菊屋家住宅〜山口県萩市〜


  萩市呉服町に残る菊屋家住宅は、萩藩の御用商人を務めていた豪商・菊屋家が江戸時代初期に建築した屋敷で、主屋、本蔵、金蔵、米蔵、釜場の5棟が国の重要文化財に指定されています。現存する商家としては最古の部類であり、また非常に規模が大きいもの。江戸時代には、幕府巡検使の宿として本陣としての役割も担っていました。

 ちなみに菊屋家は元々、室町時代〜戦国時代の大内氏に仕える津守家という武士でしたが、大内氏が毛利家に滅ぼされてからは町人となりました。

 関ヶ原の戦いが終結すると、京都から広島に帰還する路銀が不足していた毛利輝元に救援を行い、毛利家とのつながりを強化。さらに毛利輝元が領地を削減され、萩城を新たな本拠として築城を開始すると、菊屋家と改めて付き従い、城下町の整備に尽力。1604(慶長9)年に毛利輝元から、この土地を与えられ、現存する主屋を建築しています。

(解説&撮影:裏辺金好)


○場所


○風景


 向かい側には旧久保田家住宅 、また周辺には木戸孝允旧宅 、青木周弼旧宅 、高杉晋作誕生地など古建築や名所旧跡が多数残ります。


敷地の西側は広大な「なまこ壁」が続き、通りは菊屋横町として親しまれています。


御成門
長屋門から入った幕府の巡検使は、この門を通って書院に案内されました。

書院からの眺め
見事な庭園が眼前に広がります。

庭園
奥に見える蔵は東蔵。


書院
 1651(慶安4)年に建てられたものを、古図面に基づき復元。


主屋  【国指定重要文化財】

主屋座敷  【国指定重要文化財】

主屋(みせ) 【国指定重要文化財】
御成道に沿って細長く建てられたもの。


デルビル磁石式乙号電話機
1879(明治30)年のもの


柱時計
伊藤博文が初洋行した際のアメリカ土産。アメリカ・コネチカット州のセット・トーマス社製です。


本蔵 【国指定重要文化財】
現在のものは江戸後期(19世紀後半)の建築と考えられています。

金蔵・米蔵 【国指定重要文化財】 養蚕小屋 (手前から)
金蔵と米蔵は江戸時代後期の建築。

新座敷
従来の敷地から南側隣接の土地を取得し、1934(昭和9)年に東伏宮妃殿下を迎えるにあたって新築。

新座敷

新座敷庭園

新座敷庭園

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