広島東照宮&國前寺〜広島県広島市東区〜
広島駅新幹線口から北に約10分ほどの場所に位置する二葉山周辺は、数多くの寺社仏閣があるエリアで、原爆で焦土と化した広島市中心部の中でも、奇跡的に数多くの古建築が残っています。今回はその中でも、広島東照宮と國前寺をご紹介しましょう。
まず上写真の広島東照宮。1646(正保2)年から1648(慶安元)年にかけて、広島藩主の浅野光晟(みつあきら)が、母方の祖父である徳川家康を祀るため、広島城の鬼門(東北)の方向に当たる二葉山の山麓に造営したものです(家康の三女である振姫が、浅野光晟の母親)。東照宮は徳川家光が日光東照宮に倣って、全国に造営を推奨していたものですが、同じく家康の孫であった浅野光晟は、特に熱心に造営したそうです。
第2次世界大戦における広島への原子爆弾投下によって、社殿は熱風による出火で全焼しますが、境内に陸軍の通信兵たちが常駐していたことから、消火活動によって延焼は免れました。このため、上写真の唐門、翼廊をはじめ、創建当時の建物が残っています。
(撮影:裏辺金好)
○場所
○広島東照宮
唐門・翼廊 【広島市指定重要文化財】
1646(正保2)年築
手水舎 【広島市指定重要文化財】
1648(慶安元)年築
御供所 【広島市指定重要文化財】
1648(慶安元)年築
本地堂 【広島市指定重要文化財】
1648(慶安元)年築
社殿
原爆で焼失後、1965(昭和30)年に再建。1984(昭和59)年、本殿や拝殿等を建て替えました。
○國前寺
広島東照宮の東にある日蓮宗の寺院で、1340(暦応3)年に「暁忍寺」として開山したもの。1656(明暦2)年に浅野光晟正室の満姫(自昌院)の帰依により浅野家の菩堤寺となり、國前寺に改名し、境内の諸施設が建て替えられました。
原爆でも倒壊を免れ、現在でも本堂と庫裏、山門は江戸時代の建築が残っています。中でも本堂と庫裏は国の重要文化財に指定され、江戸時代初期の建築としても必見です。
山門 【広島市指定重要文化財】
1840(天保11)年築
鐘楼
1906(明治39)年築
本堂 【国指定重要文化財】
1671(寛文11)年築。写真右手の石灯籠も本堂と同時に建てられました。
庫裏 【国指定重要文化財】
明確な建築年は不明ながら、本堂と同時期に建てられたと考えられています。