館入口
ただしこの部分は1948(昭和23)年に撤去されたものを復元したもの。


洋館と和館
洋館をL字型に囲むように和館が隣接していることがわかります。


庭園


旧高須御殿
木造平屋建て、2部屋からなる離れで、現在の岐阜県海津市にあった高須藩の御殿を移築したものと云われます。


一番蔵
木造2階建ての土蔵。和館北廊下と接続し、接客用調度品を収納。


二番蔵
木造2階建ての土蔵。元々は膳腕・什器類を収納。


番蔵棟
南面及び東面に下屋を設けているのが特徴。衣類や日用品を収納。


稲荷社
屋敷内に設けられた社殿。


離れ屋
1938(昭和13)年に建てられたもの。


私が訪問したときには雅楽のイベントが開催されていました。


○洋館内部

洋館入口


食堂


客間


女中室
コンドルは予備室として設計しましたが、女中部屋として使用。押入れは和式になっているのが特徴。


寝室


書斎
窓際が屈曲するのは、コンドルらしいデザイン。サンルームに通じています。


サンルーム
ここから庭園を眺めることも出来ます。


居間
洋風と思いきや家具類は和風。


トイレ
大正2年の建築当時から水洗トイレ。タイルは輸入品です。



階段


○和館内部

廊下


居間(二の間)


旧高須御殿内部

○諸戸氏庭園
 隣接する旧諸戸氏庭園は、初代諸戸清六の屋敷。その起源は、1686(貞享3年)、豪商の山田良順(彦左衛門)が下屋敷・隠居所としてこれを買い求め、庭園を造ったことに始まります。1884(明治17)年に初代諸戸清六の手に渡り、御殿と庭が付け加えられています。小さな洋館もあり、六華苑とは違った趣を味わうことが出来ます。

 こちらは初代諸戸清六の死後、次男の諸戸精太が相続。六華苑と異なり西諸戸家(諸戸宗家)の施設となり、現在は殆どの部分を財団法人諸戸会が管理しています。


外観全景


主屋 【国指定重要文化財】
1884(明治17)年から数年で建築され、1889(明治22)年の「諸戸店」開業時に店舗として使用したもの。


土蔵

レンガ蔵 【三重県指定文化財】
本来は5棟ありましたが、1945(昭和20)年に火災で2棟を失っています。米蔵として使用されました。

洋館
まだ未整備の部分もあるようで、今後の整備が待たれます。

洋館内部
ガラス越しに撮影。

御成書院 【三重県指定文化財】 *内部非公開
書院造、南面、桁行7間半、梁間4間、2層入母屋造りの御殿。
元々は豪商山田良順(彦左衛門)が、毎年藩主を迎えるために建てたもの。

庭園
国名勝で、宮内省の技師である小平義近を招いて作庭。池は琵琶湖を模しています。

推敲亭   【三重県指定文化財】
創建当時から残る四注造りの草庵。豪商山田良順(彦左衛門)が建てさせたもの。

御殿(広間) 【国指定重要文化財】
1891(明治24)年築。大隈重信や山縣有朋もここを訪れました。

御殿(広間) 【国指定重要文化財】

玄関及び座敷 【国指定重要文化財】
1890(明治23)年築。大隈重信の指示で外務省の表玄関を模して建築。
なお、この頃に諸戸清六は妻を亡くしており、失意のうちのあるときに佐野常民子爵が御殿の着工を助言したとか。

蔵前祭車庫 【国登録有形文化財】
1926(大正15年)築。旧諸戸氏庭園のすぐそばにある、三重県内でも初期の鉄筋コンクリート建築。