アンデルセン(旧・帝国銀行広島支店)
1925(大正14)年築。広島市の中心街・本通りに位置し、現在はベーカリーショップ・アンデルセンという民間企業の店舗。社長によるとデザインがいいからこれからも活用したいとのこと。多少原型は損なわれていますが、現役で活用されてこそ建物としての価値があると思います。
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旧日本銀行広島支店 【広島市指定文化財】
1936(昭和11)年建築。3階建て地下一階の構造を持ち、被爆時は窓を開けていた3階部分のみが大破したと言います。現在は時折イベントなどで使われています。
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袋町小学校(旧袋町国民学校)
アンデルセンのすぐそばにあります。これが学校?と思われるかもしれませんが、実は 平成13年まで、完全な姿を残していたのですが、保存の声が無視され大半が取り壊しにあいました。今残っているのは、ほんの一部分だけ。それも、ご覧の通り原形をとどめているとは言えません。長崎では、きちんと似たような校舎が保存されているそうです。広島も、もう少し考えても良かったのでは?
この他、はだしのゲンに登場する本川小学校も、同じように残っていましたが、これも昭和63年にほぼ解体され、わずかな部分を記念に残しているだけです。
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福屋百貨店
この建物は1938(昭和13)年に建てられ、地下2階、地上8階の冷暖房がととのった本格的デパートでした。原爆により全焼し、「白亜(はくあ)の殿堂と称された本館は、建物の外側を残すのみとなりました。現在もデパートとして使用されています。
(広島市ホームページより)
市内中心部にあり。被爆建物と全く感じさせないほど、今も昔も福屋百貨店として現役バリバリで活躍中です。
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広島逓信病院
1935(昭和10)年築。市内中心部の八丁堀から北へ。今も同じ名前で残る広島逓信病院の側・・・というより日本郵政公社の建物の前にあります。非常に綺麗に保存されているため、これが被爆建物か?と思うぐらいですが、被爆時には窓ガラスも全て吹き飛んだなか、必死に、火災をまぬがれた僅かな薬剤や衛生資材で被爆者の治療が行われました。
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日本赤十字病院(旧広島陸軍病院赤十字病院本館)
保存運動の声も聞き入られず、一部がモニュメントとして残ったものです。元の建物は1939(昭和14)年築。当然、被爆時には多くの人が治療を求めて外来し、そして亡くなっていきました。病院関係者も多くが被爆しなくなっているため、残った人達での治療は困難を極めたことは想像に難くありません。
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旧・広島大学理学部本館
(旧・広島文理科大学本館)
1931(昭和6)年築。爆心地から約1.5kmの元広島大学東千田町キャンパスに位置し、被爆時は広島文理科大学、広島高等師範学校・同付属中学校と国民学校があった場所。文理大本館・図書館・付属国民学校の校舎のみが残り、あとは全て吹き飛ばされ倒壊しました(右上へ)。
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旧・広島大学理学部本館
(旧・広島文理科大学本館)
戦後は広島大学として使われていましたが、東広島市に移転したため空き地に。他の被爆建物は壊され、ここだけが残りました。一時は解体も計画されましたが、幸いにも保存が決定され、周辺は「ひろしまの『知の拠点』再生プロジェクト」による再開発が行われる模様です。
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広島電鉄(株)千田町変電所・資材倉庫
(旧・広島電気軌道(株)火力発電所)
1912(大正元)年築。今の広島電鉄の千田車庫(広電本社前)に残っているレンガ倉庫と、隣接する鉄筋コンクリート造りの2棟。元は発電所でした、昭和9年よりボイラー棟を資材倉庫に、発電棟を直流変電所に用途変更。原爆によって屋根を中心に被害を受け改修を受けています。
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広島市郷土資料館 【広島市重要有形文化財】
(旧・広島陸軍糧秣支廠=缶詰工場)
1911(明治44)年築。兵士の食料、馬の秣(まぐさ)の生産が目的です。現在、広島市郷土資料館として使用。南区(宇品地区)にある煉瓦造りの立派な建物です。常設展では、広島の近世以降の伝統的地場産業や昔の暮らしに関する展示を行っています。
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旧・広島陸軍被服支廠
1913(大正2)年築。日本通運所有の後、現在は広島県(1〜3号棟)・財務省(4棟)が管理しています。場所は南区出汐2丁目4-60広島工業高校の近く。
なお、近くの広島大学医学部医学資料館も、大正3〜4年に建てられたレンガ倉庫のうち11号棟(の一部)を使用した物となっています。
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広島大学附属中学校・高校講堂
1927(昭和2)年築。
渡り廊下が建物の前面を横切っているため、残念ながら全体像を写すのは困難ですが、シンプルな形の中にゴシック調の柱など、色々と装飾が凝らされていて面白い建物です。
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広島港湾事務所(旧・宇品港水上警察署)
1904(明治34)年築の長い歴史を持つ建物。古い広島港(宇品港)関連の貴重な建築の最後の生き残りで、しかも木造の建築ですが、潮風に当たっていることもあり劣化は著しいです。きちんと修復すれば、さぞかし立派な洋館になると思うのですが。それより解体の方が心配。
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旧国鉄宇品線宇品駅ホーム跡&レンガ倉庫跡
明治30年に開通し、戦前は主に軍事用鉄道として、戦後は貨物営業を中心に旅客営業も少し行った国鉄宇品線。昭和47年に惜しまれつつ廃止となり、終点の宇品駅にホーム跡が残っていましたが、2004年に高速道路建設に伴い、ついに解体。残すはこの、駅に付属していた旧・宇品陸軍糧秣支廠倉庫をモニュメントとして残した物だけです。
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E.R.E宇品御幸ビル(旧、中国配電南部変電所)
被爆建築の1つ。爆心地から4km離れていたため窓ガラスが破損した程度で済みました。戦後は中国電力宇品変電所として使用されてきましたが、1994(平成6)年に新変電所の完成に伴い、役割を終えています。
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広島市水道資料館(旧、牛田浄水場ポンプ室)
1924(大正13)年築の浄水場のポンプ室。被爆時には予備の内燃機送水ポンプで市内に水を供給。現在は浄水場としての役目を終え、敷地の大部分はスポーツセンター「広島ビックウェーブ」などとして生まれ変わりましたが、原爆も乗り越えた、このレンガ建築は水道資料館として保存。日・水・金曜日に公開。(左下へ)
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広島市水道資料館(旧・牛田浄水場ポンプ室)
展示物は当然水道関係の展示で、色々と面白い物を間近に見ることが出来てオススメです。場所は、アストラムライン牛田駅より直ぐ。前回紹介しました不動院とセットで見るのがオススメのコースです。
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広島市水道資料館別館
敷地内にある、こちらの建物も被爆建築だそうです。
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