函館の近代建築群〜北海道函館市〜
函館市は札幌市、旭川市に次ぐ人口を擁する渡島半島の南東端の都市。1453(享徳3)年、津軽の豪族である河野政通が、宇須岸(ウスケシ:アイヌ語で湾の端の意)と呼ばれていた漁村に館を築いたところ,箱に似た館であったことから、辺りが「箱館」と呼ばれることになったのが名称の由来です(※諸説あり)。
江戸時代末期に日米修好通商条約によって開港されたことから、日本有数の港町として発展。1868〜69年の戊辰戦争末期には、明治新政府に対抗して幕臣の榎本武揚らが箱館を占領し、箱館の五稜郭を拠点に蝦夷共和国を宣言しますが、新政府軍の攻撃の前に降伏。そして、箱館は函館と改名されました。
このページでは、明治から昭和にかけての美しい洋風の街並みを形成する函館の近代建築たちを御紹介します。 (撮影・解説:裏辺金好)
○函館市元町末広町 重要伝統的建造物群保存地区
太刀川家住宅店舗 【国指定重要文化財】
1901(明治34)年築。煉瓦造りの壁体を漆喰で塗り込めた不燃質和風建築物であるのが特徴。
旧函館水上警察庁舎(現・函館市臨海研究所) 1926(大正15)年築。開港当時の運上所跡地に水上警察署として建築され、後に函館西警察署となり1984(昭和59)年まで使用されました。2007(平成19)年には建設初期の外観を忠実に復元されています。
旧・相馬合名会社(現・相馬株式会社) 1916(大正5)年築。1914(大正3)年築との説もありますが、いずれにしても和風とルネサンス風をミックスさせ、ペパーミントグリーン色に塗った特徴的な建築は、路面電車との組み合わせで函館を代表する景観としてよく表れます。
旧・日本銀行函館支店(現・函館市北方民族資料館) 1926(大正15)年築。当時の日本銀行としては随分とシンプルなデザインで、直線的な列柱を除けば、装飾的なものは殆ど無し。現在は、函館市北方民族資料館として、アイヌ民族やアリュート族の貴重な資料・民具など約1000点を展示しています。
旧・安田銀行函館支店(旧・ホテルニューハコダテ) 【函館市伝統的建造物】
1909(明治42)年築。戦後の財閥解体により富士銀行となり、さらにホテルに転用。
残念ながら2010(平成22)年1月20日に閉店したそうです。
旧・第一銀行函館支店(現・函館市文学館)
1921(大正10)年築。
旧巴ビル(現・高田印刷)
1912(大正13)年築。
旧・イギリス総領事館(現・開港記念館) 【函館市有形文化財】
1913(大正2)年築。イギリス政府工務省上海工事局の設計。
1934(昭和9)年までイギリス総領事館として使われました。
旧・函館区公会堂 【国指定重要文化財】
1910(明治43)年に、豪商・相馬哲平の寄付によって建設されたもので、後の大正天皇も皇太子時代の1911(明治44)年8月に、3日間宿泊された立派な施設。この際に御湯殿(浴室)などを増築しています。
旧・函館区公会堂 【国指定重要文化財】
旧・函館区公会堂 【国指定重要文化財】
2階の大広間は、130坪の広さを誇ります。
旧・函館区公会堂 【国指定重要文化財】
大正天皇が皇太子時代に御宿泊された際の御寝室。
旧・函館区公会堂 【国指定重要文化財】
大正天皇が皇太子時代に御宿泊された際の御座所。平成元年10月2日には、今上天皇もご休憩された。
旧・函館区公会堂 【国指定重要文化財】
大正天皇が皇太子時代に御宿泊された際に御使用された御後架(便所)と御湯殿(浴室)。
旧・函館区公会堂からの風景
高台にあるため、函館の町並みと海を一望できます。
旧北海道庁函館支庁庁舎 【北海道指定有形文化財】
1909(明治42)年築。後に1950(昭和25)年まで渡島支庁庁舎、
その後は北海道関係施設として1967(昭和32)年まで使用されました。
旧開拓使函館支庁書籍庫 【北海道指定有形文化財】
1880(明治13)年築。旧支庁舎に隣接する赤レンガ書庫で、明治40年の函館大火後も残った貴重な建物です。
遺愛幼稚園
元々は1895(明治28年)9月に遺愛女学校(キリスト教プロテスタントの教育)の附属幼稚園として建てられたものですが、現在の建物は、1907(明治40)年の火災で焼失した後に、アメリカの篤志家の寄付によって1913(大正2)年に建築されたもの。なお、遺愛女学校は、この元町から杉並町に新校舎が建てられ移転しています(後ほど紹介)。
函館ハリストス正教会復活聖堂 【国指定重要文化財】
1916(大正5)年築。 河村伊蔵の設計で、ビザンチン様式の塔が特徴的です。
元町カトリック教会聖堂 【函館市伝統的建造物】
1909(明治42)年築。
古い町並み
教会周辺には、レトロな雰囲気を残す住宅が数多く残っています。
旧今井百貨店函館支店(現・地域交流まちづくりセンター)
1923(大正12)年築。後に市役所分庁舎として利用され、現在は、後年増築された部分を撤去し、
建築当初の姿に美しく復元した上で「地域交流まちづくりセンター」として活用しています。
東本願寺函館別院本堂 【函館市伝統的建造物】
1915(大正4)年の建築。度重なる火災を教訓に、日本で初めての鉄筋コンクリート寺院として建てられたもの。
表門、南門、コンクリート塀も同時期の建築で今も当時のままです。
現存日本最古のコンクリート電柱
1923(大正12)年に函館水電会社(現・北海道電力)によって造られた電柱です。
古い町並み
この辺りも古い住宅や店舗が数多く残っています。
旧渡辺商店(旧・ペンション古稀庵) 【函館市伝統的建造物】
1909(明治42)年築。1974(昭和49)年にペンションに転用されましたが、2010(平成22)年に閉店。
金森倉庫1号・金森倉庫2号 【函館市伝統的建造物】
1909(明治42)年築。現在では金森赤レンガ倉庫として、函館有数のショッピング街になっています。
函館丸
幕末に函館奉行所が建造させた、日本人の手による初の洋風帆船「箱館丸」・・・を1988(昭和63)年に復元した「函館丸」です。
○その他地域
旧・遺愛女学院(現・遺愛学院)本館 【国指定重要文化財】
1908(明治41)年築。J.M.ガーディナーが設計した、木造2階建での学校建築。
正面中央に車寄付玄関を設け,翼部と円形突部を加えた構成。
遺愛学院講堂 【国登録有形文化財】
1935(昭和10)年築。本館よりも後の建築なのは、生徒数増加に伴い、改築したためです。
旧・遺愛女学院宣教師館 【国指定重要文化財】
1908(明治41)年築。本館と共にアメリカ人であるガーディナーが設計しているため、古きよき時代のアメリカといった雰囲気もありますね。