甲斐善光寺&東光寺〜山梨県甲府市〜


 善光寺は、元々は現在の長野市にあったものですが、戦国時代に長野の善光寺平で武田信玄と上杉謙信が信濃の覇権を巡り、川中島の合戦を繰り広げる中、1555(弘治元)年に武田信玄が善光寺の組織と本尊ごと領内に善光寺を移し、さらに1558(永禄元)年にこの場所へ甲斐善光寺を創建したものです。


 ちなみに本尊は武田氏滅亡後、織田家、徳川家、さらに豊臣秀吉が京都・方広寺の御本尊として祀っていましたが、秀吉死去直前の1598(慶長3)年に、元の場所に戻され、今の長野の善光寺として多くの人に親しまれています。一方、甲斐善光寺も引き続き多くの人に親しまれ、現在でも立派な建築が当時の隆盛を物語っています。


 その近くにある東光寺は、臨済宗妙心寺派の寺院。寺伝によれば平安時代の創建で、1121(保安2)年に源義光(新羅三郎。源義家の弟)が国家鎮護と仏法繁盛の祈願所として諸堂を再興し、寺号を興国院とします。その後1262(弘長2)年に、この地へ配流されていた蘭渓道隆が、当時荒廃していたこの寺院を禅宗寺院として再興し、東光寺と改めたといわれています。

 戦国時代には武田晴信(信玄)による保護を受ける一方、1582(天正10)年には、織田信長の侵攻によって武田家が滅亡した際に焼打ちされ、さらに1945(昭和20)年の甲府空襲でも本堂を焼失するなど大きな被害を受けています。それでも、室町時代後期の仏殿が今も残り、必見。また、庭園は蘭渓道隆の作庭とされる池泉鑑賞式庭園で、山梨県指定名勝となっています。


(撮影:裏辺金好)


○場所


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○風景


甲斐善光寺山門 【国指定重要文化財】
1767(明和4)年築。1754(宝暦4)年に門前の失火により全焼したため、再建されたものです。


甲斐善光寺本堂 【国指定重要文化財】  1796(寛政8)年築。甲斐善光寺曰く、日本一の規模という鳴き龍が天井に描かれています。建物は単層裳階付二重の撞木造で、正面梁行き23.6m、正面屋根幅30.8m、側面桁行38.0m、総奥行49.1m、総高27mという、東日本でも有数の大型木造建築。
 なお、長野の善光寺と同じで、本堂下の真っ暗な通路を壁伝いに歩く「戒壇巡り」が体験できます。


東光寺


東光寺仏殿 【国指定重要文化財】
室町時代後期の建築で、檜皮葺きの禅宗様、入母屋造の仏殿。

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